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0414 茅のはなし - オギ -

破風(ハフ、入母屋の煙出)の下端、屋根の肩のところが近づいて来ました。
破風の下端を結ぶラインを、美山では「オリモト」とか「アリゴシ」と呼んでいます。
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わざわざ名前がついているのは葺き替えのタイミング計る際に、このラインから上と下で屋根を2分して考えるからです。
下半分は上半分よりも屋根を流れる雨水の量が多いため、当然ながら早めに傷んできます。屋根を効率よく維持して行くためには、傷んだ部分だけを順番に葺き替えられるようにしておく必要があります。

最近ではさらに、傷みやすい下半分にススキより丈夫なヨシを混ぜて葺いています。
ススキに関しては肥料や飼料としての需要が無くなった現在、茅葺きの葺き替えのためだけに無理をしてまで必要な量を確保するよりも、まずは出来る範囲での良質な茅場の維持管理に努めます。一方で必要性は認められながらも需要が無く滞っている、河川湖沼のヨシ原の刈り取りを茅葺きのために進めることで、茅葺きを介して地域を超えた自然と共生する文化の盛り上がりを期待しているのです。
そのために、両者をバランスよく適材適所に使い分けるように努めています。
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ただし、今回持ち込んだ材料は、実は正確にはヨシではなく「オギ」です。

産地の宇治川河川敷のヨシ屋さんは、ヨシのことを「メンヨシ(女葭?)」オギのことを「オンヨシ(男葭?)」と呼ばれています。
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ヨシ原の中でヨシとは別の群落を作って棲み分けているのですが、オトコヨシと呼ばれるだけあってヨシよりも堅く、表面には光沢があり水をはじきます。

そのため水濡れに対して耐久性を発揮する一方で、材料としては親水性に欠ける分だけ表面張力が小さく、緩い勾配で屋根に葺くと雨水を通過させてしまいやすいため、使用に際しては注意を必要とする材料でもあります。
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そこで、様々な長さに切断したものを用意して、それらを何層にも重ね合わせることで最適な材料勾配を保つようにします。

茅葺き屋根はその建物の建つ土地における人の暮らしの中で、最も身近で合理的に入手できる材料で葺かれてきました。
ならば、生まれた村で一生を過ごす人が過半だった時代と異なり、現代の私達の生活範囲に照らしてみて、関西の屋根を葺く材料として地元の材料に加えて、宇治川や淀川、琵琶湖のヨシが混ぜて使われることは、とりたてて特異なことではないと考えています。
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もちろん、いずれは茅葺きの需要がさらに増えて、宇治川のヨシは京都南部で消費され、丹後の屋根を葺くために円山川河口や久美浜湾のヨシ原、世良高原のススキ原が再興されていくことを、目指しての上でのことです。

0412 古屋根解体/箱棟詳細

天橋立を眺めながら、朝凪の海岸に沿って遊歩道を散歩するのが日課になりつつあります。
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とてもたくさんの種類の鳥を目にすることが出来ます。海辺の鳥達は普段美山の山奥で見ているのとは違っていて新鮮です。

軒から何段か葺き上がって安定したので、残る上半分の古屋根の茅もめくります。
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下半分と同様に、再利用できそうな茅は余り多くありません。

片側の茅が全てめくられて、後は葺き上がって行くだけとなりました。
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旧永島家住宅は箱棟なので、棟の解体の必要が無い分手間がかかりません。
変な箱棟だと、葺いて行くのにかえって手間がかかることもありますが。

下地の竹はやはり100%交換が必要でした。
旬の悪い時期に伐った竹は、どんなに乾燥させても煤竹にしても、虫が入ってだめになります。
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ちょっと判りにくいかもしれませんが、屋根下地の構造が同じ入母屋でも美山とは全く異なります。
放射状に垂木が流される美山と異なり基本的に垂木は平行です。
寄せ棟に破風(ハフ=煙出)の部分を乗っけて入母屋にしている美山と、切り妻に風破の下を継ぎ足して入母屋にしている丹後。

箱棟に近寄って覗き込んでみると、驚くほど大きな部材で丈夫に組まれていることが判ります。
最後の葺き収まりではこの箱棟の下に、茅を詰め込めるだけ詰め込みます。箱棟の造りが華奢で詰める際に壊れないように気を遣うようでは、詰めた茅が後々緩んで抜けて来てしまいますので。
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また、部材の下端が斜めに切り取られていることにも注目して下さい。
茅は雨仕舞いのために常に外に向かって傾斜していなければなりません。下端が水平だと奥側の角に茅が詰まるので、箱棟と茅のあいだに隙間が残ってしまうのです。

さらに箱棟の内部の様子です。
箱棟の棟桁は茅葺きの屋根下地の棟木から束を立てて充分に浮いており、内部には詰め込んだ茅の先を収めるだけの空間が確保されています。
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箱棟は茅葺きの棟収めの変遷の過程で生み出された形態ですが、この箱棟を設置された大工さんは茅葺きのことを良く理解されていたようです。

0410 葺き上げ

天橋立の周りでも桜が満開となりました。
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冷え込んだ先週とは打って変わって、春爛漫の陽気が続きます。

軒の上側も無事に付け終わりました。
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水切りの位置が決まって、これを基準に屋根全体を葺いて行きます。

両端のコーナーの部分を先につけます。角付けと呼ぶ工程で屋根のかたちがここで決まりますから、腕の立つ職人が担当します。
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ヨシは滑りやすいので、滑り止めに板を立ててから並べます。

短く切ったヨシと長いヨシを何層にも積み重ねて葺いて行きます。
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長いヨシばかりだと奥の方が高くなり過ぎてヨシが次第に起き上がってしまい、押さえの竹が屋根の表面へ押し出されて来てそこから雨漏りしてしまいます。
短いヨシばかりではしっかりと固まった屋根にはなりません。

右から左へと工程が進む途中です。
様々な長さのヨシを使い分けながら積み重ねて並べ、最後に押さえとなる長いヨシを並べて、ひとつ下の押さえ竹から針金を取り足場用の丸太で挟んで仮に固定します。
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滑り止めの板を外して、屋根のかたちに叩き揃えます。
叩き揃えた時に両端のコーナーと高さが合うように見越して、あらかじめ並べるヨシの分量を調節しておきます。
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この後、仮押さえの丸太を足場にして押さえの竹を下地から縫い止めて固定します

0407 軒付け/いさざ

軒付けは進んで、軒の裏側になる部分は付け終わりました。短い材料を使って下地に対して角度を稼ぎます。
これから葺いて上がって行く際に、茅を屋根に設置する角度の基準となります。
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美山の屋根も相当勾配がきついのですが、丹後の屋根の平(ひら)面はそれ以上に急角度なので、何も対策をとらずに葺いて行くと、奥の方が起きて茅を設置する際の角度が急になりすぎてしまいます。
なるべく茅が寝るように、材料や葺き方に気を遣っていく必要がありそうです。

さて、周りを海に囲まれているとはいえ山深い丹後半島には、谷川がそのまま海に注ぐような、きれいな流れの川がいくつもあります。
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旧永島家住宅の前でもそのような川が阿蘇海(宮津湾の天橋立に仕切られた部分)に注いでいて、まだ寒いのに放課後の子供達が水遊びに集まって来ますが、この時期子供の他にもそのような川のうちのひとつに集まって来るのが「イサザ」です。

「この時期に丹後に来たらイサザ食わなあかんわ」と博物館の方に薦められて、イサザ漁の漁師さんを紹介してもらいよくわらないままに買いに行きました。
買ってみて判ったのですが、イサザとは産卵のために河口に集まって来たシロウオのことでした。
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踊り食いを珍味として高級料亭で供するというイメージがあったのですが、漁師さんは一合単位でドパッと売って下さいました。

さて、それをどうするか。
ぼやぼやしているとせっかくの新鮮なシロウオが、見る間に弱って行くようです。
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一応踊り食いにも挑戦してみましたが、それで量を食べるものでもありませんし。
吸い物、卵とじ、素揚げなどなど、淡白なのに噛むほどに味の濃くなる、なかなかに後を引くお味でした。

0405 茅葺きの屋根裏

丹後の現場に入ったばかりでしたが、冷たい雨に降られて一旦美山に退却して来ました。
夜には花寒から春の嵐へと。雹に降られると自宅のトタン小屋は寝ていられません。
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美山ではコブシが花盛り。タムシバかもしれませんが、見分けられません。
これから新緑までの一ヶ月間、山は日々移り変わる一年で最も賑やかな色彩を楽しませてくれます。けれど今年も現場泊まり込みなので、美山の春はおあずけです。

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さて、再開した現場では軒付けが順調に進んでいますが、押さえの竹を下地のレン(垂木)に縫い止める工程で少々問題が発生しました。

押さえの竹を止める縄(or針金)は、大きな屋根葺き用の縫い針を突き通して、屋根裏に入った人に取ってもらう(「針取り」と呼びます)のですが、旧永島家住宅の屋根裏は、郷土資料館に付属している収蔵庫として使われていて、収集された民具が溢れかえっているのです。
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屋根裏に入らずに縫い止める方法もあるのですが、僕としては作業効率と精度の両面から、針取りをするのが一番良いと思っているので、できることならばそれでやりたいところです。

と、いうわけで丁稚サガラには苦労してもらうこととなりました。
民具を片付けるにも文化財だけに手荒には扱えず、しかし中には触っただけで壊れそうなくらい劣化したものもあり、何とか造ったわずかな隙間に体を潜り込ませての作業です。
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茅葺き屋根の屋根裏は家の中で火を焚いていた時代には煤だらけで、大事なものをしまっておける場所ではありませんでした。しかし、毎年刈り貯めた茅を収納するには、煙たいということは乾燥して虫がつくこともないので、かえって具合が良かったのです。茅が屋根裏一杯に詰まっていても、葺き替えの際には外へ運び出されますから、それは針取りの邪魔になることもありません。

火を使わなくなったことで天井が貼られ、屋根裏が物置になったり居室に改装されたりするようになりました。
針取りがやりにくいだけならばまだ良いのですが、それが茅葺き屋根の寿命に悪い影響を与えるようなことはありはしないかと、少し気になっています。

0403 天橋立のたもとで軒付け

天橋立を眼前に望む丹後郷土資料館に移築されている、「旧永島家住宅」の屋根を葺き替えに来ました。
丹後の茅葺き民家の特徴でもあるとても高い軒は、養蚕が盛んだった時代に屋根裏を蚕室として利用するために、2階にも窓を設けるために施された改造です。
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養蚕のために茅葺き民家には、日本各地でそれぞれ工夫を凝らした改造が施され、今日私達に多様な茅葺き屋根の姿を見せてくれている、大きな要因のひとつとなっています。
それにしても多雪地帯の丹後で、土塗りの大きな妻壁を庇も付けずに曝しているのは、建物の耐久性に問題を生じないのかいつも心配になりますが・・・このスタイルが丹後の西側では普通に見られます。

カラスが茅を抜くと、屋根の表面にこんな風に茅が散らばってしまいます。
加えてこの屋根の場合、破風(ハフ)との境に何者かが潜り込んで穿った穴が開いていますね。
穴を開ける時に茅を掻き出したな・・・
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ネコとかイタチとかムササビとかでしょうが、囲炉裏やクドで火を使っていた頃には、屋根裏は煙たくてわざわざ潜り込みたくなるような空間ではなかったはずです。
「囲炉裏を使わないから屋根が傷む」という説は、通説としてまかり通っているほど僕としては納得してはいないのですが、「囲炉裏を使わないから屋根裏が快適→動物が入り込んで天井裏に棲みつく→動物が入らないように隙間を塞ぐ→屋根裏の換気が悪くなり屋根が蒸れて傷む」ということはあると思います。

外観はそれほど傷んではいなかったのですが、解体してみると再利用できる茅はほとんどありませんでした。
前回の葺き替えに用意されたススキの品質が、もともとあまり優れていたとは言えないものだったようです。
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下地の竹も軒並み虫食いのために交換が必要で、刈り旬を待たずに慌てて材料を用意しなければならなかった、前回の屋根葺きの際の苦労が偲ばれます。
茅葺きの葺き替えが人の暮らしの中にあった頃には起きなかったことでしょうが、公共事業の予算の執行には、茅葺きのリズムはのんびりし過ぎていて付き合ってもらえないようです。
そんな訳で今時の茅葺き職人には、常時材料のストックが欠かせなくなってしまいました。

下地を交換して軒を付け始めます。
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最初に屋根下地に固めの材料を薄くかきつけてこれが軒裏の一番内側のラインとなります。

現場の目の前には横一文字に伸びる天橋立。
晴れた日には広々とした風景に気持ちが和みます。
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うらうらとした春の日差しに、のんびりし過ぎて眠くなってしまうのは困りものですが。

070330 茅刈りの日々 4

手入れして来た茅場のススキを、里山公園の修景工事に使うために株ごと移植することになりました。
造園屋さんが5,6人バックホーも使って、一日がかりで一番上の耕作放棄田のススキを掘りとって行かれました。
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茅葺き民家もある里山公園だから、そこにはススキが生えているべきだと考えて下さるのは嬉しいのですが、正直娘を嫁にやるような複雑な心境でもありました。
ススキは秋にタネを集めてまけば、いやでも生えてきて2,3年で立派に株立ちするのですが・・・
「守り育てる公園」「造り続ける公園」というコンセプトであっても、やはり竣工時の見栄えもそれなりに大切だということなのでしょうけれども。

さて、気を取り直して残された茅場の刈り取りを続けます。
ここではササとクズの薮になっていた耕作放棄田へ茅刈りという行為を働きかけることで、健康な里山の構成要素である茅場へと移行させようとしているのですが、そもそもススキは荒れ地に生える植物なので、廃田とはいえ土地の肥えた田んぼに生えると少々大きくなり過ぎてしまいます。
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右が団地の茅場で刈り取った「茅らしいススキ」左は田んぼの「ややごついススキ」

写真だと判りにくいかもしれませんが、手で触ってみると右の方がずっと細かく蜜な感触です。
細くても痩せた土地で苦労して育ったススキの方が、茅葺き屋根に葺いた際に丈夫で長持ちします。
ですから土地が肥えてしまわないように、伝統的な茅場では刈り取りの後に火を入れて、落ち葉や雑草を燃やして処分していますし、それが出来ない団地の茅場では苦労してでも掃除が欠かせないのです。
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田んぼの茅場でも、肥料を吸収して大きくなったススキを毎年刈り取って持ち出すことで、次第に肥料過多な状態は解消され土のバランスも良くなって来ているようです。
最初のころはもっと大きなお化けみたいなススキでしたが、これでも段々良くなって来ていますから。

何とか茅刈りも済ませて、里山も春を迎える準備が整いました。
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株ごと掘りとった手前の方が、ちょっとすっきりし過ぎていますけれども・・・

気がつけば茅場を囲む雑木林の縁では、サツキの花が咲き始めています。
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茅刈りの季節は終わっていました。
茅葺きに行かなければ。

070327 茅刈りの日々 3

団地の茅場の茅刈りをやっと片付けて、里山の茅倉庫の周りの茅刈りに移ります。
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ここでは茅刈りを中心とした「茅葺きによる里山管理」を実践しています。

茅場としてはまだ新しいのですが、周囲を幹線道路に囲まれた団地の茅場と違って、荒れ始めているとはいえ長いあいだ里山の暮らしが営まれていた土地ですから、手入れをしたところにはすぐに豊かな自然が戻って来ます。
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先日姿を見せたカヤネズミ?が夏のあいだ暮らしていた古巣が、茅場のあちこちに架けてあります。

さて、茅場とそこに生えるススキは手入れするほどに良くなって行くという話しをしましたが、同じように刈り取って同じ場所に生えているススキなのに、このように真っ直ぐに生える株の隣りで、曲がったススキばかりの株が生えてしまうこともあります。
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手入れしないことには話にならないのですが、手入れしても曲がってしまうススキがあるのは、環境だけではなく遺伝子とかも関係しているのかもしれません。

070324 茅刈りの日々 2

細くて真っ直ぐで、茅として最高のススキです。
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毎年欠かさず茅刈りをして手入れを続けていると、このようなススキが生えて来てくれます。

一方で事情があって3年ほど茅刈りを休んだ場所は、たちまちこの通り。
枯れたススキを刈って取り除かなければ、翌春の芽吹きの邪魔になり曲がったススキが生えて来ます。やがては枯れ草に空間を占拠されてしまい、芽吹きそのものも不活発となり枯れ草だけの薮となってしまいます。
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枯れ草に遮られて日の当たらなくなった地面には野花が咲くことも無く、枯れ草ばかりでは虫もそれを食べる鳥も暮らすことは出来ません。
やがて枯れ草も絡まるクズに引き倒されて、クズの蔦が絡まり合いのたうつだけの、単一で貧弱(で凶暴)な植生へと移行してしまいます。

ところでこのクズの蔓は茅を束ねる「サンバイコウ」としてはとても具合が良いのですが、それは地面を這っている蔓に限られていて、ススキや灌木に絡まり立ち上がった蔓は使い物になりません。
茅刈りのされた茅場では、クズが成長する時期にはススキはまだ柔らかく丈の低い青草ですから、クズはそれに絡まり立ち上がることはできず、またその必要も無く、地面の上を横へ横へと伸びて行きます。もし茅刈りをしなければ、翌年にはクズは日光を求めて立ち枯れたススキに絡まり立ち上がり枝分かれしてねじれ、混沌としたクズの薮をつくりはじめてしまいます。
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しかし実際には茅刈りをして立ち枯れたススキを取り除くとともに、茅場の地面を這い回っているクズの蔓を集めてサンバイコウとして活用することで、翌年にもクズはおとなしく地面の上に蔓を伸ばし、秋になればススキ野原の中に七草にも数えられる花を咲かせます。
秋の七草は全て茅場に生える植物なのですが、ススキとクズの関係に見られるように、それらは茅刈りという行為を通じて人の暮らしが関わることで、ともに茅場という環境をかたち作り共生してくることが出来たということのようです。

さて、クズの他にも茅場を好んで生える植物は多くあり、このチガヤもそのひとつです。
ススキのような棹が無く柔らかくしなやかなので、これもサンバイコウに使ったりもしていますが、クズの蔓や稲ワラに比べてつるつるして滑りやすいので、束ねた後運ぶときなどに多少ずれて緩んだりしやすいという欠点があります。
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その分稲ワラなどに比べて水には強いと思われるので、ススキに比べて軽量で扱いやすい特徴も活かして、ワラ葺き屋根の茅として使えないかと思い色々と試したりしています。

茅刈りを始めて6年目の茅場。もこもこと株立ちしているのがススキで、その間の暗い部分がセイタカアワダチソウの優先する群落です。
そして、道路から2mくらいの幅で、やや丈の短い草が帯状に茂っているのがチガヤの群落です。
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チガヤはススキよりずっと早く、夏のあいだに花をつけてタネを散らします。
道路沿いにチガヤのベルトができたのは、道路管理者の市が秋の初めに業者を頼んで草刈りをしているせいなのかもしれません。チガヤもススキも刈ることで芽吹きを促し元気になる植物ですが、草刈りをするタイミングによって、チガヤが優先する草原になったり、ススキの優先する草原になったりするのでしょう。

ススキの根株にはナンバンギセルの花の跡が。
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始めて見付けた時には正体が分からず訝しんだものでした。
例年通りのもう少し早い時期に茅刈りをしていると、触るたびに胞子のように細かい黄色のタネをまき散らすので、キノコの仲間かと思っていました。

茅刈りの時期が遅れたせいか、今年はモズもちょっと顔を見せに来たくらいでした。
つがいでやって来ては似合わないやさしい声で鳴き交わしていて、もう茅刈りに張り付いてエサを探し、冬を乗り切るという時期は過ぎてしまったのでしょう。
ちょっと悪いことをしたかなあ。
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かわりにシベリアに帰る前のツグミがやって来て、茅刈りを済ませた茅場を歩き回っていました。

070322 茅刈りの日々 1

茅の収納場所確保に手間取ってすっかり遅くなってしまいましたが、今年もようやく本格的な茅刈りシーズンに突入しました。
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カヤカル'07の刈り残しから仕上げて行きます。

団地の中の原っぱですが、茅刈りをすることで毎年新たに芽吹いた新鮮な草が生い茂ります。
カマキリの卵がたくさんあるのは、その餌となる草を食べる虫達が、たくさん暮らしている何よりの証拠です。
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周りを道路で囲まれているせいで、飛翔力の弱い種類はなかなか入って来れないようですが・・・
いつかスズムシの声を聴ける日が来ると思っています。

さて、以前はカマキリの卵が産みつけられた茅は刈り残していたのですが、そうすると広々とした刈り取り後の原っぱにとても目立ってしまい、みんなカラスがむしって食べてしまいました。
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そこで今ではひとまず集めておいて、後ほどサツキやミモザの薮の中に隠しています。
モズがバッタやカナヘビを食べる様子は愛でておいて、カラスからはカマキリの卵を取り上げようとするのは、はい、えこひいきです。

ミノムシは寄生蜂が広がったせいでめっきり見かけなくなっていますが、茅場の中に残している灌木の枝ではいくつもゆれていました。
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実感として(カマキリの卵を隠したりすることも含めて)人が季節に合わせて関わっている環境では、特定の種類の生き物が急にいなくなったり、逆に急に増えたりということがあまりおきないように思います。

刈り取った後に残る枯れ落ちたススキのハカマやその他の雑草は、そのままにしておいては新しいススキの芽吹きの邪魔になりますし、やがて肥料となり土地が肥えてしまうことになります。
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それは荒れ地を好んで生えるススキにとっては歓迎できないことなので、ススキの草原を維持するためには茅場の野焼きが行われています。
が、団地の中では火をつけるわけにはいきませんので、かわりにレーキで掻き集めて茅場の外に搬出します。
街中で茅場を維持するためには、避けて通れない手間なのですが、これが結構大変です。

でも、落ち葉を取り除いて地面に日が当たるようになると、さっそくタンポポが花を開きました。
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タンポポというと帰化種のセイヨウタンポポが幅を利かせていますが、シロバナタンポポは確か在来種だったはずです。