2007年03月30日

●070330 茅刈りの日々 4

手入れして来た茅場のススキを、里山公園の修景工事に使うために株ごと移植することになりました。
造園屋さんが5,6人バックホーも使って、一日がかりで一番上の耕作放棄田のススキを掘りとって行かれました。
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茅葺き民家もある里山公園だから、そこにはススキが生えているべきだと考えて下さるのは嬉しいのですが、正直娘を嫁にやるような複雑な心境でもありました。
ススキは秋にタネを集めてまけば、いやでも生えてきて2,3年で立派に株立ちするのですが・・・ 
「守り育てる公園」「造り続ける公園」というコンセプトであっても、やはり竣工時の見栄えもそれなりに大切だということなのでしょうけれども。

さて、気を取り直して残された茅場の刈り取りを続けます。
ここではササとクズの薮になっていた耕作放棄田へ茅刈りという行為を働きかけることで、健康な里山の構成要素である茅場へと移行させようとしているのですが、そもそもススキは荒れ地に生える植物なので、廃田とはいえ土地の肥えた田んぼに生えると少々大きくなり過ぎてしまいます。
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右が団地の茅場で刈り取った「茅らしいススキ」左は田んぼの「ややごついススキ」

写真だと判りにくいかもしれませんが、手で触ってみると右の方がずっと細かく蜜な感触です。
細くても痩せた土地で苦労して育ったススキの方が、茅葺き屋根に葺いた際に丈夫で長持ちします。
ですから土地が肥えてしまわないように、伝統的な茅場では刈り取りの後に火を入れて、落ち葉や雑草を燃やして処分していますし、それが出来ない団地の茅場では苦労してでも掃除が欠かせないのです。
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田んぼの茅場でも、肥料を吸収して大きくなったススキを毎年刈り取って持ち出すことで、次第に肥料過多な状態は解消され土のバランスも良くなって来ているようです。
最初のころはもっと大きなお化けみたいなススキでしたが、これでも段々良くなって来ていますから。

何とか茅刈りも済ませて、里山も春を迎える準備が整いました。
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株ごと掘りとった手前の方が、ちょっとすっきりし過ぎていますけれども・・・

気がつけば茅場を囲む雑木林の縁では、サツキの花が咲き始めています。
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茅刈りの季節は終わっていました。
茅葺きに行かなければ。

2007年03月27日

●070327 茅刈りの日々 3

団地の茅場の茅刈りをやっと片付けて、里山の茅倉庫の周りの茅刈りに移ります。
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ここでは茅刈りを中心とした「茅葺きによる里山管理」を実践しています。

茅場としてはまだ新しいのですが、周囲を幹線道路に囲まれた団地の茅場と違って、荒れ始めているとはいえ長いあいだ里山の暮らしが営まれていた土地ですから、手入れをしたところにはすぐに豊かな自然が戻って来ます。
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先日姿を見せたカヤネズミ?が夏のあいだ暮らしていた古巣が、茅場のあちこちに架けてあります。

さて、茅場とそこに生えるススキは手入れするほどに良くなって行くという話しをしましたが、同じように刈り取って同じ場所に生えているススキなのに、このように真っ直ぐに生える株の隣りで、曲がったススキばかりの株が生えてしまうこともあります。
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手入れしないことには話にならないのですが、手入れしても曲がってしまうススキがあるのは、環境だけではなく遺伝子とかも関係しているのかもしれません。

2007年03月24日

●070324 茅刈りの日々 2

細くて真っ直ぐで、茅として最高のススキです。
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毎年欠かさず茅刈りをして手入れを続けていると、このようなススキが生えて来てくれます。

一方で事情があって3年ほど茅刈りを休んだ場所は、たちまちこの通り。
枯れたススキを刈って取り除かなければ、翌春の芽吹きの邪魔になり曲がったススキが生えて来ます。やがては枯れ草に空間を占拠されてしまい、芽吹きそのものも不活発となり枯れ草だけの薮となってしまいます。
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枯れ草に遮られて日の当たらなくなった地面には野花が咲くことも無く、枯れ草ばかりでは虫もそれを食べる鳥も暮らすことは出来ません。
やがて枯れ草も絡まるクズに引き倒されて、クズの蔦が絡まり合いのたうつだけの、単一で貧弱(で凶暴)な植生へと移行してしまいます。

ところでこのクズの蔓は茅を束ねる「サンバイコウ」としてはとても具合が良いのですが、それは地面を這っている蔓に限られていて、ススキや灌木に絡まり立ち上がった蔓は使い物になりません。
茅刈りのされた茅場では、クズが成長する時期にはススキはまだ柔らかく丈の低い青草ですから、クズはそれに絡まり立ち上がることはできず、またその必要も無く、地面の上を横へ横へと伸びて行きます。もし茅刈りをしなければ、翌年にはクズは日光を求めて立ち枯れたススキに絡まり立ち上がり枝分かれしてねじれ、混沌としたクズの薮をつくりはじめてしまいます。
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しかし実際には茅刈りをして立ち枯れたススキを取り除くとともに、茅場の地面を這い回っているクズの蔓を集めてサンバイコウとして活用することで、翌年にもクズはおとなしく地面の上に蔓を伸ばし、秋になればススキ野原の中に七草にも数えられる花を咲かせます。
秋の七草は全て茅場に生える植物なのですが、ススキとクズの関係に見られるように、それらは茅刈りという行為を通じて人の暮らしが関わることで、ともに茅場という環境をかたち作り共生してくることが出来たということのようです。

さて、クズの他にも茅場を好んで生える植物は多くあり、このチガヤもそのひとつです。
ススキのような棹が無く柔らかくしなやかなので、これもサンバイコウに使ったりもしていますが、クズの蔓や稲ワラに比べてつるつるして滑りやすいので、束ねた後運ぶときなどに多少ずれて緩んだりしやすいという欠点があります。
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その分稲ワラなどに比べて水には強いと思われるので、ススキに比べて軽量で扱いやすい特徴も活かして、ワラ葺き屋根の茅として使えないかと思い色々と試したりしています。

茅刈りを始めて6年目の茅場。もこもこと株立ちしているのがススキで、その間の暗い部分がセイタカアワダチソウの優先する群落です。
そして、道路から2mくらいの幅で、やや丈の短い草が帯状に茂っているのがチガヤの群落です。
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チガヤはススキよりずっと早く、夏のあいだに花をつけてタネを散らします。
道路沿いにチガヤのベルトができたのは、道路管理者の市が秋の初めに業者を頼んで草刈りをしているせいなのかもしれません。チガヤもススキも刈ることで芽吹きを促し元気になる植物ですが、草刈りをするタイミングによって、チガヤが優先する草原になったり、ススキの優先する草原になったりするのでしょう。

ススキの根株にはナンバンギセルの花の跡が。
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始めて見付けた時には正体が分からず訝しんだものでした。
例年通りのもう少し早い時期に茅刈りをしていると、触るたびに胞子のように細かい黄色のタネをまき散らすので、キノコの仲間かと思っていました。

茅刈りの時期が遅れたせいか、今年はモズもちょっと顔を見せに来たくらいでした。
つがいでやって来ては似合わないやさしい声で鳴き交わしていて、もう茅刈りに張り付いてエサを探し、冬を乗り切るという時期は過ぎてしまったのでしょう。
ちょっと悪いことをしたかなあ。
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かわりにシベリアに帰る前のツグミがやって来て、茅刈りを済ませた茅場を歩き回っていました。

2007年03月22日

●070322 茅刈りの日々 1

茅の収納場所確保に手間取ってすっかり遅くなってしまいましたが、今年もようやく本格的な茅刈りシーズンに突入しました。
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カヤカル'07の刈り残しから仕上げて行きます。

団地の中の原っぱですが、茅刈りをすることで毎年新たに芽吹いた新鮮な草が生い茂ります。
カマキリの卵がたくさんあるのは、その餌となる草を食べる虫達が、たくさん暮らしている何よりの証拠です。
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周りを道路で囲まれているせいで、飛翔力の弱い種類はなかなか入って来れないようですが・・・
いつかスズムシの声を聴ける日が来ると思っています。

さて、以前はカマキリの卵が産みつけられた茅は刈り残していたのですが、そうすると広々とした刈り取り後の原っぱにとても目立ってしまい、みんなカラスがむしって食べてしまいました。
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そこで今ではひとまず集めておいて、後ほどサツキやミモザの薮の中に隠しています。
モズがバッタやカナヘビを食べる様子は愛でておいて、カラスからはカマキリの卵を取り上げようとするのは、はい、えこひいきです。

ミノムシは寄生蜂が広がったせいでめっきり見かけなくなっていますが、茅場の中に残している灌木の枝ではいくつもゆれていました。
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実感として(カマキリの卵を隠したりすることも含めて)人が季節に合わせて関わっている環境では、特定の種類の生き物が急にいなくなったり、逆に急に増えたりということがあまりおきないように思います。

刈り取った後に残る枯れ落ちたススキのハカマやその他の雑草は、そのままにしておいては新しいススキの芽吹きの邪魔になりますし、やがて肥料となり土地が肥えてしまうことになります。
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それは荒れ地を好んで生えるススキにとっては歓迎できないことなので、ススキの草原を維持するためには茅場の野焼きが行われています。
が、団地の中では火をつけるわけにはいきませんので、かわりにレーキで掻き集めて茅場の外に搬出します。
街中で茅場を維持するためには、避けて通れない手間なのですが、これが結構大変です。

でも、落ち葉を取り除いて地面に日が当たるようになると、さっそくタンポポが花を開きました。
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タンポポというと帰化種のセイヨウタンポポが幅を利かせていますが、シロバナタンポポは確か在来種だったはずです。

2007年03月20日

●070320 ウド小屋

兵庫県三田市のウド小屋です。
もう10年ほど前になりますが、これを偶然目にしたときの衝撃は忘れられません。
「茅葺きのビニールハウス??」
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年の瀬が近づく頃になると、毎年同じ稲刈りを済ませたあとの田んぼに出現していたので、4年前には農家の方が建てているところを見せて頂くために通ったりもしました。

が、職人のくせに一番肝となる部分の技術を忘却してどうしても思い出せずにいたところ、「茅葺きワークショップin能登」に参加された筑波大学の安藤研究室の皆さんが、見学に行かれるとのことだったのでご無理をお願いして同行させてもらいました。

内部はこんな感じ。
歯触りの良いウドを育てるためには日光に当てることは厳禁で、地下の穴の中で栽培する地域もあるほどですが、三田では水稲の裏作として田んぼにウド小屋を組んで栽培されて来ました。
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栽培農家の方は僕の顔を覚えておいででしたので、再び教えを請うのは恥ずかしいことでしたが、あらためて丁寧に教えて下さいました。

早春の出荷時期に合わせてウドを育てるためには、干し草の発酵熱を活用した温度管理が行われています。
役割を終えた干し草が、有機肥料として田んぼに鋤き込まれるのを待っています。
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ウド小屋はただ内部を暗くしているだけではなく、寒風から発酵熱を奪われないように守り、適切な発酵が保たれるように雨水も凌いでいますから、これはもう立派な「茅葺き屋根」です。

小屋を葺く茅は現地の田んぼで栽培されている酒米の稲ワラです。
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稲ワラは発酵熱の温度を調整するために干し草に被せる「マクラ」にも用いられます。また、干し草も夏の間に田んぼの畝刈をした雑草が使われていて、ウド小屋によるウド栽培が表作の水稲栽培と実に上手く組み合わされていることに驚かされます。

ウド小屋のような「はたらく茅葺き」への興味が、最近自分の中では高まっています。たとえば、ころ柿を干す「柿小屋」や別府温泉の「湯の花小屋」、古式塩田で塩を煮詰める「塩屋」など、「茅葺きでなければ」という建物は、意外とまだあるのではないかと。
そのような情報をお持ちの方は、よろしければぜひお知らせ下されば幸いです。
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ちなみに三田でのウド栽培もこのようなビニールハウスが一般的となっていて、ウド小屋を建てる栽培農家は今では三軒だけだとか。

今回あらためて教えて頂いたことを含めて、この農業と密接に結びついた茅葺き文化については、いずれもう少し詳細なレポートをお届けできればと思っています。
同時にこの茅葺きの技術を、体験プログラムにも活用て行きたいと思っています。

2007年03月18日

●070318 茅葺きツアーin能登

能登2日目の午前中はワークショップ開催事務局の案内で、地元輪島市三井の茅葺き集落を訪ねました。
最初に昨日のワークショップでパネラーも務められたM氏のお宅へ案内して頂きました。
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現在でこそ鉄道も廃線となった山村ですが、見事な屋敷構えに日本海航路の要所として栄えた往事が偲ばれます。
こちらの棟はこうがい棟ではなく箱棟が被せられていました。

招かれるままにぞろぞろと家に上がらせて頂いたところ、囲炉裏には火が熾り数ある座敷にはそれぞれ火鉢が据えられていて、美味しいお茶とおにぎりまで供してもてなして下さいました。
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各部屋の火を囲む茅葺き談義の輪が自然と開かれ、あまりの心地よさに思わず後の予定を忘れて長居しそうになったのは、僕だけでは無かったと思われます。

続いて同じ集落内にもう一軒ある茅葺きのお宅と、神社とを見せて頂きました。
ちなみにそれらはどちらもこうがい棟でした。(どうしてもそこへ目が行ってしまいます)
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こちらの神社は住民の皆さんの手で最近直されたそうで、まだ茅の色も鮮やかです。

軒のあたりでひらひらしているのはよく見ると開きにされた肥料袋。
傷んだ軒先を整えるために差し茅をし過ぎてしまい、押さえの竹が屋根の表面近くに押し出されてしまったのを雨から養生しているようです。
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この様子がとても微笑ましく好もしい、と言うと何だか偉そうですが、氏子の方々が創意工夫を凝らして茅葺きのお宮を守っている様が、他人事ながら嬉しくてなりません。
職人の仕事という訳でもありませんしあまりがみがみ言わず、当座の処置として簡単に手に入り加水分解に強く引裂強度もある肥料袋は、なかなか良いアイデアだと思いました。

この辺りでは茅葺きの葺き替えを止めた時に、トタンを被せたもの以上に屋根の小屋組ごと瓦葺きに載せ替えている家が目につきました。
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剥がせば茅葺きに戻るトタンとは異なり、こうなると茅葺きに戻すことは困難になってしまうのですが、この茅葺きから瓦屋根への改造の仕方も、茅葺き同様に地域色が豊かでなかなか興味深いものだと感じています。
特にこの飾り貫の美しい妻壁をみせる「大壁造り」と呼ばれることもあるデザインは、今や北陸を象徴する景観のひとつと呼んでも良いのではないでしょうか。

廃線にSLが走っていた頃にはもっと多くの茅葺き民家が建ち並んでいたそうで、往事の光景を惜しむ声もしきりに聞かれました。
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とはいえこの妻壁がリズミカルに建ち並ぶ風景も、これはこれでなかなかによろしいのでは。
もちろんそこには茅葺きを取り巻いていたような、濃密に人と自然の共生する暮らしは失われてしまっていますが、里山の生態系における茅葺きの占めるべき役割も時代とともに変化して来ているはずですから、全ての家が茅葺きである必要も無いかも知れないという意味で。

見学会は解散後、我々は昼食に寿司をつまみに輪島市内へ。
メインストリートの国道に沿って建つのは、拡幅工事でもあったのか新しい建物ばかり。でも、相当しっかりしたデザインコードが敷かれた様子で趣は失われていません。
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新しい建物ばかりなので、ヤマダさんは「何となくわざとらしくてCGみたい」と心配されていましたが、きっと大丈夫です。本物で造られた建物は時間に磨かれて味わい深くなって行きますから。
「きれいなものは時間を経て汚くしかならないが、美しいものは時間を経ればより美しくなる」

午後からはせっかく奥能登まで来たので、重文の時国家まで足を延ばしました。
近世日本史における時国家の活躍は、網野善彦他多くの先生方の著書で紹介されていますから、差し出がましい真似は控えておきます。

まずは下時国家住宅。
こちらには卒論で神戸の茅葺き調査をしている最中に、就活(屋根屋への)の一環で訪れたことがありましたが、神戸の屋根と同じかたちで倍以上の大きさを持つこの屋根に、遠近感がおかしくなってしまったものでした。
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つい最近半解体修理が行われてより古風な姿となっていました。
棟は良くある「針目覆い」ですが、修理前からだかどうだったかは思い出せません。当時はまだ学生でしたし。

雪囲いのせいもあり中はかなりの暗さ。案内のおばちゃんが囲炉裏端でもてなして下さいましたが、囲炉裏の切ってある半公共空間の「ダイドコ」でこの暗さ。現代の我々の感覚での家族のプライベート空間としての「家」である「ナンド」は、窓も無く昼間でも本当に真っ暗。
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つまり民家が現役の「民の家」だった時代には、住人の生活スタイルも現代とは全く違っていたということです。
私達にとって家は「家族がくつろぐ」ところですが、民家においては家族の空間は「寝る」ためだけにあって、その他は「働く」とか「もてなす」ための空間であり、屋根の下であってもそこは家族にとっては「外部」だったのではと思うのです。
茅葺き「民家」を「住宅」として活用しようとするとき、そもそもそのような空間構成を持って建てられていることをしっかり認識しておかないと、なかなか居心地の良い「家」にはならないでしょう。

続いて上時国家住宅。
さらに大きな屋根で、こちらはこうがい棟です。(しつこいですが)
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屋根は適切に差し茅がなされて手入れが行き届いていました。雪の覆い土地のはずですが、軒のラインに狂いが出ていないことに感心させられます。

こちらは近代まで暮らしに合わせて改造されながら使われて来たしつらいが大切に保存されていました。
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縁側は犬走りまで雨戸で覆い、雨戸には明かり取りの高窓が設けられています。雪に覆われても快適に暮らす、豪雪地帯ならではの工夫なのでしょう。

破れたところだけ丁寧に張り替えられている障子が、まるで抽象絵画のような静謐で緊張感のある表情を見せてくれていました。
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最近ではホームセンターでロールになった障子紙を買って来て、剥離剤を使って丸ごと張り替えるのが当たり前になっていますけれども、障子って本来ここまで美しくなるものだったのですね。

散々勉強したふりをしておいて、最後の締めは手打ち蕎麦。
三食寿司を食べていながら蕎麦も欲張ってしまう。最近旅に出ると食べてばかりです。
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色々な人と会って、色々なものを見て、色々なことを考える機会となったもので、長い日記になってしまいました。最後までお付き合い下さった方はおつかれさまでした。ありがとうございます。

2007年03月17日

●070317 茅文化ワークショップin能登

表題の集まりに参加せて頂くために、ナカノさん、ヤマダさんとともに冬晴れの能登半島を北へ。
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春を前にしてこの冬一番ではというくらいの冷え込みでしたが、時折風花が舞うくらいで雪の気配が無いのがありがたいところです。

会場となった輪島市三井のコミュニティ施設の茅葺き屋根は、関西一円に見られる入母屋のつくりでありながら、サイズがかなり大きめ。さらに棟の収めが千古の家や白川郷の合掌造りと同じ「こうがい棟」なのが北陸の地域色を引き立てています。
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家の周りには茅の雪囲い。
刈り取った茅を乾かしながら、落雪や寒風から家を守る素晴らしい暮らしの知恵だと思います。

シンポジウム形式で進められたワークショップは、生活に根差した体験談あり、珍しい事例報告あり、新鮮な切り口の茅葺き文化の解釈の提言ありと、飽きる間もなく時間が過ぎて行きました。
我々のように茅葺きの話題に惹かれて集まったものだけではなく、地元の方々が大変多く参加されているのも印象的でした。
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最近のこの手の集まりでは「茅葺きをどう活かすか」という前向きな話題が多く、「茅葺きを遺すためになんとかしてほしい」というような悲痛な話を聞かされることが少なくなって来ていて、時代の風向きは確実に良い方へと変わって来ていることを実感します。

ワークショップが散会しても拭き漆に彩られた座敷へと会場を移して、夜遅くまで参加者の皆さんと実りの多い会話と美味しい魚を楽しませて頂きました。
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日本における茅葺きの在り方も、そろそろ大きく変わる気配が立ち込めているように思います。
もちろん、それは人任せにしてしまうのではなく、自分もまたより良い未来のために万分の一の務めを果たさなければならないわけですが。

それにしてもさすがは輪島。宿をとった民宿では、温泉を引き入れた浴場の桶も脱衣かごも漆塗りでした。
輪島でも他のいくつかの漆器産地と同様に、現代の普段着の暮らしに取り込める漆器の在り方を模索していて、新しいライフスタイルの提案とそれに見合う新しいデザインの工芸品の開発は、日々茅葺きをどうプロデュースしていくか悩んでいる頭に良い刺激を与えてくれました。
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少し意地悪なことをあえて言えば、原料の漆を中国からの輸入に頼らざるを得ないのが残念に思います。
人里に生えるウルシの生産を高めることは、能登の財産のひとつである健全な里山の再興と結びつけられるはずなので。
もちろん、一朝一夕に成果の出ることでは無いでしょうから、既にそのような取り組みは始められているのかもしれませんけれども。