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070630 茅葺きシンポ@佐賀県鹿島市

佐賀県鹿島市で開催された、全国茅葺き民家保存活用ネットワーク協議会のシンポジウムに参加するために、美山の屋根屋6人、くたびれたワゴンに乗り合わせて九州まで行って来ました。

夜通し高速を飛ばして来たので、まずは朝風呂を使いに雲仙の小浜温泉へと向かいます。
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島原半島を巡る海岸道路に入ったところ、千々石という町でまるで要塞のような見事な石垣の棚田が目に入りました。

松原の海岸から集落のある山の麓までには、結構な面積の平田も広がっています。
集落背後の急峻な斜面の側も開墾して、見事な棚田を築き上げたいきさつなど興味をそそられます。
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石積みで畔の薄い棚田は、地元の京都や兵庫の棚田と比べると、随分とシャープな印象を受けます。

会場近くの伝統的建造物群保存地区「肥前浜宿」へと移動し、腹ごしらえの後開会時間まで散策しました。
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白壁の美しい街並をつくる酒蔵の多くが、現役なことを知り個人的な期待が膨らみます。
ここは街道町のなかに茅葺きの建物も多くあるということで、明日の見学会で時間をかけて見て回るのも楽しみです。

さて、本題のシンポジウムについて。
今回のタイトルは「今、茅葺き民家にすまう意義」ということで、いよいよ茅葺きを住宅として活用することについて語られるようになって来たことに、まず感慨を覚えます。
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地元鹿島市で肥前浜宿地域の伝建地区指定に携わった方々からは、現代の住宅として活用するために再生する事例と、文化財として将来に伝えるために保存する事例とのコンセプトの違いや、高潮対策や道路拡幅などの都市計画プラントの兼ね合いなどに苦労しながらも、保全を進めて行く中で若い方の中から職人を志望する人が増えて来たり、体験会に参加した小学生や高校生から予想以上の大きな反響を得るなど、地元に密着した財産として愛されるようになって来ているという報告がありました。
茅葺きの工事を行うに際して、やはり建築基準法の規定がネックになることが多いとのことでしたが、地元の財産として認識されることが、法の運用規定を変えて行くためにも一番の近道であることは間違いないでしょう。

筑波大学の安藤先生からここ一年の茅葺きをめぐる話しとして、昨年富士河口湖町にオープンした「癒しの里 根場」 が紹介されていましたが、単に富士山麓に茅葺き民家の建ち並ぶテーマパークではなく、職人の交流の場や、訪れる人達とともに茅葺きの文化を再興して行く場としての展望を語られていたのが印象的でした。

また、筑波において実際に茅葺き民家を現代建築としてレストアされた事例においては、Iターン住人が茅屋根葺き替えのために稲ワラ確保を通じて、地元農家と交流を持ちその土地に住まう作法を学ぶという話しがあり、それは自らがIターンで茅葺き民家に暮らしている新田氏による、茅葺きを通じて暮らしに深みが生まれ交流も広まったという話しや、石川県茅葺き文化研究会の坂本氏の、実際に茅を葺く機会を設けることで、地元の高齢者のあいだで忘れかけられていた、文化としての茅葺きの記憶が呼び覚まされたとの報告と並んで、茅葺きを「住む道具」として活用することの意義の高さを、示してくれていたように思います。

大分県在住の茅葺き職人、井手氏からは、杉皮を挟み込んだ独特の茅葺き屋根についての詳しい報告と、そのような茅葺きとともに生きる職人の暮らしについての話しがあり、同行の美山の若い職人たちは一番食い付いていました。
氏の活躍される茅葺きと棚田の美しい浮羽地域も、明日に見学可能だということで期待が膨らみます。

夜は鹿島市重要文化財の茅葺きの旧乗田家住宅において、地元の方が用意して下さった有明海の幸と地酒を楽しみながらの「情報交換会」が、遅くまで賑わっていました。

070318 茅葺きツアーin能登

能登2日目の午前中はワークショップ開催事務局の案内で、地元輪島市三井の茅葺き集落を訪ねました。
最初に昨日のワークショップでパネラーも務められたM氏のお宅へ案内して頂きました。
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現在でこそ鉄道も廃線となった山村ですが、見事な屋敷構えに日本海航路の要所として栄えた往事が偲ばれます。
こちらの棟はこうがい棟ではなく箱棟が被せられていました。

招かれるままにぞろぞろと家に上がらせて頂いたところ、囲炉裏には火が熾り数ある座敷にはそれぞれ火鉢が据えられていて、美味しいお茶とおにぎりまで供してもてなして下さいました。
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各部屋の火を囲む茅葺き談義の輪が自然と開かれ、あまりの心地よさに思わず後の予定を忘れて長居しそうになったのは、僕だけでは無かったと思われます。

続いて同じ集落内にもう一軒ある茅葺きのお宅と、神社とを見せて頂きました。
ちなみにそれらはどちらもこうがい棟でした。(どうしてもそこへ目が行ってしまいます)
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こちらの神社は住民の皆さんの手で最近直されたそうで、まだ茅の色も鮮やかです。

軒のあたりでひらひらしているのはよく見ると開きにされた肥料袋。
傷んだ軒先を整えるために差し茅をし過ぎてしまい、押さえの竹が屋根の表面近くに押し出されてしまったのを雨から養生しているようです。
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この様子がとても微笑ましく好もしい、と言うと何だか偉そうですが、氏子の方々が創意工夫を凝らして茅葺きのお宮を守っている様が、他人事ながら嬉しくてなりません。
職人の仕事という訳でもありませんしあまりがみがみ言わず、当座の処置として簡単に手に入り加水分解に強く引裂強度もある肥料袋は、なかなか良いアイデアだと思いました。

この辺りでは茅葺きの葺き替えを止めた時に、トタンを被せたもの以上に屋根の小屋組ごと瓦葺きに載せ替えている家が目につきました。
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剥がせば茅葺きに戻るトタンとは異なり、こうなると茅葺きに戻すことは困難になってしまうのですが、この茅葺きから瓦屋根への改造の仕方も、茅葺き同様に地域色が豊かでなかなか興味深いものだと感じています。
特にこの飾り貫の美しい妻壁をみせる「大壁造り」と呼ばれることもあるデザインは、今や北陸を象徴する景観のひとつと呼んでも良いのではないでしょうか。

廃線にSLが走っていた頃にはもっと多くの茅葺き民家が建ち並んでいたそうで、往事の光景を惜しむ声もしきりに聞かれました。
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とはいえこの妻壁がリズミカルに建ち並ぶ風景も、これはこれでなかなかによろしいのでは。
もちろんそこには茅葺きを取り巻いていたような、濃密に人と自然の共生する暮らしは失われてしまっていますが、里山の生態系における茅葺きの占めるべき役割も時代とともに変化して来ているはずですから、全ての家が茅葺きである必要も無いかも知れないという意味で。

見学会は解散後、我々は昼食に寿司をつまみに輪島市内へ。
メインストリートの国道に沿って建つのは、拡幅工事でもあったのか新しい建物ばかり。でも、相当しっかりしたデザインコードが敷かれた様子で趣は失われていません。
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新しい建物ばかりなので、ヤマダさんは「何となくわざとらしくてCGみたい」と心配されていましたが、きっと大丈夫です。本物で造られた建物は時間に磨かれて味わい深くなって行きますから。
「きれいなものは時間を経て汚くしかならないが、美しいものは時間を経ればより美しくなる」

午後からはせっかく奥能登まで来たので、重文の時国家まで足を延ばしました。
近世日本史における時国家の活躍は、網野善彦他多くの先生方の著書で紹介されていますから、差し出がましい真似は控えておきます。

まずは下時国家住宅。
こちらには卒論で神戸の茅葺き調査をしている最中に、就活(屋根屋への)の一環で訪れたことがありましたが、神戸の屋根と同じかたちで倍以上の大きさを持つこの屋根に、遠近感がおかしくなってしまったものでした。
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つい最近半解体修理が行われてより古風な姿となっていました。
棟は良くある「針目覆い」ですが、修理前からだかどうだったかは思い出せません。当時はまだ学生でしたし。

雪囲いのせいもあり中はかなりの暗さ。案内のおばちゃんが囲炉裏端でもてなして下さいましたが、囲炉裏の切ってある半公共空間の「ダイドコ」でこの暗さ。現代の我々の感覚での家族のプライベート空間としての「家」である「ナンド」は、窓も無く昼間でも本当に真っ暗。
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つまり民家が現役の「民の家」だった時代には、住人の生活スタイルも現代とは全く違っていたということです。
私達にとって家は「家族がくつろぐ」ところですが、民家においては家族の空間は「寝る」ためだけにあって、その他は「働く」とか「もてなす」ための空間であり、屋根の下であってもそこは家族にとっては「外部」だったのではと思うのです。
茅葺き「民家」を「住宅」として活用しようとするとき、そもそもそのような空間構成を持って建てられていることをしっかり認識しておかないと、なかなか居心地の良い「家」にはならないでしょう。

続いて上時国家住宅。
さらに大きな屋根で、こちらはこうがい棟です。(しつこいですが)
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屋根は適切に差し茅がなされて手入れが行き届いていました。雪の覆い土地のはずですが、軒のラインに狂いが出ていないことに感心させられます。

こちらは近代まで暮らしに合わせて改造されながら使われて来たしつらいが大切に保存されていました。
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縁側は犬走りまで雨戸で覆い、雨戸には明かり取りの高窓が設けられています。雪に覆われても快適に暮らす、豪雪地帯ならではの工夫なのでしょう。

破れたところだけ丁寧に張り替えられている障子が、まるで抽象絵画のような静謐で緊張感のある表情を見せてくれていました。
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最近ではホームセンターでロールになった障子紙を買って来て、剥離剤を使って丸ごと張り替えるのが当たり前になっていますけれども、障子って本来ここまで美しくなるものだったのですね。

散々勉強したふりをしておいて、最後の締めは手打ち蕎麦。
三食寿司を食べていながら蕎麦も欲張ってしまう。最近旅に出ると食べてばかりです。
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色々な人と会って、色々なものを見て、色々なことを考える機会となったもので、長い日記になってしまいました。最後までお付き合い下さった方はおつかれさまでした。ありがとうございます。

070317 茅文化ワークショップin能登

表題の集まりに参加せて頂くために、ナカノさん、ヤマダさんとともに冬晴れの能登半島を北へ。
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春を前にしてこの冬一番ではというくらいの冷え込みでしたが、時折風花が舞うくらいで雪の気配が無いのがありがたいところです。

会場となった輪島市三井のコミュニティ施設の茅葺き屋根は、関西一円に見られる入母屋のつくりでありながら、サイズがかなり大きめ。さらに棟の収めが千古の家や白川郷の合掌造りと同じ「こうがい棟」なのが北陸の地域色を引き立てています。
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家の周りには茅の雪囲い。
刈り取った茅を乾かしながら、落雪や寒風から家を守る素晴らしい暮らしの知恵だと思います。

シンポジウム形式で進められたワークショップは、生活に根差した体験談あり、珍しい事例報告あり、新鮮な切り口の茅葺き文化の解釈の提言ありと、飽きる間もなく時間が過ぎて行きました。
我々のように茅葺きの話題に惹かれて集まったものだけではなく、地元の方々が大変多く参加されているのも印象的でした。
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最近のこの手の集まりでは「茅葺きをどう活かすか」という前向きな話題が多く、「茅葺きを遺すためになんとかしてほしい」というような悲痛な話を聞かされることが少なくなって来ていて、時代の風向きは確実に良い方へと変わって来ていることを実感します。

ワークショップが散会しても拭き漆に彩られた座敷へと会場を移して、夜遅くまで参加者の皆さんと実りの多い会話と美味しい魚を楽しませて頂きました。
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日本における茅葺きの在り方も、そろそろ大きく変わる気配が立ち込めているように思います。
もちろん、それは人任せにしてしまうのではなく、自分もまたより良い未来のために万分の一の務めを果たさなければならないわけですが。

それにしてもさすがは輪島。宿をとった民宿では、温泉を引き入れた浴場の桶も脱衣かごも漆塗りでした。
輪島でも他のいくつかの漆器産地と同様に、現代の普段着の暮らしに取り込める漆器の在り方を模索していて、新しいライフスタイルの提案とそれに見合う新しいデザインの工芸品の開発は、日々茅葺きをどうプロデュースしていくか悩んでいる頭に良い刺激を与えてくれました。
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少し意地悪なことをあえて言えば、原料の漆を中国からの輸入に頼らざるを得ないのが残念に思います。
人里に生えるウルシの生産を高めることは、能登の財産のひとつである健全な里山の再興と結びつけられるはずなので。
もちろん、一朝一夕に成果の出ることでは無いでしょうから、既にそのような取り組みは始められているのかもしれませんけれども。

060528 茅葺きシンポ2日目

ナショナルトラストの茅シンポ、2日目は会場周辺で茅葺き屋根の見学会です。

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ここは軒と棟の装飾にとことんこだわる職人集団、「筑波茅手(かやて)」の本場だけあって、案内して頂いた屋根には、いずれも見事な意匠が施されていました。

しかし、町内に車を走らせていて、それらの立派な茅葺き屋根以上に目を引いたのが、門。やたらとお寺の多い土地かと思いきや、全て普通の住宅の門でした。
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筑波茅手による見事な装飾は、雪の無い土地柄故に、冬場に磐越各地から出稼ぎに来た職人たちが腕を競った結果だという解説がなされましたが、腕を振るうにもまず、華美を求める施主の意向があればこそだったはずです。

「手間がかかっても、長持ちしなくても、とにかく立派な棟を!」という住人の気概に追われて職人も腕を磨いたのでしょうが、その我が家にかける情熱が茅葺きの少なくなった現在、門に向かって噴き出しているのでしょうか。
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門とバランスを取るためか、住宅の方もこのとおり。
ここまで来ると、立派にパンクしてますねえ。既存のモラルなど超越して突き進む!
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まあ、脇町のうだつもサンジミジャーノの石塔も、かなりの程度まで勢いで突っ走った結果生み出された景観な訳で、茨城の農村で弾けるデコラティブ和風木造住宅群が、後年どのように評価されるようになるのか、なかなかに興味をそそられるところではありますが・・・

話を茅葺きに戻します。
「霞ヶ浦のしまがや」なる茅材がどのようなものなのか、かねてから気になっていたのですが、常陸風土記の丘公園の茅葺き建築修復工事を見学した際に、実物を見せて頂くことができました。
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関西で「あやめ茅」と呼んでいるものと同じだという事が解りましたが、あやめ茅はとても使いやすいものの、まとまった数が採れないため難しい場所にだけ使う貴重品であるのに対して、風土記の丘公園に建つ大量の茅葺き建築群の、ほぼ全てがしまがやだけで葺かれるほどの収穫があるという話に驚かされてました。

しまがやで実際に葺くところも見学させて頂きました。写真を撮っている僕も含めて、わらわらと群がる若造職人たち。
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おまけ。風土記の丘公園にありました。
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小さな屋根を葺くのは本当に難しく、これなど正しくしまがやがあればこそというところでしょう。
「やり過ぎ」という声もありましたが、高度な職人技を遊び心に包んで置いてあるようで、僕は楽しいと思いました。

060527 茅葺きシンポ初日・男鬼のこと

茨城県石岡市(旧八郷町)で開催された、(財)日本ナショナルトラストが運営する「全国茅葺き民家保存活用ネットワーク協議会」のシンポジウムに参加して来ました。

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あいにくの天気(仕事を休むには良いタイミングですけれども)ではありますが、筑波山の麓にはのんびりとした空気がひろがり、分蘗のすすむ早苗田からはカエルの声が。

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パネルディスカッションが各パネラーの報告で時間切れになり、ディスカスにまで至らないのはいつものお約束ですが、個々の報告の内容はそれぞれ興味深いものでした。

しかし、それ以上に興味を引かれたのが、滋賀県から参加されていたカメヤマさんが手渡してくれた「よみがえる ふるさと 男鬼」というパンフレットで、思わず会場で読みふけっていました。

男鬼(おおり)とは滋賀県彦根市にある山村集落で、人が住まなくなって30年以上経つ現在でも、旧住人等による営みが続けられて来た事もあり、良好な集落環境を保っているそうです。
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パンフレットは滋賀県立大学人間文化学部有志「男鬼楽座」による調査報告を元として、男鬼の魅力を紹介することで、これからを考える活動への関心を高めていく内容となっています。

集落をそれをとりまく地理的風土、自然環境、景観要素、建造物とフォーカスしていく調査手法は、自分も環境デザイン学科在学中に繰り返していたので懐かしく思い返したりしましたが、さらに人の暮らしの詳細をそこでの一生、一年、一日、日々の作業の内容と解きほぐしていく解説は新鮮でした。

人々の営みの積み重ねが景観となるのであり、美しい景観に対してはそれを支えて来た暮らしの在り方を理解しようとするアプローチは、茅葺きを文化財として祭り上げるのではなく、日常の延長上に留め置くための生活スタイルを模索する自分のスタンスと、重なるところが多く共感を覚えます。

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廃村の再生活動はいくつかの事例を見て来ましたが、ハードとしての建造物の保存に偏ってしまったり、人を集めるためのイベントを用意しても、周辺の自然の活用にまで気が回らず景観の維持に至らなかったりして、残念ながらあまり上手く行っている例にはこれまで出会えませんでした。
日々の生活を支える経済活動として繰り返されて来た自然と共存する農山村での暮らしを、ボランティアや公共事業というかたちだけで引き継いでいくのは難しいということもあるのでしょう。
それだけに、そこでの人の暮らしと集落を取り巻く環境を俯瞰する視点を合わせ持つ男鬼楽座の活動が、今後どのような展開を見せるのか大変興味深いところです。

実は、滋賀県東北の岐阜との県境の山中には、豪雪地帯のため早めにトタンが被せられたせいなのか、茅葺きの占める割合が今でもとても高い集落が多く見られますが、過疎化の進むそれらの集落を蘇らせるようなモデルにまでなれば、湖北山村独自の新しい茅葺きスタイルが確立されるかも・・・