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070320 ウド小屋

兵庫県三田市のウド小屋です。
もう10年ほど前になりますが、これを偶然目にしたときの衝撃は忘れられません。
「茅葺きのビニールハウス??」
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年の瀬が近づく頃になると、毎年同じ稲刈りを済ませたあとの田んぼに出現していたので、4年前には農家の方が建てているところを見せて頂くために通ったりもしました。

が、職人のくせに一番肝となる部分の技術を忘却してどうしても思い出せずにいたところ、「茅葺きワークショップin能登」に参加された筑波大学の安藤研究室の皆さんが、見学に行かれるとのことだったのでご無理をお願いして同行させてもらいました。

内部はこんな感じ。
歯触りの良いウドを育てるためには日光に当てることは厳禁で、地下の穴の中で栽培する地域もあるほどですが、三田では水稲の裏作として田んぼにウド小屋を組んで栽培されて来ました。
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栽培農家の方は僕の顔を覚えておいででしたので、再び教えを請うのは恥ずかしいことでしたが、あらためて丁寧に教えて下さいました。

早春の出荷時期に合わせてウドを育てるためには、干し草の発酵熱を活用した温度管理が行われています。
役割を終えた干し草が、有機肥料として田んぼに鋤き込まれるのを待っています。
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ウド小屋はただ内部を暗くしているだけではなく、寒風から発酵熱を奪われないように守り、適切な発酵が保たれるように雨水も凌いでいますから、これはもう立派な「茅葺き屋根」です。

小屋を葺く茅は現地の田んぼで栽培されている酒米の稲ワラです。
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稲ワラは発酵熱の温度を調整するために干し草に被せる「マクラ」にも用いられます。また、干し草も夏の間に田んぼの畝刈をした雑草が使われていて、ウド小屋によるウド栽培が表作の水稲栽培と実に上手く組み合わされていることに驚かされます。

ウド小屋のような「はたらく茅葺き」への興味が、最近自分の中では高まっています。たとえば、ころ柿を干す「柿小屋」や別府温泉の「湯の花小屋」、古式塩田で塩を煮詰める「塩屋」など、「茅葺きでなければ」という建物は、意外とまだあるのではないかと。
そのような情報をお持ちの方は、よろしければぜひお知らせ下されば幸いです。
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ちなみに三田でのウド栽培もこのようなビニールハウスが一般的となっていて、ウド小屋を建てる栽培農家は今では三軒だけだとか。

今回あらためて教えて頂いたことを含めて、この農業と密接に結びついた茅葺き文化については、いずれもう少し詳細なレポートをお届けできればと思っています。
同時にこの茅葺きの技術を、体験プログラムにも活用て行きたいと思っています。

070318 茅葺きツアーin能登

能登2日目の午前中はワークショップ開催事務局の案内で、地元輪島市三井の茅葺き集落を訪ねました。
最初に昨日のワークショップでパネラーも務められたM氏のお宅へ案内して頂きました。
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現在でこそ鉄道も廃線となった山村ですが、見事な屋敷構えに日本海航路の要所として栄えた往事が偲ばれます。
こちらの棟はこうがい棟ではなく箱棟が被せられていました。

招かれるままにぞろぞろと家に上がらせて頂いたところ、囲炉裏には火が熾り数ある座敷にはそれぞれ火鉢が据えられていて、美味しいお茶とおにぎりまで供してもてなして下さいました。
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各部屋の火を囲む茅葺き談義の輪が自然と開かれ、あまりの心地よさに思わず後の予定を忘れて長居しそうになったのは、僕だけでは無かったと思われます。

続いて同じ集落内にもう一軒ある茅葺きのお宅と、神社とを見せて頂きました。
ちなみにそれらはどちらもこうがい棟でした。(どうしてもそこへ目が行ってしまいます)
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こちらの神社は住民の皆さんの手で最近直されたそうで、まだ茅の色も鮮やかです。

軒のあたりでひらひらしているのはよく見ると開きにされた肥料袋。
傷んだ軒先を整えるために差し茅をし過ぎてしまい、押さえの竹が屋根の表面近くに押し出されてしまったのを雨から養生しているようです。
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この様子がとても微笑ましく好もしい、と言うと何だか偉そうですが、氏子の方々が創意工夫を凝らして茅葺きのお宮を守っている様が、他人事ながら嬉しくてなりません。
職人の仕事という訳でもありませんしあまりがみがみ言わず、当座の処置として簡単に手に入り加水分解に強く引裂強度もある肥料袋は、なかなか良いアイデアだと思いました。

この辺りでは茅葺きの葺き替えを止めた時に、トタンを被せたもの以上に屋根の小屋組ごと瓦葺きに載せ替えている家が目につきました。
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剥がせば茅葺きに戻るトタンとは異なり、こうなると茅葺きに戻すことは困難になってしまうのですが、この茅葺きから瓦屋根への改造の仕方も、茅葺き同様に地域色が豊かでなかなか興味深いものだと感じています。
特にこの飾り貫の美しい妻壁をみせる「大壁造り」と呼ばれることもあるデザインは、今や北陸を象徴する景観のひとつと呼んでも良いのではないでしょうか。

廃線にSLが走っていた頃にはもっと多くの茅葺き民家が建ち並んでいたそうで、往事の光景を惜しむ声もしきりに聞かれました。
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とはいえこの妻壁がリズミカルに建ち並ぶ風景も、これはこれでなかなかによろしいのでは。
もちろんそこには茅葺きを取り巻いていたような、濃密に人と自然の共生する暮らしは失われてしまっていますが、里山の生態系における茅葺きの占めるべき役割も時代とともに変化して来ているはずですから、全ての家が茅葺きである必要も無いかも知れないという意味で。

見学会は解散後、我々は昼食に寿司をつまみに輪島市内へ。
メインストリートの国道に沿って建つのは、拡幅工事でもあったのか新しい建物ばかり。でも、相当しっかりしたデザインコードが敷かれた様子で趣は失われていません。
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新しい建物ばかりなので、ヤマダさんは「何となくわざとらしくてCGみたい」と心配されていましたが、きっと大丈夫です。本物で造られた建物は時間に磨かれて味わい深くなって行きますから。
「きれいなものは時間を経て汚くしかならないが、美しいものは時間を経ればより美しくなる」

午後からはせっかく奥能登まで来たので、重文の時国家まで足を延ばしました。
近世日本史における時国家の活躍は、網野善彦他多くの先生方の著書で紹介されていますから、差し出がましい真似は控えておきます。

まずは下時国家住宅。
こちらには卒論で神戸の茅葺き調査をしている最中に、就活(屋根屋への)の一環で訪れたことがありましたが、神戸の屋根と同じかたちで倍以上の大きさを持つこの屋根に、遠近感がおかしくなってしまったものでした。
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つい最近半解体修理が行われてより古風な姿となっていました。
棟は良くある「針目覆い」ですが、修理前からだかどうだったかは思い出せません。当時はまだ学生でしたし。

雪囲いのせいもあり中はかなりの暗さ。案内のおばちゃんが囲炉裏端でもてなして下さいましたが、囲炉裏の切ってある半公共空間の「ダイドコ」でこの暗さ。現代の我々の感覚での家族のプライベート空間としての「家」である「ナンド」は、窓も無く昼間でも本当に真っ暗。
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つまり民家が現役の「民の家」だった時代には、住人の生活スタイルも現代とは全く違っていたということです。
私達にとって家は「家族がくつろぐ」ところですが、民家においては家族の空間は「寝る」ためだけにあって、その他は「働く」とか「もてなす」ための空間であり、屋根の下であってもそこは家族にとっては「外部」だったのではと思うのです。
茅葺き「民家」を「住宅」として活用しようとするとき、そもそもそのような空間構成を持って建てられていることをしっかり認識しておかないと、なかなか居心地の良い「家」にはならないでしょう。

続いて上時国家住宅。
さらに大きな屋根で、こちらはこうがい棟です。(しつこいですが)
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屋根は適切に差し茅がなされて手入れが行き届いていました。雪の覆い土地のはずですが、軒のラインに狂いが出ていないことに感心させられます。

こちらは近代まで暮らしに合わせて改造されながら使われて来たしつらいが大切に保存されていました。
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縁側は犬走りまで雨戸で覆い、雨戸には明かり取りの高窓が設けられています。雪に覆われても快適に暮らす、豪雪地帯ならではの工夫なのでしょう。

破れたところだけ丁寧に張り替えられている障子が、まるで抽象絵画のような静謐で緊張感のある表情を見せてくれていました。
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最近ではホームセンターでロールになった障子紙を買って来て、剥離剤を使って丸ごと張り替えるのが当たり前になっていますけれども、障子って本来ここまで美しくなるものだったのですね。

散々勉強したふりをしておいて、最後の締めは手打ち蕎麦。
三食寿司を食べていながら蕎麦も欲張ってしまう。最近旅に出ると食べてばかりです。
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色々な人と会って、色々なものを見て、色々なことを考える機会となったもので、長い日記になってしまいました。最後までお付き合い下さった方はおつかれさまでした。ありがとうございます。

070317 茅文化ワークショップin能登

表題の集まりに参加せて頂くために、ナカノさん、ヤマダさんとともに冬晴れの能登半島を北へ。
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春を前にしてこの冬一番ではというくらいの冷え込みでしたが、時折風花が舞うくらいで雪の気配が無いのがありがたいところです。

会場となった輪島市三井のコミュニティ施設の茅葺き屋根は、関西一円に見られる入母屋のつくりでありながら、サイズがかなり大きめ。さらに棟の収めが千古の家や白川郷の合掌造りと同じ「こうがい棟」なのが北陸の地域色を引き立てています。
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家の周りには茅の雪囲い。
刈り取った茅を乾かしながら、落雪や寒風から家を守る素晴らしい暮らしの知恵だと思います。

シンポジウム形式で進められたワークショップは、生活に根差した体験談あり、珍しい事例報告あり、新鮮な切り口の茅葺き文化の解釈の提言ありと、飽きる間もなく時間が過ぎて行きました。
我々のように茅葺きの話題に惹かれて集まったものだけではなく、地元の方々が大変多く参加されているのも印象的でした。
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最近のこの手の集まりでは「茅葺きをどう活かすか」という前向きな話題が多く、「茅葺きを遺すためになんとかしてほしい」というような悲痛な話を聞かされることが少なくなって来ていて、時代の風向きは確実に良い方へと変わって来ていることを実感します。

ワークショップが散会しても拭き漆に彩られた座敷へと会場を移して、夜遅くまで参加者の皆さんと実りの多い会話と美味しい魚を楽しませて頂きました。
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日本における茅葺きの在り方も、そろそろ大きく変わる気配が立ち込めているように思います。
もちろん、それは人任せにしてしまうのではなく、自分もまたより良い未来のために万分の一の務めを果たさなければならないわけですが。

それにしてもさすがは輪島。宿をとった民宿では、温泉を引き入れた浴場の桶も脱衣かごも漆塗りでした。
輪島でも他のいくつかの漆器産地と同様に、現代の普段着の暮らしに取り込める漆器の在り方を模索していて、新しいライフスタイルの提案とそれに見合う新しいデザインの工芸品の開発は、日々茅葺きをどうプロデュースしていくか悩んでいる頭に良い刺激を与えてくれました。
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少し意地悪なことをあえて言えば、原料の漆を中国からの輸入に頼らざるを得ないのが残念に思います。
人里に生えるウルシの生産を高めることは、能登の財産のひとつである健全な里山の再興と結びつけられるはずなので。
もちろん、一朝一夕に成果の出ることでは無いでしょうから、既にそのような取り組みは始められているのかもしれませんけれども。

070315 茅屋根の重さ

神戸の西にある実家に顔を出し、犬を連れて明石海峡を望む高台に登ると夕焼けがきれいに見えました。
毎日この夕焼けを見ながら育ったので、美山に移った当初は山に囲まれているせいで、夕焼けが見れないまま暗くなってしまうことに気が滅入ったものでした。
今ではすっかり慣れましたけれど。
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未だに馴染めないのはこの非常識に大きな橋。
小学生の時に造り始めたときから、冗談みたいに大きくて子供心に笑わずにはいられませんでした。
四国に行く時には便利でよく使っていますけれども。

さて、保管してある茅を養生するための単管の覆いも、ようやくトタンの屋根を張るところまでこぎ着けました。
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「屋根屋ですが茅葺きしか葺けません」ので、トタンを張るのも時間ばかりかかって、なかなかきれいには納まりまらないのです。

それでもとにかく雨露は凌げるようになったので、さっそく野積みにしてある茅を運び込もうとしたのですが、案の定ブルーシートをめくってみると雨水が入り込んでいて3分の1ほどの茅が濡れてしまっていました。
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夏だったら全滅の大損害だったところです。
幸い冬場だったので腐朽には至っていませんでしたから、できたばかりの屋根の下に立てかけて乾かします。こうして立てて風を通してやれば数日のうちに乾燥するはずですが、単管の覆いは物干し場となってしまったので、全ての茅を運び込めるのはまた先に延びてしまいました。

茅を運び込むついでに、乾いた分の茅の一束あたりの重さを量ってみました。
この茅は北上川産のヨシですが、38束量って平均が4.097キログラム。
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平方メートルあたりだいたい15束程度必要になるので、美山町サイズの屋根だと18トンくらいになる計算です。
これは茅だけの重さですから、さらに竹や縄の重量が加わります。茅葺きがとても重いということを説明しても、なかなか信じてもらえないことがあるのですが、こうして量ってみるとやはり相当なものです。

念のために申し添えておくと、金物を使わず木を組んで建てられる伝統的な日本建築は、上から荷重がかかってはじめて安定するものですから、重いということは別に悪いことではありません。
ただ、それに見合うだけのしっかりした構造が必要とされるということです。

野積みにしていた茅の山を崩して行くと、こんな可愛らしい借家人が出て来ました。
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茅とビニールひもを細く裂いて作った巣にくるまって冬を越していた、カヤネズミでしょうか?ヤチネズミでしょうか? 親指よりも小さな野ネズミが。

0301 刈込み/竣工

棟を収めたら仕上げの刈込みに入ります。
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足場の丸太を外しながら、屋根の上から下へと鋏を入れて仕上げて行き、軒まで来たらまず軒の裏を刈り落とします。

それから軒の厚みが揃うように屋根の上側も刈り揃えて、軒の水切りが決まります。
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お寺からの要望で、棟から軒にカラス除けのテグスを張り巡らすことになりました。
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ただ、カラスが本気で屋根に止まろうと思えば、たとえかやぶき音楽堂のようなステンレスワイヤー を張っていても止まるでしょう。

まあ、カラスがどんな動機で「本気になって止まろう」と思うのか、カラスの気持ちが判らないことには、なかなか効果的な対処法を見付けるのは難しそうです。
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どなたかカラスの茅葺きへの興味の持ち方について、観察してみようと思われましたらぜひご連絡下さい。

ともかく屋根の葺き替えは完成です。
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足場の解体は今回は元請けさんの仕事なのですが、足場の上の掃除が終わったところで飛散防止ネットを外させてもらいました。

もともと衣笠山を借景として建てられた清蓮亭でしたが、現在では背後に立命館大学の校舎が建っています。
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校舎を隠すために竹や高木を密に植えてあるので、茶室の周りだけ混み合ってバランスが悪いように思われるのが惜しまれます。

もっとも、山が無くなった訳ではありませんし、庭園は六百年の歴史を誇るそうですから、これからも新しい歴史を重ねて守って行けば、六百年後までにはまた往事の眺めを取り戻していることでしょう。

0225 棟収め

寄せ棟の清蓮亭は下地だと武相荘のミニチュアみたいでしたが、棟を上げれば京都の庭園にふさわしい表情となるはずです。
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茅葺き屋根の地域性がもっとも顕著に現れるのはやはり棟です。

昨年たくさん積んだ関東の屋根は、どれも断面が半円のカマボコ型でしたが、関西の茅葺き屋根の棟は断面が三角になります。
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棟は一番最後の押さえ竹から縄(現在は多く針金ですが)を取って固めます。一度に高く積み上げると固まらないので何回かに分けて固めるのですが、その際に関西では押さえ竹から針金を取るのは1回目だけで、2回目は1回目に固めた針金から、3回目は2回目の針金からと、上に上にと鏡餅のように積み上げていきます。

最後の押さえ竹から屋根表面までのギャップを埋めるために、半分に切ったススキの穂先の方を、棟の根元に段が付くようにして並べて止めます。
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両端には並べたススキがこぼれないように、杉皮でススキを巻いたものを固定しておきます。

雨養生に杉皮を被せて竹で押さえます。
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竹を押さえる縄(今回は針金ですが)は杉皮を割って棟の中から取らなければなりませんが、その位置は次の工程で棟飾りが乗る位置に揃えておきます。

茅束を杉皮で巻いた棟飾りは単なる飾りではなく、杉皮を押さえた竹を縫い止める縄を、雨から養生する働きがあるので「針目覆い」と呼ぶ地方もあります。
美山では捻りなく「マキワラ」と呼んでいますが。
針金だと雨が伝って漏る心配もあまりないので、単なる飾りにしてしまってもよいのですが、せっかくなのでマキワラが隠してくれる位置で、押さえ竹を止める針金を取っておきます。
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杉皮の端を揃えてはみ出した茅を切り揃えれば棟は完成です。

0221 葺き上げ/手針

手入れの行き届いていない茅場で刈り取ったススキには、このように根元がえげつない曲がり方をしているものがあります。
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ただ、ヨシだと毎年刈り取っているヨシ原でも、このように曲がったものがちらほら混じります。
環境だけではなく遺伝子などの先天的な原因があるのかもしれません。

イギリスの茅葺き職人は、このように曲がったヨシのことを Dog Legs と呼んでいました。
犬の後ろ足みたいな曲がり方だと思いませんか?

さて、屋根に手を突っ込んで竹押さえの針金をとっていると書きましたが、具体的な方法について。
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分厚い茅の中にいきなり手を突っ込むのは大変(というより無理)なので、このような道具を使います。

「テバリ(手針)」とか「カイ(櫂)」とか呼ぶようですが、美山ではもともと使わない道具なので、ウチの現場ではまだ呼び名が安定していません。
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そのカイを屋根に差し込みます。

感触を頼りに垂木の位置を探し出し、
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90度捻って茅に隙間をつくります。

そこに手を突っ込んで垂木に針金をかけます。
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今回の現場では天井が張ってあり屋根裏に入れないので、仕方なくこのような方法をとっていますが、地域によっては日常的にこの方法を用いられる職人さん達もおられます。

捻ったカイを戻して引き抜けば、茅に開けられた隙間は塞がります。
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とはいえ一旦きれいに並べた茅を開くのがためらわれるのと、1カ所の隙間から通した針金や縄で押さえの竹を締めれば、垂木の太さの分だけ茅は割れてしまいます。
垂木の左右に分けて差した針の縄なり針金を、屋根裏に入ってもらった人にかけかえてもらえればそのようなことはおきないので、やはり僕は出来れば手針は避けたいのですが。

ちなみにカイは普通木製です。
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カイに適した板材がなかなか手に入らないので、金属製のものを色々試作して試しているところです。

手間のかかる手針を繰り返してようやく葺き上がりました。
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次は棟収めです。

070218 カヤカル'07

神戸の落合団地での茅刈り体験会、冬晴れでの開催が恒例なのに当日は朝まで気をもむ天気でしたが、何とか雨が降ってくることも無く今年も無事に終了しました。
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直前の告知になってしまったにもかかわらず、朝早くから15名の方々が集まって下さいました。

年々親子で参加して下さる方が増えているのも嬉しいことです。
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安全管理の面で心配が全くない訳では無いのですが、そんなことより我々以上に心配なはずの保護者の方が、お子さんを連れて来て下さるのがとても嬉しいです。

子供の時に体験しなかったことは、大人になったときに懐かしく思い出すことは出来ない訳ですから。
刈りたての茅の匂いや茅束の暖かさを、いつか彼らが懐かしく思い出してくれることがあれば、それこそ本当に嬉しいことです。

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茅場の周りの団地にお住まいの方々にも、もっと茅場のことを知って頂きたいので、歩道橋には茅と茅葺きに関するパネルを掲示しておきました。

茅刈りは始めると結構大人を熱中させてくれます。
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子供たちの方はやがて刈ることに飽きて来ても、茅場には他にも興味を引くものはたくさんあります。

冬でも茅場で見られる色々な生き物たちもそのひとつ。
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眠たげなカナヘビの他にもバッタの仲間やカマキリの卵などなど。

そして、子供たちの他にもそんな小さな生き物たちを狙っているものが。
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茅を刈って地面が現れた場所をさっそく見張っていたモズ。
参加者のコバヤシさんが撮影された写真を送って下さいました。

最後に刈り取った茅束を皆で搬出。
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夜明け前まで降っていた雨のせいで午前中に刈った茅はやや湿っていましたが、倉庫の軒先に立てておけば冬の神戸の風が乾かしてくれます。

参加者、スタッフのの皆さんお疲れさまでした。
色々不手際も多かったことと思いますが、茅刈りの環が少しずつでも広がっていくような活動にして行きたいと思っていますので、これからもよろしくお願いします。

0216 葺き上げ/蕎麦打ち

清漣亭の現場では禅定寺かやぶき音楽堂をお手伝いしたヤマダさんに、今度は応援に来て頂いています。
ヤマダさんは最近蕎麦打ちに凝っているらしくて、手打ち蕎麦で飲み会となりました。
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蕎麦を打つ親方の脇でこねる弟子のナカモリ君。何の師弟?

素人の蕎麦でも打ち立ては格別です。
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食べる方はまかせて下さい。

さて屋根の方も、もちろん日々進行しています。
茶室のような小さな屋根は、軒を付けた茅の穂先がもう棟に届きそうになります。
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それではすぐに葺けてしまうかというと、茅葺きは茅を固定するために竹で押さえるところが屋根表面から深いところにありますし、さらに竹より奥の茅も「余った」部分ではなく、そこをしならせたり押さえたりして、それらが全て表面の仕上がりに関係して来ます。
つまり軒から棟までが短いと、屋根の深いところで表面を具合良く収めるための工夫をする余地が少ないということであり、難しいコーナーの数も屋根の大きさに関係なく4つある訳ですから、小さな屋根ほど茅葺きは手間がかかり難しくなります。

加えて茶室のように天井が張ってあると、竹を押さえる針金を垂木にかけるために屋根裏に上がることが出来ませんから、外側から茅を割って手を屋根に突っ込み垂木を探ることになります。
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これがまた結構な手間なので、美山で民家の屋根を葺くようには作業が進みません。

0213 続・軒付け

武相荘の雑木の庭も感じの良いお庭でしたが、何百年と箒で掃き続けられて苔むした、古都の庭園の風格もやはりさすがのものです。
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我々は裏側から観ることになる訳ですが、それはそれでなかなか。

軒先は一番多くの雨水に曝されて傷みやすい部分です。
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ヨシの束を針金でかきつけて丈夫につくります。

さらに竹で押さえて軒のラインを整えれば、一息つける軒の完成です。
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ここで上手く軒がついていなければ、後で誤摩化そうとしても良い屋根にはなりません。

逆に軒が上手くついていれば、葺いて上がって行くのもはかどります。
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明日は荒れ模様の天気予報ですから、念入りに雨養生して帰りましょう。