●070318 茅葺きツアーin能登
能登2日目の午前中はワークショップ開催事務局の案内で、地元輪島市三井の茅葺き集落を訪ねました。
最初に昨日のワークショップでパネラーも務められたM氏のお宅へ案内して頂きました。
現在でこそ鉄道も廃線となった山村ですが、見事な屋敷構えに日本海航路の要所として栄えた往事が偲ばれます。
こちらの棟はこうがい棟ではなく箱棟が被せられていました。
招かれるままにぞろぞろと家に上がらせて頂いたところ、囲炉裏には火が熾り数ある座敷にはそれぞれ火鉢が据えられていて、美味しいお茶とおにぎりまで供してもてなして下さいました。
各部屋の火を囲む茅葺き談義の輪が自然と開かれ、あまりの心地よさに思わず後の予定を忘れて長居しそうになったのは、僕だけでは無かったと思われます。
続いて同じ集落内にもう一軒ある茅葺きのお宅と、神社とを見せて頂きました。
ちなみにそれらはどちらもこうがい棟でした。(どうしてもそこへ目が行ってしまいます)
こちらの神社は住民の皆さんの手で最近直されたそうで、まだ茅の色も鮮やかです。
軒のあたりでひらひらしているのはよく見ると開きにされた肥料袋。
傷んだ軒先を整えるために差し茅をし過ぎてしまい、押さえの竹が屋根の表面近くに押し出されてしまったのを雨から養生しているようです。
この様子がとても微笑ましく好もしい、と言うと何だか偉そうですが、氏子の方々が創意工夫を凝らして茅葺きのお宮を守っている様が、他人事ながら嬉しくてなりません。
職人の仕事という訳でもありませんしあまりがみがみ言わず、当座の処置として簡単に手に入り加水分解に強く引裂強度もある肥料袋は、なかなか良いアイデアだと思いました。
この辺りでは茅葺きの葺き替えを止めた時に、トタンを被せたもの以上に屋根の小屋組ごと瓦葺きに載せ替えている家が目につきました。
剥がせば茅葺きに戻るトタンとは異なり、こうなると茅葺きに戻すことは困難になってしまうのですが、この茅葺きから瓦屋根への改造の仕方も、茅葺き同様に地域色が豊かでなかなか興味深いものだと感じています。
特にこの飾り貫の美しい妻壁をみせる「大壁造り」と呼ばれることもあるデザインは、今や北陸を象徴する景観のひとつと呼んでも良いのではないでしょうか。
廃線にSLが走っていた頃にはもっと多くの茅葺き民家が建ち並んでいたそうで、往事の光景を惜しむ声もしきりに聞かれました。
とはいえこの妻壁がリズミカルに建ち並ぶ風景も、これはこれでなかなかによろしいのでは。
もちろんそこには茅葺きを取り巻いていたような、濃密に人と自然の共生する暮らしは失われてしまっていますが、里山の生態系における茅葺きの占めるべき役割も時代とともに変化して来ているはずですから、全ての家が茅葺きである必要も無いかも知れないという意味で。
見学会は解散後、我々は昼食に寿司をつまみに輪島市内へ。
メインストリートの国道に沿って建つのは、拡幅工事でもあったのか新しい建物ばかり。でも、相当しっかりしたデザインコードが敷かれた様子で趣は失われていません。
新しい建物ばかりなので、ヤマダさんは「何となくわざとらしくてCGみたい」と心配されていましたが、きっと大丈夫です。本物で造られた建物は時間に磨かれて味わい深くなって行きますから。
「きれいなものは時間を経て汚くしかならないが、美しいものは時間を経ればより美しくなる」
午後からはせっかく奥能登まで来たので、重文の時国家まで足を延ばしました。
近世日本史における時国家の活躍は、網野善彦他多くの先生方の著書で紹介されていますから、差し出がましい真似は控えておきます。
まずは下時国家住宅。
こちらには卒論で神戸の茅葺き調査をしている最中に、就活(屋根屋への)の一環で訪れたことがありましたが、神戸の屋根と同じかたちで倍以上の大きさを持つこの屋根に、遠近感がおかしくなってしまったものでした。
つい最近半解体修理が行われてより古風な姿となっていました。
棟は良くある「針目覆い」ですが、修理前からだかどうだったかは思い出せません。当時はまだ学生でしたし。
雪囲いのせいもあり中はかなりの暗さ。案内のおばちゃんが囲炉裏端でもてなして下さいましたが、囲炉裏の切ってある半公共空間の「ダイドコ」でこの暗さ。現代の我々の感覚での家族のプライベート空間としての「家」である「ナンド」は、窓も無く昼間でも本当に真っ暗。
つまり民家が現役の「民の家」だった時代には、住人の生活スタイルも現代とは全く違っていたということです。
私達にとって家は「家族がくつろぐ」ところですが、民家においては家族の空間は「寝る」ためだけにあって、その他は「働く」とか「もてなす」ための空間であり、屋根の下であってもそこは家族にとっては「外部」だったのではと思うのです。
茅葺き「民家」を「住宅」として活用しようとするとき、そもそもそのような空間構成を持って建てられていることをしっかり認識しておかないと、なかなか居心地の良い「家」にはならないでしょう。
続いて上時国家住宅。
さらに大きな屋根で、こちらはこうがい棟です。(しつこいですが)
屋根は適切に差し茅がなされて手入れが行き届いていました。雪の覆い土地のはずですが、軒のラインに狂いが出ていないことに感心させられます。
こちらは近代まで暮らしに合わせて改造されながら使われて来たしつらいが大切に保存されていました。
縁側は犬走りまで雨戸で覆い、雨戸には明かり取りの高窓が設けられています。雪に覆われても快適に暮らす、豪雪地帯ならではの工夫なのでしょう。
破れたところだけ丁寧に張り替えられている障子が、まるで抽象絵画のような静謐で緊張感のある表情を見せてくれていました。
最近ではホームセンターでロールになった障子紙を買って来て、剥離剤を使って丸ごと張り替えるのが当たり前になっていますけれども、障子って本来ここまで美しくなるものだったのですね。
散々勉強したふりをしておいて、最後の締めは手打ち蕎麦。
三食寿司を食べていながら蕎麦も欲張ってしまう。最近旅に出ると食べてばかりです。
色々な人と会って、色々なものを見て、色々なことを考える機会となったもので、長い日記になってしまいました。最後までお付き合い下さった方はおつかれさまでした。ありがとうございます。
コメント
確かにいつもより長い日記ですが、内容が興味のあることなので、引き込まれて、読ませていただきました。
感想を書き込みたい箇所がいくつも有って困りました。
「ダイドコ」いい空間ですね。
ちょっと前までは人間も他の動物と同じで、家はねぐらであって、もっと広い空間、地域と自然環境が自分たちの生活スペースだったんだなと思いました。
Posted by: ceico | 2007年03月23日 08:33
遠いところ、ご参加ありがとうございました。解散後も充実したお時間を過ごされたごようすですね。
輪島の中心に入る馬場町は本当にキレイになりましたが、仰る通り町づくりの基本デザインがきちんとされ、それでいて各店の個性も失われずで、町のアプローチとしていい顔になると思います。
もう一足のばされると、珠洲市黒丸には網野さんが「中世が生きている!」と感嘆された黒丸家もあります。
なかなか能登は遠い地ですが、いつかまた機会がございましたら、屋根屋さんにはぜひご覧になっていただきたいです。
Posted by: 花がたみ | 2007年03月23日 19:02
ceico さん、花がたみ さん、コメントありがとうございます。
>ceico さん、
まさしく仰る通りだと思います。
天気がよければ炊事を始め家事全般が屋外で行われていたでしょうし、屋内は公的な会合や地域の共同作業の場として使われることも当たり前のことだったのでしょう。
そのような生活スタイルが家の内と外を緩やかに仕切ることで、軒先や縁側、土間、上がり框・・・といった、曖昧で豊かな空間を供えた民家を生み出して来たのだと思います。
曖昧さの良さを引き出しながら現代的な快適さを併せ持つ、新しい茅葺き住宅の在り方を探って行きたいものです。
>花がたみ さん、
ワークショップでは参加前の情報提供から、様々にお世話を頂き、また当日は有意義なお話をありがとうございました。
馬場町というのですか。勉強が足りず予備知識無しで目にしたのですが、伊勢のおかげ横町や彦根の門前町のように完全に統一された設計ではなく、ご指摘のように各家の個性が際立ちながら全体としてまとまった雰囲気を醸し出しているのが素晴らしいと思いました。
いずれまた、ゆっくり歩いてみたいです。
就活で能登を訪れたのは、熊谷産業さんによる黒丸家の葺き替え現場訪をねるのが目的でしたが、当時は屋根のことにしか目が行っていませんでした。
能登の奥深い歴史に培われた文化に触れるためにも、あらためて時間を設けて訪ねてみたいと思います。もちろん、金沢もですが w
Posted by: shiozawa | 2007年03月26日 00:55