投稿者「webmaster」のアーカイブ

0425 軒付け(厚め)

関西では茅葺きの軒の厚みは、2尺=60㎝くらいです。下地の垂木の一番低いところ、広小舞の際から縄を取った位置に置いた押さえ竹で、軒の先端をしっかり固めるにはそれくらいが限度になるからです。

でも、東日本に来ると厚さが1m前後もある大きな軒の茅葺き屋根がたくさんあります。
覚園寺でも軒の厚さは3尺=約90㎝。
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軒の厚さを決めているのは、屋根の大きさよりも軒の高さが関係しているように思います。
民家は庇の無い葺き下しであれば、大きな屋根のお屋敷でも軒は高くて2.5m程度まで。普通は2mくらいで、建物を正面から見たときに、軒裏よりも屋根全体のボリュームが強調されるため、分厚い軒をつけなくてもそれほど不自然な感じはしないと思います。

それが神社仏閣のように見上げる高さに軒があると、屋根の大きさに比例して軒も厚くしていかないと、プロポーションが崩れて貧弱に見えてしまうのです。

関西では茅葺きのお寺というと草庵風であったりするもので、軒を見上げるような立派な造りになると、瓦葺きや桧皮葺きにするのが一般的です。一方で東日本には茅葺きの凝った造りの本格的なお堂がたくさんあります。
僕は歴史家でも建築史家でもありませんが、日本の中にも地域によって、明らかに異なる文化を背景とした美意識の存在を感じます。

ところで、普通につければ軒の厚みは2尺くらいが限界と書きましたが、3尺の軒をつけるためには、そのための技術がちゃんとあります。
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下地の垂木から縄を取れる位置で、押さえの竹を2列以上確保して、それらの竹に直角に交わるように(つまり茅と同じ向きに)短い竹を1尺ピッチくらいで差し入れます。この時短い竹の外に向けた先端が、てこの要領で下向きに押さえる力がかかるようにしておきます。この短い竹を利用すれば、下地の一番低いところよりも、さらに外側に押さえ竹を設置することができるようになり、厚い軒の先端までしっかりと押さえることができるようになるのです。

西日本とは異なる、東日本の文化的な嗜好に応えるために、編み出された技術のように思われます。関東東北には、他にも関西に無い軒付けの工夫が色々とあって興味が尽きません。
sh@

0421 現場入り 鎌倉

奈良の宇陀のスミタさんのお手伝いで、覚園寺というお寺の本堂を葺き替えに、鎌倉へやって来ました。
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鎌倉に来てからなかなかネットに接続できなくて、実はこの日記も4/25に書いています。
MobilePointで接続するには事前に手続きが必要ということを知らなくて。色々な方に色々とご迷惑をおかけしました。すみません。そして、ありがとうございました。

スミタさんは文化庁による選定保存技術認定者として、現在のところ唯一人の茅葺き職人です。
もちろん、文化財行政へ協力できる度合いには人それぞれの事情があるでしょうから、単純にスミタさんが日本一の茅葺き職人として認定されているという話ではないのでしょうけれども、名人と呼ばれる方のお一人であり、僕などは及びもつかないキャリアをお持ちの方です。

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ま、ともかくやや遅れて現場へ合流しました。丁度、軒付けが終わったところ、の様に見えます。が、実はまだまだこれから軒を厚くしていきます。既に2尺の軒がついていますが・・・

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それにしても、鎌倉の暖かいことに驚かされました。さすが老舗避寒地。
神戸はまだ芽吹き時だったというのに、ここでは既に新緑が目に眩しくて。二週間は季節がスキップしましたね。なんだかちょっと損をした気分もします。
美山なんか桜が満開だったのに。
sh@

060419 美山の春

明日から鎌倉に長期滞在となるので、準備のために久々に美山の自宅に帰って来ました。
京都の山奥では今がソメイヨシノの盛りです。
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僕の住む集落の入り口にある、小さな茅葺きのお堂。密かに自慢に思っています。
もっとも、この屋根の葺き替えには、まだ関わった事は無いのですけれども。
sh@

060417 晩春

神戸の雑木林が芽吹き始めました。サクラからツツジの季節へ。
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深紅から黄緑までのあらゆる色の点描の霞を透かして、雑木林の林床にはサツキの鮮やかなピンクがぼんぼりのようにうかんでいます。
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茅刈りの済んだ茅場はスミレの花畑となりました。
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0414 刈り込み

あいな里山公園ではハサミ仕上げでしたが、今回は差し茅=補修工事ということもあり、工期や予算を勘案してエンジンヘッジトリマーを使って刈り込みます。
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ヘッジトリマーを使う場合は、ハサミのように刈り込みながら平面をつくることは難しいので、事前に叩き揃える段階で屋根のかたちを仕上げておかなければなりません。

足場を外しつつ上から順に刈込み、仕上がったら例のアワビの貝殻を、括りつけた竹串を茅と平行に屋根に差し込み設置して行きます。
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「ヨシ葺きの屋根に、アワビと鎖のアクセント」は山城から近江にかけて、茅葺き民家の地域的な意匠として定着している感があります。
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アワビの貝殻は(気休めの)鳥除け。鎖は何のために?と、昔尋ねたところ、「火事のときに上がるためだ」と教えられました。
燃えている屋根に消しに上がるなんて、随分危険なことをするものだと思いましたが、そうではなくて、火の見櫓として使うためだそうです。確かに茅葺きの屋根は田舎では高層建築で、棟まで上れば見通しは利きます。
隣家の火災に際して「飛んで来た火の粉を延焼しないように消してまわる」こともするそうです。ちょっと危ないような気もしますけれど。
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やはり、どちらかと言うと意匠的な意味合いが強く残っているように感じます。
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だからこそ、お施主さんも鳥よけの効果には首を傾げながらも、こうして交換用の新しいアワビの貝殻を用意して下さる訳で。
実際、山中の茅葺き屋根とアワビの貝殻という唐突な組み合わせは、なかなかかわいらしいかもしれない。という気もしてきました。段々と。

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sh@

0413 今日まで差していました

今年の春はやけに雨が多いですね。
あまり降られると、屋根屋のフトコロは干上がってしまいます。
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その間に、宇治田原の桜もようやく満開になりました。

今回差し茅するのはここまでです。
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茅葺き屋根は部分によって当然傷み方に差が出ますから、効率よくメンテナンスするためには何回も分けて葺くなり差すなりすることになります。
ここより上は棟を積み替えるときに同時に葺き換える予定です。

ところで、禅定寺の茅葺きの本堂に並んで建つ、薬師堂は土蔵造りでした。
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あまり他では見た記憶がありませんが、こういう例は他にも結構あるものなのでしょうか。
sh@

0408 今日も差しています

今日はひどい黄砂が降りましたね。

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葺き替えの場合、最初の古屋根の解体は汚れる作業で、場合によっては顔の前後ろも解らぬほど煤まみれになりますけれど、新しい茅で葺くようになればそんなに汚れません。
でも、差し茅だと最後まで古茅と縁が切れない訳で、毎日ほこりまみれになります。
それに加えて今日は黄砂。やれやれ。

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sh@

0407 差しています

八幡の市内は桜が満開となりましたが、現場のある宇治田原では、つぼみほころぶ程度でまだ梅の方が盛りです。
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それでも、暖かな日が続いて昨日はアマガエルの初鳴き。
かえるの季節が始まります。

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今日はこれだけ。
sh@

0406 茅材としてのヨシ

禅定寺の茅葺き屋根は、ヤマダさんによるとおそらく琵琶湖産のヨシで葺かれています。
そして、今回差し茅のために用意されたのは、宇治川の「中書島」で山城萱葺屋根工事によって刈られたヨシです。
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'06カヤカルvol.1で刈り取った淀川の「南方」のヨシと比べると、長さも太さも倍以上、手触りも違うし、とても同じ種類の植物とは思えません。

現在、茅材として流通しているヨシの主な産地は、宮城県の北上川河口と青森県の岩木川河口、それに琵琶湖の西の湖周辺です。
前2カ所は海水の混じる汽水域に広がるヨシ原で、淀川のヨシ場も大阪湾の潮の影響を受ける干潟にありますが、いずれも細くパリッとした感じの茅になります。塩分が作用するとそのようなヨシになるのかもしれません。

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宇治川のヨシは琵琶湖のそれと同じように触った感じは少し柔らかめ。太く大きくなるので、差し茅用に1m前後に切った茅が、一束のヨシから3つくらいもとれます。
太くて丈夫な一番根元、材の揃った二番目、先細りで柔らかめの三番目以降を、それぞれ適材適所に使い分けます。
海水の混じらない場所に生える、これがヨシ本来の姿なのか? 或いは琵琶湖の富栄養化した環境のせいで大きく育つのか? 常々気にかかっていましたが、最近そもそも琵琶湖のヨシは大きくなる遺伝子群だという話も耳にしました。もし、そうだとすると淀川水系のどのあたりで、宇治川タイプのヨシと淀川タイプのヨシが住み分けているのか・・・

分類上は同じ植物なのでしょうけれど、茅材としては全く別ものです。どちらが優れているということはありませんけれども(地元の屋根屋さんはそれぞれ自分の使っているタイプのヨシを「日本一の茅」と言いますが)、葺き方は違うのできちんと使い分けることが肝心だと思います。

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sh@

060405 八幡めぐり

春の雨にしては少々肌寒い一日。
現場は動かせないので、ヤマダさんが八幡界隈を案内してくれました。くるまで。

八幡にある重文の茅葺き民家、I家住宅。公開はされていませんが、ヤマダさんのお供ということで特別に見せて頂きました。
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このブ厚い軒はこの家の見所なのですが、これって軒を残して葺き替えを繰り返しているうちに、こんな風に「なってしまった」のかもしれませんね。

たわんでいるし。
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当初は麦わらとかススキの軽めの茅材で葺かれていて、軒が厚くなっても気にされなかったのが、重量のあるヨシで葺き換えられてしんどくなってしまったのかも。

こちらはさらに驚きました。何と、裏に回ってみると総2階。
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増築に次ぐ増築の結果なのでしょうが、ここまで来たら茅葺きでなくても良いのでは?と思う程です。それでも表側を茅葺きにしているのが気概ってものなのでしょう。

こちらのお宅で、個人的に心惹かれたのがこの外蔵。
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軒下の垂木隠しがナミナミしていて、何ともかわいらしいというか、洋風な雰囲気も漂います。

八幡と言えば「流れ橋」。
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堤防沿いにすばらしい自転車道が整備されているし、やはり天気の良い日にチャリンコで再訪したいと思います。
余談ですが、この流れ橋周辺の土手の草刈りも、ヤマダさんの「山城萱葺屋根工事」で行っています。代々、巨椋池周辺のヨシ原の入会権を持ち、冬に刈り取ったヨシをスダレに加工して販売していたヤマダ家ですが、輸入品に押されてスダレの販路を失うと、ヨシは主に材料として出荷し、春夏は草刈りのノウハウを活かして堤防の管理をされています。
最近ではヨシの需要を広めるために、自らも修行して屋根屋となってヨシ葺きに忙しくされているという訳です。
何百年も欠かすこと無く毎年のヨシ刈りで手入れされて来たヨシ場を、時代が移ろっても柔軟な対応と人生をかけた覚悟で、次の世代に引き渡すべく守り続ける。
良い話。

最後に解体修理中の、田辺のこれも茅葺きの重文、S家住宅。
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これは・・・難しそうだぞ。
2棟がLの字につながっているのですが、それぞれの面がきちんと通っている訳ではないし。下地を組むだけで一苦労だろうなあ。
それだけにやりがいはありそうですが、残念ながらこの現場の茅屋根葺きが始まるのと入れ違いに、別の現場へ応援に行くことが決まってしまっているので、あくまでも見学のみ。後ろ髪引かれつつ後にしました。

今日はあまりものを考えないようにして、観光気分に浸っていました。
sh@