屋根からの眺め」カテゴリーアーカイブ

60630 夏のはじまり

そろそろ棟を積む、というタイミングでまた関西へ一週間程戻ってきました。自宅のiMacは戻るのを待っていたかのようにクラッシュしてしまったので、美山→神戸→宇治のショートトリップをまとめて。

美山も忙しそうでした。いつまでも鎌倉が片付かないので少々気が引けます・・・
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美山の自宅の周りはホタルが盛り。
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なのですが、ホタルの写真は難しいですね。
ゲンジは明るいですよ。

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藍那の里山は夏の装い。茅場のススキも順調に育っていました。
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ヤマダさんの京田辺のS家は竣工間近。こちらの現場に入るという話もあったのですが。まあ、鎌倉に行ったこと自体は良い経験になっていますけれど。
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S家近くの巨椋の池干拓地にはこんな田んぼが。これは稲田なのか蓮田なのか・・・。レンコンの収穫は稲刈りに合わせなければならないのでしょうか?
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で、今朝鎌倉に戻って来たのですが、まだ棟は上がっていませんね。あれ?
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060611 常総市の坂野家住宅(そして研修制度について)

覚園寺を一緒に葺いている奈良のタナカさんが、重要文化財坂野家住宅の門を葺き替える現場に、若手の職人数人を研修生として迎え入れて、茅葺師技術現場研修会を催すことを社団法人全国社寺等屋根工事技術保存会から委託されたそうで、雨の日に茨城県常総市まで下見に行って来ました。
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カマボコ型の丸い棟や、ケラバ(切り妻の端)に見られるスプーンでえぐったような形の大きな蓑甲(ミノコ)など、いかにも関東風なかたちの屋根でした。

研修という形で関東の葺き方を研究しつつ、じっくりと屋根葺きに取り組めるというのは、何とも魅力的な機会だと思います。ですが、せっかくタナカさんの指導を受けられるのであれば、奈良の屋根を会場とした研修会にしてくれたら良いのに、とも正直なところ思わないわけではありません。

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こちらは、母屋。北関東の屋根の見本のような、趣向を凝らしたつくりです。
まだ新しくて、聞くところによると昨年葺き換えたばかりとか。と、いうことはこれを葺かれた職人さんはおそらく現役でご活躍されているでしょうから、ここの門で研修会を催すなら、その方を講師にお招きしてはどうかとも思ってしまうのです。

(社)社寺屋根による研修会には僕も参加させて頂いたことがありますが、普段離れた地域で仕事をしている若い屋根屋が集まって、一緒に仕事をするというだけでも職人としての視野を拡げたり、自分を客観視することのできるまたとない機会を与えて頂きました。
ただ、地域による特色の強い茅葺きという技術で、なおかつローカルな技術の継承を重視しなければならない文化財の葺き替えにおいて、講師として来て頂いた職人さんが(個人としての力量はもちろん見事なのですが)、必ずしもその屋根に精通する地元の方ではなかったことは残念に思いました。

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茅葺きの豊かな地域性は必然によってもたらされた形態のはずなのですが、その意味を理解し技術を引き継いで行くためには、残り時間のあまりの少なさに焦りを感じずにはいられません。

060528 茅葺きシンポ2日目

ナショナルトラストの茅シンポ、2日目は会場周辺で茅葺き屋根の見学会です。

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ここは軒と棟の装飾にとことんこだわる職人集団、「筑波茅手(かやて)」の本場だけあって、案内して頂いた屋根には、いずれも見事な意匠が施されていました。

しかし、町内に車を走らせていて、それらの立派な茅葺き屋根以上に目を引いたのが、門。やたらとお寺の多い土地かと思いきや、全て普通の住宅の門でした。
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筑波茅手による見事な装飾は、雪の無い土地柄故に、冬場に磐越各地から出稼ぎに来た職人たちが腕を競った結果だという解説がなされましたが、腕を振るうにもまず、華美を求める施主の意向があればこそだったはずです。

「手間がかかっても、長持ちしなくても、とにかく立派な棟を!」という住人の気概に追われて職人も腕を磨いたのでしょうが、その我が家にかける情熱が茅葺きの少なくなった現在、門に向かって噴き出しているのでしょうか。
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門とバランスを取るためか、住宅の方もこのとおり。
ここまで来ると、立派にパンクしてますねえ。既存のモラルなど超越して突き進む!
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まあ、脇町のうだつもサンジミジャーノの石塔も、かなりの程度まで勢いで突っ走った結果生み出された景観な訳で、茨城の農村で弾けるデコラティブ和風木造住宅群が、後年どのように評価されるようになるのか、なかなかに興味をそそられるところではありますが・・・

話を茅葺きに戻します。
「霞ヶ浦のしまがや」なる茅材がどのようなものなのか、かねてから気になっていたのですが、常陸風土記の丘公園の茅葺き建築修復工事を見学した際に、実物を見せて頂くことができました。
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関西で「あやめ茅」と呼んでいるものと同じだという事が解りましたが、あやめ茅はとても使いやすいものの、まとまった数が採れないため難しい場所にだけ使う貴重品であるのに対して、風土記の丘公園に建つ大量の茅葺き建築群の、ほぼ全てがしまがやだけで葺かれるほどの収穫があるという話に驚かされてました。

しまがやで実際に葺くところも見学させて頂きました。写真を撮っている僕も含めて、わらわらと群がる若造職人たち。
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おまけ。風土記の丘公園にありました。
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小さな屋根を葺くのは本当に難しく、これなど正しくしまがやがあればこそというところでしょう。
「やり過ぎ」という声もありましたが、高度な職人技を遊び心に包んで置いてあるようで、僕は楽しいと思いました。

060527 茅葺きシンポ初日・男鬼のこと

茨城県石岡市(旧八郷町)で開催された、(財)日本ナショナルトラストが運営する「全国茅葺き民家保存活用ネットワーク協議会」のシンポジウムに参加して来ました。

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あいにくの天気(仕事を休むには良いタイミングですけれども)ではありますが、筑波山の麓にはのんびりとした空気がひろがり、分蘗のすすむ早苗田からはカエルの声が。

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パネルディスカッションが各パネラーの報告で時間切れになり、ディスカスにまで至らないのはいつものお約束ですが、個々の報告の内容はそれぞれ興味深いものでした。

しかし、それ以上に興味を引かれたのが、滋賀県から参加されていたカメヤマさんが手渡してくれた「よみがえる ふるさと 男鬼」というパンフレットで、思わず会場で読みふけっていました。

男鬼(おおり)とは滋賀県彦根市にある山村集落で、人が住まなくなって30年以上経つ現在でも、旧住人等による営みが続けられて来た事もあり、良好な集落環境を保っているそうです。
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パンフレットは滋賀県立大学人間文化学部有志「男鬼楽座」による調査報告を元として、男鬼の魅力を紹介することで、これからを考える活動への関心を高めていく内容となっています。

集落をそれをとりまく地理的風土、自然環境、景観要素、建造物とフォーカスしていく調査手法は、自分も環境デザイン学科在学中に繰り返していたので懐かしく思い返したりしましたが、さらに人の暮らしの詳細をそこでの一生、一年、一日、日々の作業の内容と解きほぐしていく解説は新鮮でした。

人々の営みの積み重ねが景観となるのであり、美しい景観に対してはそれを支えて来た暮らしの在り方を理解しようとするアプローチは、茅葺きを文化財として祭り上げるのではなく、日常の延長上に留め置くための生活スタイルを模索する自分のスタンスと、重なるところが多く共感を覚えます。

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廃村の再生活動はいくつかの事例を見て来ましたが、ハードとしての建造物の保存に偏ってしまったり、人を集めるためのイベントを用意しても、周辺の自然の活用にまで気が回らず景観の維持に至らなかったりして、残念ながらあまり上手く行っている例にはこれまで出会えませんでした。
日々の生活を支える経済活動として繰り返されて来た自然と共存する農山村での暮らしを、ボランティアや公共事業というかたちだけで引き継いでいくのは難しいということもあるのでしょう。
それだけに、そこでの人の暮らしと集落を取り巻く環境を俯瞰する視点を合わせ持つ男鬼楽座の活動が、今後どのような展開を見せるのか大変興味深いところです。

実は、滋賀県東北の岐阜との県境の山中には、豪雪地帯のため早めにトタンが被せられたせいなのか、茅葺きの占める割合が今でもとても高い集落が多く見られますが、過疎化の進むそれらの集落を蘇らせるようなモデルにまでなれば、湖北山村独自の新しい茅葺きスタイルが確立されるかも・・・

060417 晩春

神戸の雑木林が芽吹き始めました。サクラからツツジの季節へ。
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深紅から黄緑までのあらゆる色の点描の霞を透かして、雑木林の林床にはサツキの鮮やかなピンクがぼんぼりのようにうかんでいます。
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茅刈りの済んだ茅場はスミレの花畑となりました。
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060405 八幡めぐり

春の雨にしては少々肌寒い一日。
現場は動かせないので、ヤマダさんが八幡界隈を案内してくれました。くるまで。

八幡にある重文の茅葺き民家、I家住宅。公開はされていませんが、ヤマダさんのお供ということで特別に見せて頂きました。
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このブ厚い軒はこの家の見所なのですが、これって軒を残して葺き替えを繰り返しているうちに、こんな風に「なってしまった」のかもしれませんね。

たわんでいるし。
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当初は麦わらとかススキの軽めの茅材で葺かれていて、軒が厚くなっても気にされなかったのが、重量のあるヨシで葺き換えられてしんどくなってしまったのかも。

こちらはさらに驚きました。何と、裏に回ってみると総2階。
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増築に次ぐ増築の結果なのでしょうが、ここまで来たら茅葺きでなくても良いのでは?と思う程です。それでも表側を茅葺きにしているのが気概ってものなのでしょう。

こちらのお宅で、個人的に心惹かれたのがこの外蔵。
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軒下の垂木隠しがナミナミしていて、何ともかわいらしいというか、洋風な雰囲気も漂います。

八幡と言えば「流れ橋」。
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堤防沿いにすばらしい自転車道が整備されているし、やはり天気の良い日にチャリンコで再訪したいと思います。
余談ですが、この流れ橋周辺の土手の草刈りも、ヤマダさんの「山城萱葺屋根工事」で行っています。代々、巨椋池周辺のヨシ原の入会権を持ち、冬に刈り取ったヨシをスダレに加工して販売していたヤマダ家ですが、輸入品に押されてスダレの販路を失うと、ヨシは主に材料として出荷し、春夏は草刈りのノウハウを活かして堤防の管理をされています。
最近ではヨシの需要を広めるために、自らも修行して屋根屋となってヨシ葺きに忙しくされているという訳です。
何百年も欠かすこと無く毎年のヨシ刈りで手入れされて来たヨシ場を、時代が移ろっても柔軟な対応と人生をかけた覚悟で、次の世代に引き渡すべく守り続ける。
良い話。

最後に解体修理中の、田辺のこれも茅葺きの重文、S家住宅。
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これは・・・難しそうだぞ。
2棟がLの字につながっているのですが、それぞれの面がきちんと通っている訳ではないし。下地を組むだけで一苦労だろうなあ。
それだけにやりがいはありそうですが、残念ながらこの現場の茅屋根葺きが始まるのと入れ違いに、別の現場へ応援に行くことが決まってしまっているので、あくまでも見学のみ。後ろ髪引かれつつ後にしました。

今日はあまりものを考えないようにして、観光気分に浸っていました。
sh@

060330 飛行神社

屋根屋の仕事は雨が降った日が休日です。
あまり予定を立てた生活はできません。

桜の季節を目前にして、雪まじりの冷たい雨に降られたので今日は休み。

京都の八幡市に泊まり込みできています。今まで車で通過するだけだと、八幡はスクラップ工場のイメージしかありませんでしたが(失礼)、歩き回ってみると当然ながら色々と楽しいものが見えてきます。

雨宿りしたのは「飛行神社」
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ライト兄弟の初飛行に先駆けて、自力で開発したゴム動力の模型飛行機を飛ばした二宮忠八が、晩年神職をつとめた由緒正しい神社だそうです。パイロットやフライトアテンダントの試験を受ける方の合格祈願や、空の安全祈願の絵馬がたくさんかかっていました。

出稼ぎの出張が多い仕事で、しかもものすごく辺鄙なところへもしばしば滞在する事になりますが、短いあいだでもその土地で「暮らす」ことで、旅行者として訪れるのとはまた違った町の顔を垣間見ることができたりします。
それが、結構楽しいです。
sh@

060328 早春

川西の奥の一倉ダム湖畔にある,里山を利用した県立公園を訪ねてきました。
川西の奥といっても,僕の場合は園部から山を下りていって街の入り口ですけれども。

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すっかり葉を落とした明るい雑木林は、まだ冬の顔をしていましたが、林床の日だまりに差す光はもう春の色でした。山が一番にぎやかになる季節を目前にして、雑木林の木々もはやる気持ちを抑えきれない様子で、そこかしこで色がこぼれ始めていました。

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春先は黄色い花が多いような気がします。ミツマタが植えられていて,花をつけていました。
初めて見ましたがバナナみたいなつぼみがかわいらしい。
sh@

060324 トタンも「茅」のうち

茅葺き屋根は、そこに暮らす人にとって最も合理的に入手できる材料で葺かれます。

山がちなところではススキや笹で、水辺近くではヨシやガマで、農地が発達していれば小麦わらや稲わらで、南の島ではヤシやバナナの葉で。

これは奈良の稲わら葺き。奈良では山地ではススキ葺きが主流ですが、国中(くんなか)と呼ばれる農地の整備された奈良盆地では、稲わら葺きが多かったそうです。
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ただし、最も合理的な材料は、社会背景の変化に伴って変遷するものです。
ススキで葺かれていた屋根が、周辺の開墾が進んで茅場が遠くなり畑が増えれば、小麦わらに葺き替えられることもあったことでしょう。

ならば、茅葺きが農の暮らしと切り離され、工業製品を購入するのが最も合理的だった時代においては、トタンによって葺かれるのが自然な姿だったとも言えます。

そして今、自然と共生する暮らしがもとめられるようになってきたのならば、またトタンを剥がして茅に葺き替えれば良いだけの話だと思います。
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トタンを剥がせば中にはちゃんと茅葺き屋根が入っているのですから。

次はどんな「茅」で葺くのか?
それは、現代の日本でどのようにして茅葺きとともに暮らすのか、そのアイディア次第ということです。
sh@

060321 なごり茅刈り

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この場所は近いうちに造成されるそうなので、茅場を育てるというモチベーションにはつながらないのですが、過去何年か続けて茅刈りが行われていて、とても良い茅が生えているのがもったいないので、刈り取らせてもらいました。
この時期になると、ススキは葉もハカマもすっかり落として、棹だけになっています。この方が茅葺きの材料としては葺きやすい上に丈夫で適していますから、無雪地の茅刈りは春先にするのが良いように思います。

茅刈りに続いて茅倉庫まわりを片付けて、作業のあとはお弁当広げて。
うららかな春の日差しに恵まれて、絶好のピクニック日和でした。
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あたりまえのように演奏会が始まるし。
sh@