2006年04月27日

●0427 おやかた方

覚園寺は僕のイメージするところの、いかにも鎌倉らしい谷戸を辿った一番奥に境内が広がっています。
鎌倉は中心を山手に少し離れると、谷戸に町が入り込んで行って、尾根の緑に囲まれた住宅地の風景は目に優しく馴染みますね。
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今回の現場にはスミタさん父子の他に、藍那の交流民家でお世話になった、天理のタナカさんもいらしています。
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奈良の二大巨匠とご一緒させて頂けるのは、勉強するためのまたとない機会です。勝手知った仲間とだけ仕事をしていれば効率は良いかも知れませんが、個人としても集団としても、技術的な停滞に陥る事は避けられなくなります。

他所の地域の職人さんと仕事をご一緒すると、今まで「そうするべき」と教えられ、より完璧に「そう」しようとしていた事を、「そうしてはいけない」と全く逆の指摘を受ける事がままあります。時として美山町内でも親方によってこのように逆のことを言われて、丁稚の頃は随分混乱して悩んだものでした。が、これは、どちらが正しいのかという問題ではなくて、正解へ至るアプローチの手法の違いです。

「丈夫で美しい屋根」を葺くための解は一つではなく、ましてや材料が変われば例え同じススキであっても、美山のススキと奈良のそれとでは使い方も変わってくるものです。職人として仕事の質を深めて行くためには、技術的にもモノの考え方としても、自分の中にある引き出しの数を増やすと同時に、それぞれの引き出しの中身も充実させて行く必要があります。

とはいうものの、鎌倉には勉強をさせてもらうために来ているのではなく、仕事をするために呼ばれているのですから、例え今まで自分の培って来た技術をリセットする必要に迫られるようなことを求められても、手持ちの引き出しを引っ掻き回し、新たな技術や考えも日々吸収して、それなりに「仕事」をこなしてみせなくては、次の機会が無くなってしまいます。
一旦「使えないやつ」というレッテルを貼られるようなことがあれば、それは僕のような「渡りの職人」にとっては死活問題となってしまいますから。

藍那のように自分の現場に他の職人さんに入って頂くときとは、また異なるプレッシャーが雇われ仕事でも当然のようについてまわります。でも、そんな緊張感をもって現場に入るのは、嫌な事ではありませんけれどね。

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人数は多くないのに手間のかかる軒付けで、なかなか終わりません。到着してから一週間ずっと軒をつけています。「おまえのせいで捗らん」と言われないようにしなければ。
sh@