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2006年03月24日

●060324 トタンも「茅」のうち

茅葺き屋根は、そこに暮らす人にとって最も合理的に入手できる材料で葺かれます。

山がちなところではススキや笹で、水辺近くではヨシやガマで、農地が発達していれば小麦わらや稲わらで、南の島ではヤシやバナナの葉で。

これは奈良の稲わら葺き。奈良では山地ではススキ葺きが主流ですが、国中(くんなか)と呼ばれる農地の整備された奈良盆地では、稲わら葺きが多かったそうです。
稲わら葺き.jpg

ただし、最も合理的な材料は、社会背景の変化に伴って変遷するものです。
ススキで葺かれていた屋根が、周辺の開墾が進んで茅場が遠くなり畑が増えれば、小麦わらに葺き替えられることもあったことでしょう。

ならば、茅葺きが農の暮らしと切り離され、工業製品を購入するのが最も合理的だった時代においては、トタンによって葺かれるのが自然な姿だったとも言えます。

そして今、自然と共生する暮らしがもとめられるようになってきたのならば、またトタンを剥がして茅に葺き替えれば良いだけの話だと思います。
トタンめくり.jpg
トタンを剥がせば中にはちゃんと茅葺き屋根が入っているのですから。

次はどんな「茅」で葺くのか?
それは、現代の日本でどのようにして茅葺きとともに暮らすのか、そのアイディア次第ということです。
sh@

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コメント

こういうのは現場しかわかんないですね。
なるほど。

トタンを被せると蒸れて中の茅や小屋組が傷むと言われることがありますが、僕の経験の範囲ではそのようなことはありませんでしたね。
トタンを被せた屋根を茅に葺き戻す際の、古茅の再生率を左右するのは、結局トタンを被せたタイミングです。茅葺き屋根が傷んでから被せられた屋根の茅は、当然再利用できるものは少なくなります。

>茅葺き屋根が傷んでから被せられた屋根
こういう方が日本には多いのではないでしょうか。農山漁村の過疎化や高齢化で茅葺き民家を維持していけるか行き先が不安、葺き替えより安いからという理由が大きいように思います。葺き替えたばかりなら、しばらくもつわけだからトタンにするのはある程度時間がたってからではないでしょうか?

青原さん、コメントありがとうございます。
確かに葺き替えたばかりのきれいな屋根に、トタンを被せてしまう人はあまりいないですね。

茅の葺き替えには適当なタイミングがあって、早すぎるのはもったいないのですが、あまり引き延ばしても古茅の再生率が低くなり高くつくことになります。

茅の葺き替えが高くつくようになったのは、それまで暮らしの中で集められていた材料を、全てお金で賄うことの影響が大きいと思われます。茅が集まらなくなった事を認識して、「茅葺き民家を守るために」傷みだしたら早めにトタンを被せた場合と、茅が集まらないために葺き替えるに葺き替えられず、雨漏りしだしてから、対策としてトタンを被せた場合とでは古茅の再生率に随分と差が出るということです。

上の写真は、稲藁の逆葺きでしょうか?
毛皮のようにみえますね。素晴らしい!!

ルナルナさん、コメントありがとうございます。

ご指摘の通り、写真は奈良の稲わら逆葺きです。
柔らかい感じの仕上がりで可愛いですよね。

日本では他に山形盆地にも現役の逆葺きがあると耳にして、バイクを飛ばして見に行ったこともあるのですが、そちらは職人さんがご高齢で既にリタイアしてしまっていました。
一歩遅かった!

やはり稲ワラの逆葺きですか?
近江(湖西だったかな?)でも、かつて逆葺きが行なわれていたようです。
奈良は、大和棟でも逆葺きは行なわれていたのでしょうか?
また、段葺きはどこかに残っていますか?段葺きの写真(古いものでも)があれば、アップしてください。お願いします。
ところで、どこの地域でご活躍されているんですか?
これからも宜しくお願いしますm(__)m

日本中の屋根が基本的に茅葺きだった頃(ついこの間までそうでしたが)には、茅屋根の全てをいちいち職人に頼んで葺かせたということは無かったでしょうから、納屋や家畜小屋などを住人自ら簡便に葺いたものは、多くが逆葺きだったことでしょう。

今でも納屋や炭焼き小屋を、そのように逆葺きや段葺きでメンテしつつ使われている例に時々出会います。機会があればそのように写真もご紹介したいと思いますが、今は出先なもので。

奈良盆地や山形盆地の逆葺きはそれらとは異なり、稲ワラを主な茅材として用いる地域で、稲ワラの場合逆葺きにすることが自然なため、母屋でもあたりまえに逆葺きとされていました。
茅はその土地の事情に即して身近なものが用いられて来ましたから、耕地化が進み山が遠く、水辺も遠い奈良盆地では大和棟でも稲ワラの逆葺きだったのではないでしょうか。

ただし、大和棟そのものはそれほど古い意匠とは思われないため、大和棟への改造(或いはそれでの新築)が広まった時期と、奈良盆地での茅葺きの葺き替えが、農業生産を中心とした住人の暮らしの一環から切り離され、より長持ちする材料が購入されるようになった時期とが、どれくらい被っていたかは調べてみたい気もしますね。

ちなみに、私は京都の美山を拠点として、関西を中心に仕事をしています。
もっとも仕事があればどこへでも伺いますから、そう言いつつも今は鎌倉に来ている訳です。

こんちわ!
稲ワラの逆葺きについて、稲ワラ100%の屋根と下地が茅で表層が稲ワラの逆葺きがあったことになるのでしょうか?
また稲ワラ100%の場合、軒口の下層は順葺きで表層が逆葺きになってるのでしょうか?

自分で読み返してみても解りにくい文章でした。
すみません。

ススキを茅として用いる地域で、職人に葺かせる母屋は真葺き(順葺き)にしても、小屋などを住人自ら葺いてすませるときにはススキを段葺きにしたり、稲ワラや麦ワラやチガヤを逆葺きにしたりしていたのではないかということです。

奈良盆地や山形盆地では、職人に葺かせる母屋も稲ワラの逆葺きだったので、ちょっと独特の文化を感じさせられました。

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