茅葺き現場日誌@勝坂遺跡」カテゴリーアーカイブ

0311 竣工

菜種梅雨の過ぎた青空を背景にコブシの花が咲いています。
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竣工に至って、勝坂遺跡にもようやく本格的な春が訪れたようです。

棟を無事に積んだら、手直しが必要な場所を仕上げつつ、足場の丸太を上から順番に外して下りて来ます。
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丹後で今も行われる笹葺きの葺き替えの際には、きちんとハサミで刈り込んで仕上げますが、今回は葺きっぱなし。縄文時代にはハサミは無かったでしょうから。

池に落ちた犬みたいに濡れそぼっていた笹葺きも、久々の陽射しを受けて毛並みがふさふさして来ました。
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実は以前から、逆葺きの笹葺きの風合いを活かすために、ハサミ仕上げ無しの屋根も見てみたいと思っていました。
風が吹くとさわさわ揺れてきれいです。同時に葉っぱがはらはら落ちて来るので掃除は大変かもしれませんが。

笹葺きと、
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土葺き。
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「使用前」「使用後」という感じ?
まるで違うのに、並んで建っていると仲が良さそうです。
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たくさんの人たちが手技を携えて集まってくれました。おかげで、縄文の人たちの気持ちに近づくことができたからでしょうか。

勝坂遺跡公園は2010年4月からオープンしています。事前に申し込めば笹葺き、土葺きの中にも入れるそうなので、お近くにお越しの際はぜひ訪ねてみて下さい。

0310 芝棟

棟まで笹を葺いて上がって来て、棟の収まりは芝棟としました。
茅葺き屋根のてっぺんに土を載せて、土が雨で流れないように草を生やした棟で、ひと昔前までは東北から関東にかけて割と普通に見られたはずの棟のスタイルです。
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ススキでもヨシでも、笹でも、棟まで葺いて上がればてっぺんは何かで「フタ」をしないと雨が入って来てしまいます。
現在では杉皮か、その代用品としてのトタン板を被せて、それが風で飛ばないように留める工夫のあれこれが、地域性豊かな様々な棟のスタイルを生んでいます。

ただ、大きな杉皮を得るためには、密植して枝打ちして育てた、節穴の無い杉丸太が必要です。つまり杉皮も建材として広く普及したのは、杉の植林が盛んになった割と最近のことかもしれません。
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それまでは、並べた茅で棟を塞ぐのが長い間一般的だったでしょう。
ならば並べた茅の上に土を載せて押さえ、草を生やして根を張らせて、雨風に強くしようというのは、ごく自然な発想だったでしょう。

この、土葺きの屋根のように。
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樹皮葺きで完成?っぽかったお隣ですが、そのままでは風が吹いたらばらばらに飛んで行ってしまうので、押さえるために土がどんどん載せられて行きます。

杉皮の上に土止めに粗朶(そだ=木の枝)を並べてから土を被せて行きます。
やがて被せた土から草が芽を出し根を張って、しっかりと固まる事でしょう。
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あ、樹皮の上には粗朶を置く前に透湿防水シートが敷いてあります。要らないとは思いますが公共の公園だし念のために。仕様書でそのようになっていましたので。
因みに芝棟の下地にも、現在では杉皮を敷くのが一般的です。杉皮よりも芝棟の方が古くからある技術だと思いますが、杉皮を使っえば施工しやすく長持ちするのなら、新しい材料もあるものは使えば良い訳ですから。

ところで笹の葉っぱには、よくこんな「切り取り線」がついているのですが、一体誰の仕業なのでしょうか?
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虫の食み跡なのかな。どんな食べ方?

0305 笹葺き。樹皮葺き?

あいかわらずすっきりしない天気が続きますが、茅葺き職人チームにより笹葺き屋根は順調に葺かれて行きます。
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土葺き屋根は土だけだと雨漏りするので、下地に杉皮をきれいに葺き並べました。
これだけでも「樹皮葺き屋根」と言ってしまえそうですね。実際そのような屋根もあったと思います。杉皮ではなくて白樺の皮とかでしょうけれど。
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でも樹皮だけだと風に弱い。
土葺きは薄く葺き並べた樹皮や茅を、土で押さえるという葺き方だったと思います。それなら、鉄の鎌がなくてもたくさんの茅を集める必要が無いし、立ち枯れて手で折れるような茅でも使えます。

雨がちな日が続いて、現場の周りはすっかりこの通り。
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たっぷり水を含んだ関東ローム層+黒ボクの上を重機が走るので、どこまでもぬかるんでしまいます。

車椅子なんかでうろちょろしていると、すぐにこの有様。
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縄文時代の人たちは、水はけをどうこなして暮らしていたのでしょうか。

棟近くまで葺き上がって来て、ようやく久しぶりの青空が顔を出しました。
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春を告げる恵みの雨ですが、屋根も地面も、今は早く乾いてほしいです。

0303 笹葺き職人!

飛騨かやぶきのスギヤマさんたちと入れ替わりに、山城萱葺き屋根工事のヤマダさんたちがやって来てくれました。
僕たちの世代の茅葺き職人で、ネソ巻きをきちんと修得しているのがスギヤマさんだけなら、笹葺きを完全にこなせるのもヤマダさんだけでしょう。
ヤマダさんに預かって頂いていた、丁稚サガラもようやく登場です。
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まずは、学生たちが葺いた屋根を手直し。
こういう事は職人が学生と一緒に葺きながら、さりげなく済ませておいてあげるべきなのですが、一緒にいたのが手本にやってみせる事もできない僕ひとりでは、口ばかりうるさく言われて学生たちも気の毒でした。

こんな笹の小束をつくって、粗いところ、へこんだところ、勾配のおかしなところ、何となく気に喰わないところに差し込んで、笹が均等に固まるように整えて行きます。
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笹葺きはヨシやススキで葺いた屋根に比べて耐久性は劣りますが、差し茅がとてもしやすい屋根なので、まめに差して手入れしてやれば意外と長持ちします。
勝坂遺跡にも良い笹が生えているので、遺跡公園を訪れる人たちで差しながら末永く守ってもらえたら・・・

一通り手直しが済んだら、棟に向かって葺き上げて行きます。
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「逆葺き」の笹葺きは葺く手間もススキやヨシで葺くよりかからないので、葺き上げにスピード感があります。
手間がかからないと言うのは、簡単だという意味ではないですよ。念のため。

もう1棟の土葺き民家も、下地となる樹皮を敷き並べはじめました。
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縄文時代の植生を考えると樹皮は雑木なのかもしれませんが、今回はそこまで用意できませんでした。杉皮で勘弁して下さい。

まとまった数の職人が揃って、ようやく茅葺きの現場らしい空気になってきたような気がします。
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0227 土葺き+ネソ下地

相模原に来て2週間以上が過ぎています。冬枯れ姿だった現場を取り囲む河岸段丘林にも微かに色が差してきました。
足下にはアサツキの細い葉が長く伸びています。
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お手伝いしてくれていた学生たちも帰ってから、お天気が悪いのと、僕の段取りが悪いのとで、なかなか捗りませんでしたが、職人さんたちの助けを得て徐々に現場が加速して来ました。

飛騨かやぶきのスギヤマさんたちが戻って来て、2棟目の屋根下地もネソで組んで下さいました。
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2棟目は、「土葺き」です。
大量の草を使う茅葺き屋根は、肥料として草を大量に生産し利用する営みの中で発達して来ました。本格的な農耕が始まっていない縄文時代には、苦労して草を刈って大量の茅を集めても、葺き替えの際に古茅を肥料として利用する訳でもないので、草や樹皮を薄く敷いた上に土を被せて済ましていたのでは、ということです。
実際に樺太アイヌのチセとして、そんな土饅頭のような室を住居として利用されていたことも確認されています。

断熱効果の高い土の家は、寒い季節には意外と住み心地が良かったのかもしれませんね。
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下地を組んだネソはマンサクの若木です。水に浸けて長いこと待たせていたので、雑木林に春の訪れを知らせる黄色の花を咲かせてしまいました。

笹の逆葺きと、土葺き。
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米と鉄以前の茅葺き屋根は、どんな建物になるでしょう

0219 笹葺き上げ

せっかく丹後村おこし開発チームの面々が駆け付けてくれたのに、相変わらずすっきりしないお天気が続きます。
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あまり降るようでは茅葺きは出来ませんが、そんな日にも学生らしく予習復習に余念がありません。
茅葺き屋根に足場の丸太を吊るためのロープワークが、先輩から後輩へ伝授されています。

茅葺き屋根はコーナーの部分を葺くのが難しい。
ならば、まるい竪穴式住居にはコーナーが無いから簡単かというと、そうはいきません。
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コーナーを葺くのが難しいのは、それが屋根全体の形を決める規準となるからです。
規準が無いままに屋根の厚みを揃えて葺いて行くのは、至難の業です。

しかもこの建物、きれいな円錐形をしていません。
屋根の勾配も場所によってまちまちですし、入り口となる出っ張りがついていたりします。
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笹の束の中から、短いもの長いもの、葉っぱがたくさんついているもの、あまりついていないもの、自然の材料を微妙に使い分けながら、適材適所に葺いて行かなければなりません。

時に試行錯誤しながらの一週間。
建物の姿が現れて来ました。
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0217 笹葺きチーム、参上

今回は「笹」で茅葺きの屋根を葺きます。
このブログでも何度か書いていますが、「茅」という植物があるのではなく、屋根を葺くために用意された草の束を茅と呼びます。
日本でポピュラーな茅はススキとヨシ。何といっても丈夫で葺いた屋根が長持ちしますが、丈夫な故に刈り取りには切れ味鋭い鉄の鎌が不可欠です。
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鎌で刈ったススキやヨシですら仕上げにハサミをかけるくらいで、切り口をシャープに整えて水はけ良く出来なければ長持ちも期待できず、手間をかけて茅の根本を屋根表面に出す「真葺き」で葺く甲斐がありません。材料と工期が少なくて済む、茅の葉先を屋根表面に出す「逆葺き」で葺いた方が効率良くなります。

ですから刈り取りに使う鉄の鎌や、仕上げの刈込みに使うハサミの無い縄文時代には、屋根は逆葺きで葺かれていたのではないかと思うのです。
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逆葺きで葺く茅としては稲ワラが一般的ですが、かつてはクマザサやリュウキュウチクのような笹も各地で使われていました。稲作以前の茅として検討してみる価値があるのではないでしょうか。

ところが現在クマザサの笹葺きは、丹後半島と能登半島に僅かに残されているだけです。
雑木林の林床での笹刈りから始めて、笹場をつくり笹葺きの技術を学び、消え去る直前だった丹後の笹葺きを再興しつつあるのが、立命館大学学生有志による「丹後村おこし開発チーム」の面々です。
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先輩から後輩へと引き継ぎながら、5年の歳月をかけて丹後山中で朽ちようとしていた民家の屋根を笹で葺き替えた彼等は、材料の確保から施工まで一貫して実行できる、現在日本で唯一の「笹葺き集団」です。
勝坂遺跡で笹葺きの復元住居に挑戦できるのも、彼等が笹の手配に一肌脱いでくれたおかげです。

そして、いよいよ笹を葺き始めるのに合わせて、遠く近江から相模まで駆けつけてくれました。
笹の「葉」で屋根を葺く笹葺きは、ススキやヨシの根本を整然と並べる真葺きの茅葺き屋根とは全く表情が異なります。
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粗く葺いているように見えますが、ふさふさなものを平らに、均等に葺くのは、規準となる平面が無いだけに却って難しいところがあります。

葺き並べた笹はヌイボクで押さえ、ヌイボクは屋根下地に縫い止めて行きます。
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ヌイボクを止めるのはネソで・・・と、行きたいところなのですが、大量のネソを揃えるのは技術的にも予算的にも難しいので、ここは針金を使います。

中途半端にワラ縄を使うよりも、誰の目にも縄文時代にあり得ないのが明らかな針金を使うことで、代用の技術であることを明らかにしておきたいので。
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意匠的には下地に使ったネソが目立つので、中に入って見上げても針金はそれほどうるさくはないと思います。

前例の無い、笹葺きによる縄文時代の竪穴式住居の復元が、笹葺きチームを迎えていよいよ始まりました。
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0215 縄文の下地 ? ネソ巻き

勝坂遺跡は相模川の広い河原を望む河岸段丘の上に広がっています。段丘の下には「はけ」と呼ばれる泉が湧き出し、陽当たりの良い台地は晴れた日にはいかにも住み心地が良さそうです。
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ですが、関東ローム層の上に黒ボクが厚く堆積した段丘上は、呆れる程水を含みやすくて雨が降るとこうなります。
そして、先週からずっと雨模様です。

遺跡に隣接して米陸軍の座間キャンプが広がり、離発着を繰り返すヘリコプターが毎日のように頭上をかすめる騒音の中、スギヤマさんたちは泥にまみれて「ベトナムがー、ベトナムがー(意味不明)」とうなされながらネソ巻きに励んでくれました。
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おかげさまで無事屋根下地ができあがりました。

「木で木を縛る」ネソ巻きの不思議。ネジ釘はおろか縄すら使わずに組まれた屋根下地です。本格的な稲作が始まっていない縄文時代には、稲ワラでなった縄は無かったでしょうから。
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ネソが乾いて行くに従って、よりきつく緊結されて行くそうです。
木をねじって使うところを見ると、いつもイギリスの茅葺き屋根で使うスパーを思い出します。身近な素材の特性を使いこなす技術も、磨き抜けば同じような発想に行き着くのでしょう。縄文時代の人たちも、きっと。

ところで復元される住居は実はもう1棟あります。そちらの小屋組が仕上がるまでまだしばらくかかりそうなので、それまでネソは水に浸けておきます。
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とにかく、使うまで乾かしてしまってはだめなのです。そういう意味では雨模様も結構なのですが・・・泥は何とかしてほしい。

0210 縄文竪穴式住居の復元 - ネソねり

神奈川県相模原市にある縄文時代の集落跡、史跡勝坂遺跡に復元竪穴式住居の屋根を葺く為にやって来ました。
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各地で復元された竪穴式住居には、茅葺き民家の屋根を地面に置いたようなものが多く、僕自身何度もそんな「復元住居」の屋根を葺かせてもらう機会がありました。
しかし、職人として茅葺きと長く関わる中で、それが農業の営みに深く根差した技術であり文化であることを知るにつれ、中世や古代の屋根は近世のお米づくりを中心とした社会で育まれた茅葺き民家とは、ずいぶんと違っていたのではとの思いが強くなって行きました。

一方で地域色豊かな茅葺きの文化には、田んぼの都合による効率優先だけでは無い、その土地の事情に即した茅葺きの技術も今に伝えられています。
南方系の稲作文化を支えた竹と縄(稲ワラ)を用いない、雪深く険峻な飛騨、能越地方の山地に残るヌイボク(ナラなどの若木)とネソ(マンサクの若木)を使うネソ巻きの技術もそのひとつです。
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竹を伐り出す金属の刃物も、藁縄をなう為の稲ワラも無かったであろう、縄文時代の屋根下時を組むために、ネソ巻きを今に伝える数少ない職人さんである、飛騨かやぶきのスギヤマさんに一肌脱いでもらえることになり、材料のネソとヌイボクの手配までして頂きました。

勝坂遺跡での古代住居の復元に際しては、縄文時代の技術の再現に努められています。古代建築史には素人ですが、茅葺き職人としての経験に基づいた僕の提案も、専門の先生方が検討の上いくつか採用して頂けました。
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「米と鉄の普及以前」にこだわった茅葺きの様子をご紹介します。

生木の状態で現場に持ち込んだネソは、使う前に樹皮が黒く焦げ落ちるくらいまで焚き火で炙ります。
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暖めることで木の繊維をほぐしやすくするのと、樹皮の裏の栄養豊富な部分に虫がつくのを防ぐためだそうです。

充分に火にかけたネソを、雑巾を絞るようにねじり上げてほぐします。文章にすると簡単ですが、若木とはいえ木材を人力でねじるのですから大変です。
ネソ練りと呼ぶこの下拵えが、ネソ巻きの肝となります。
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きちんと練れていないと屋根の上で使う際に折れてしまうし、力任せにねじればちぎれてしまいます。

竪穴式住居の小屋組が栗材で組まれて行くあいだ、数百本のネソを練って準備を進めておきます。
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樹皮を焦がしたネソからは、おいしそうな焼き芋のような甘い匂いが。