茅葺き現場日誌@鎌倉覚園寺」カテゴリーアーカイブ

0615 三和土

屋根の形が寄せ棟なので、葺き上がるに従ってペースが上がります。
0616.jpg
とは言うものの、残り少なくなったように見えて、まだなかなか。

ここ数日は、本堂の犬走りの三和土(たたき)を左官屋さんが直しに来られているので、足場の下からパンパン、と賑やかな音が一日中響いて来ます。
0613b.jpg
名前通りに叩いておられますが、なかなか大変そうです。

0610 庭石菖・小バコのライブ

境内に多くはない日当りの良い場所に、ニワゼキショウが咲き始めました。
0610c.jpg
地味ですが好きな花です。これ、美山の我が家の小さな庭にも夏中咲き続けてくれます。もう、そんな季節になったのか。
不在の間に自宅の周りは造成工事でユンボが走り回っているので、帰宅してももう当分は見れないかも知れません。毎年一輪だけ咲いていたササユリや、一叢のミズヒキソウも絶えてしまったかも。

ところで、平均年齢が60歳を下回らない宿舎は消灯時刻が夜8時半なので、毎晩のように鎌倉の街で家出少年になっていますが、あまり他人と話さずにただぼんやりと過ごしたり、溜まっているデスクワークを片付けたり本を読んだりしたいときによくお世話になっているcafe Goatee で、今夜はエリック・バックマンのソロライブがありました。
0610a.jpg
P.A.無し、小バコでのライブは、そこにいる全員で雰囲気を作り出して行く一体感が楽しいです。

鎌倉は小さな街なのに(しかも夜が早いのに)週末毎にどこかでライブが行われていて、神戸にいた学生の頃以来の、音楽漬けな日々を送らせてもらっています。
梅雨が明けて海の家が開くと、そこでもライブが行われるとか。楽しみです。

0606 屋根めくり(3回目)

最後の屋根めくりです。
0606a.jpg
棟収めは地域による違いの顕著な箇所なので、棟の解体に際しては前回のやり方を参考にできるように、検証しながら行います。

僕が現場入りした時点で雨養生の瓦は既に取り外されていましたが、休憩に縁側をお借りしている、境内に移築された旧内海家住宅の棟と同じように、瓦が重ねられた棟だったそうです。
0606b.jpg
これ、最近どこかで見たなと思ったら、ナショナルトラストのシンポジウムで茨城の八郷を訪ねた折、当地で見たものと同じ収め方でした。

0606c.jpg
これが常陸風土記の丘公園にあったものです。基本的に同じ手法ですね。

屋根をめくって行くと、葺き方にも関西では見られない特徴がありました。
0606d.jpg
角の部分を独立してつくるのではなく、平面を押さえた竹をそのままコーナーに沿って曲げて、同じように押さえています。また、角の両脇を足場を吊る縄で仮押さえして、その痕跡が残っています。

こちらは常陸風土記の丘公園で見学させて頂いた現場の写真。びっくりするくらい、全く同じ手法です。
0606e.jpg
つまり、鎌倉もいわゆる「筑波茅手」の活躍の舞台だったのか・・・いや、地元相模の屋根屋さんがいなくなってから、呼ぶようになったと考えた方が自然かな・・・

参考までに、これは美山での角付けの様子。
0606j.jpg
0606k.jpg
コーナーの部分を先につくってから葺くので、押さえの竹は角の部分は押さえません。

これは藍那の交流民家。
0606n.jpg
角のエッジを立てれば、コーナーまでしっかりと固めて葺くのは難しくなります。
0606m.jpg
関西では面や角をきっちりと出すことに気を配ります。

関東の屋根は素晴らしい装飾に注力し、面や角のバランスや仕上げには、ある程度おおらかです。
0606r.jpg
コーナーも押さえ竹でまわり込むようにして仕上げれば、角のエッジを立てるのはちょっと無理です。
0606s.jpg
ちなみにイギリス南部の伝統的な茅屋根の葺き方や仕上げも、筑波流と同じような考え方をしています。
つくづく日本は多文化国家だなあ。

下地の上には屋根を葺く前に、10㎝ほどの厚さに茅が敷き詰められていました。
P1020754.jpg
主に葺き材の先が下地の下に入り込むのを防ぐためですが、特に下地も傷んではいないのでそのままにしておきました。

0604 鎌倉の現代住宅とか

捗らないと思いつつも、いつのまにか結構進んでいます。
0604b.jpg
文字通り日々の積み重ねでここまで来ました。

まだ、葺き上げ残り3分の1、棟収め、刈込み仕上げが残っていますが、何とか折り返し点は過ぎましたね。
0604c.jpg
明日あたりいよいよ最後の屋根めくりをしなければ。

ところで骨太なのに繊細で、桟瓦と下見板張りの外観が特徴的な、大正昭和初期の鎌倉の木造住宅を誉めたたえておりますが、新築の住宅でも何となく鎌倉っぽい雰囲気を持つものを多く見かけます。
0604鎌倉建築c.jpg

何が鎌倉風かと問われると困るのですが、杉板とモルタルが外観のデザインコードになっているような気もします。
0604鎌倉建築a.jpg

そういうのが流行なのだと言えばそれまでですが、良いデザインが流行ることが美しい街並を育んで行く訳ですから。
0604鎌倉建築b.jpg

そんな鎌倉でも、マンション開発は盛んなようで。
P1020416.jpg
集合住宅の高さ規制が5階までというのはさすがと思いますが(最近まで3階だったとか!)、マンションが増えると景観だけではなく、コミュニティの在り方も変わって来ますから、街の性格がどんな風に変わるのか変わらないのか。

0602 Corazon/Rihito Masuyama

鎌倉に来た頃は、境内の木陰は射干(シャガ)の咲き初めだったのに、いつのまにやら紫欄(シラン)が満開に。
屋根は仕上がらないのに、季節は移り変わって行きます。
0602c.jpg

ところで、由比ケ浜のジュルネに晩ご飯を食べに行ったら、増山リヒトさんの写真展 corazon が始まっていました。
0602f.jpg

壁にかけられているのはラテンアメリカの、明らかに貧困層の子供達の写真。彼らの置かれている環境に反して写真の雰囲気が明るいのは、原色に彩られた街と何より子供達が笑顔であること。

良い写真というのはピントがどうとかというよりも、まず被写体が良い表情をしているかどうかだなあ、などと思いながらひととおり写真を眺めて、リヒトさん本人は他のお客さんの応対をされてるし、ご飯が出来るまでの時間つぶしのつもりで「corazon journal」なるレポートを読み始めたのですが、すぐに引き込まれて2年間に渡る活動の記録を一息に読んでしまいました。

0602a.jpg

リヒトさんはニカラグアに青年海外協力隊員として、孤児院での情操教育に携わるために赴任したものの、受け入れサイドのいかにもラテンアメリカらしいトラブルに巻き込まれて、スラムでのストレートチルドレンの救済にあたるNGOに派遣されてしまいます。
畑違いの業務内容、想像を絶するヘヴィな環境、やる気の無い派遣先。リヒトさんは任期の間を週末のサーフィンを息抜きとしながら、与えられた仕事の無意味さにただ耐えてやり過ごしてしまうことも出来たのだろうと思います。
でも、彼は誰に頼まれることもなく毎日スラムの一角で、学校へ行けない子供達を集めて読み書きアートを教え始めました。
0602e.jpg

彼は笑顔の子供達を写真に撮ったのではなく、彼の助けを借りて笑顔を取り戻していく子供達が写った写真だったということを知って、随分と感動してしまいした。30過ぎてから涙腺が緩くなったかなあ。
レポートの内容をお伝えできないのが残念ですが、近くサイトを立ち上げるらしいので、その時をお楽しみに。

0526 続・葺き上げ工程

必要な量の茅を並べ終えたら、竹で仮に押さえて固定し、叩いて屋根の形を粗く出しておきます。
0526葺き上げ6.jpg
仮押さえの竹は、茅を束ねていたサンバイコウと呼ばれる縄を再利用して、先に中押さえに張った縄に綴じて固定しています。
ところで、モノを束ねるために用意する短い紐のことを、サンバイコウと呼ぶのですが、語源もどのような漢字を当てるのかもさっぱりわかりません。どなたかご存知でしたらぜひ教えて下さい。

茅がしっかりと押さえられる適切な位置を選んで、本番の押さえの竹を配置して、屋根裏に「針受け」に入ってもらった人と協力しながら、大きな針を使って屋根下地の垂木に針金で縫い止めて行きます。
0526葺き上げ7.jpg
表面から少しずつ風雨にさらされた屋根が減って行き、この竹が表れてしまったときが屋根の寿命となります。ですから、竹から奥に敷き並べる捨て茅は文字通り捨てているようにも見えますが、それによって茅の角度を適切に保てるように調節する事が、強く美しい屋根を葺くために一番必要な条件です。

押さえ竹を縫い止めるときに、足場の丸太を吊るための紐も、屋根下地の母屋からとっておいて、仮押さえの竹を外して足場丸太を吊ります。
0526葺き上げ8b.jpg
足場丸太に乗って、押さえの竹を足で踏みながら針金を八分の力で締めておきます。
それから、屋根表面を叩き揃えて形を整えます。

あらためて、数人並んで呼吸を合わせながら押さえの竹を足で踏みつけ、針金を締め上げてしっかりと固定します。
0526葺き上げ9仮.jpg
最後にもう一度叩いて揃えてから、足場丸太を屋根の表面になる位置まで下げて止めます。

今回は屋根全面の葺き替えをしているため、以上の作業を東西南北の四面で繰り返しながら上がって行きます。
0526葺き上げa.jpg

フリダシに戻る。

ところで、鎌倉にいながら何となく観光スポット特有の気配が感じられて、これまで海の方へ行くのを避けて来てしまったのですが、今日は由比ケ浜の住宅地の中を散歩していたら、ある地点から風に潮の香りが混じるようになって、もともと神戸の海のそばで育った人間なのでとても懐かしい気持ちになって、誘われるままに海岸まで足を延ばしてしまいました。
やっぱり、海を眺めると心が落ち着いて気持ちが良いです。
P1020715.jpg
でも、今日は風が冷たくてTシャツでは少々つらかったので、海岸道路に面した店に逃げ込んだら、小柄なバーニーズマウンテンドッグが出迎えてくれたお店が、Daisy's Cafeでした。

0526Daisy.jpg
僕の偏見など見事に裏切ってくれて、鎌倉の海には楽しい人達(と犬)が集まっています。

0524 葺き上げ工程

 茅葺きの基本、まず両角をつくって屋根の角度と一工程で積み上がる高さを決めてから、茅を並べ始めます。
0524葺き上げ.jpg
茅屋根の厚さは材料を適切な勾配で無理なく並べると、普通は自ずと決まって来るものです。しかし、覚園寺の場合は巨大な軒を付けたために、通常ススキで葺くよりもかなり分厚くなっています。そのままでは奥が深い分だけ茅が寝すぎて、雨水が屋根の中に伝ってしまう逆勾配になってしまいますから、屋根めくりの際に取っておいた古茅を奥の方に充分敷き込んで茅が適切な角度まで起きるように調整してやります。

曽爾高原の茅は5尺〆の量が一束にまとめられているため、一つの束の中に長めのものや短めのなど色々な茅が入っています。
0524葺き上げ0.jpg
短めのものを下に、長めのものを上にして2層に茅を並べます。工業製品ではありませんから茅はある程度曲がっているのが普通ですが(たまに許し難い程曲がっているものもありますが)、曲がりを読んで隙間が空かないように上手く並べてやります。

覚園寺の軒は1m近くありますが、ススキを材料として葺くのに適当な厚さは40〜50㎝くらいなので、棟まで軒の厚みのままで葺き上がると莫大な量の茅が無駄に必要になってしまいますので、茅屋根の厚みは軒に向けて徐々に薄くなっていくようにしておきます。
0524葺き上げ1.jpg
結果として屋根表面の勾配は下地よりも緩い勾配となります。緩い勾配の屋根では一工程の始めに並べた茅の先端から最後に押さえる竹までが遠くなり、押さえが効きにくくなるため、半分の厚みまで茅を並べたところで一度軽く押さえておきます。

ワラ縄を端から端までピンと張って、1尺おきくらいにシュロ縄で一つ下の押さえ竹に綴じます。縄を使う事でさらにこの上に並べる茅ともよく馴染み、屋根の表面に隙間が口を開けたりする事もありません。
0524葺き上げ2.jpg

半分並べたところでさらに奥に古茅を敷き並べます。「捨て茅」とか「のべ茅」と呼びます。捨て茅は適宜行い材料の茅が常に適切な勾配を保つように気を遣います。
0524葺き上げ3.jpg

縄で押さえた上にもさらに茅を並べて角の両角の高さに合うように積み上げます。角度を付けて置く茅はどうしてもずれて落ちてくるので、角の勾配に合わせて叩き揃えたときに高さが揃うように、計算しながら並べる量を決めます。
0524葺き上げ4.jpg
茅は寝かせすぎると逆漏りしますが、起こしすぎても屋根表面が粗くなり雨漏りの遠因になります。

最後に長く太めで丈夫な「取って置き」の茅を並べます。
0524葺き上げ5.jpg

つづく

0521 屋根は捗らず、鎌倉の話

あいかわらずすっきりしない天気が続いています。
養生シートを上げたり下げたり・・・まるで、それが仕事のようになってしまっています。
0521葺き上げ捗らず.jpg

茅葺き職人に愛用者の多い昔風の「縫い付け」の地下足袋は、足裏の感覚が良く高所の丸太の上での作業には最適なのですが、濡れたシートの上を歩いただけで水が滲みてしまいます。一度濡れてしまうとなかなか乾かないのに。
0521捗らない.jpg

ところで、鎌倉の町を歩いて目につくのが、大正昭和初期に建てられた木造住宅。いわゆる近代和風と呼ばれる範疇に入るのでしょうか? 繊細な表情を纏いながら、しっかりと骨太に組まれた強さも醸し出していて、まさに「端正」と呼びたくなるたてもの達です。
鎌倉建築.jpg
鎌倉は関東大震災による津波で壊滅的な被害を受けたそうで、その後街が再建されたことと関係しているのでしょうが、日本で大工さんが一番良い仕事をすることができたと言われる時代の、木造住宅のストックが豊富です。

旧華族のお屋敷とかはもちろんですが、町中の小さな住宅などでも、いかにも確かな仕事がなされたという跡が感じられます。
鎌倉建築2.jpg

町を歩いていると、そんなたてものが今でも普通に住む道具として、大切に使われている事が感じられてくるので、散歩をするだけでとても幸せな気持ちになれる町です。
P1020420.jpg

0519 曽爾高原の茅

覚園寺の屋根に葺く茅は、全てスミタさんが奈良の曽爾高原で調達されてきたススキです。
P1020526.jpg
歴史ある茅場の例に漏れず、細くて丈夫そうな茅です。これを切断したりせずに長いままで使います。

押さえの竹のすぐ下にはしっかりと押さえられるように、やや太く長く丈夫な茅を並べます。
0519曽爾の茅3.jpg
そのための茅はスミタさんが「特別に」注文して刈ってもらっているそうです。
おそらく、なだらかな起伏のある高原の中の、やや谷や窪地になった部分で、他より地味の肥えたところに生える茅なのでしょう。

茅の中には茅場に生えるたくさんの野花がドライフラワーとなって混じっています。
0519曽爾の茅.jpg
アキノキリンソウも綿毛となる前の、かわいらしい花のままで束ねられています。
曽爾高原は標高が高く雪が早いので、茅刈りも比較的早い時期に行われるからでしょう。
あきのきりんそう.jpg
ちなみにドライになる前はこんな感じ。
藍那の現場でバイトしてくれた、ニシワキ君が送ってくれました。六甲山系東お多福山でのスケッチだそうです。

刈るのが早いためか、ススキはまだ葉やハカマを落とす程には枯れておらず、茅の中にはそれらが多く混じっていますので、葺いた感じはぼさぼさしたものになります。
0519曽爾の茅4.jpg
しかし、これをハサミで刈り込むと、目の詰まった美しく丈夫な屋根になるそうです。
僕はまだ見た事がありませんが、仕上がりが楽しみです。

ところで、今日はマイミクのichide!さんがわざわざ鎌倉を訪ねて下さいました。
仕事場を見てもらったあとに、由比ケ浜大通りを入ったところにあるラ・ジュルネというご飯屋さんで、おいしいパスタを食べつつ話に花を咲かせました。
P1020763.jpg
デザイナーというのは手の中に納まる道具から、都市を織りなす人と人の繋がりまで、社会に還元するためにより良いコトをデザインする人の事だと思っているのですが、正にそのようなデザイナーな方でした。
佐原市の水郷の再生の話など興味は尽きなかったのですが、しつこく降り続ける驟雨と鎌倉駅のやたら早い終電に急かされて話を切り上げざるを得ませんでした。

その土砂降りの中を駅まで向かおうとしたところ、何と居合わせたお客さんの一人がくるまでわざわざ送って下さいました。行きずりの人の親切は本当に嬉しいものです。ありがとうございました。
また、鎌倉が好きになりました。

0517 鎌倉の石のこととか

鎌倉に戻って来ました。
相変わらず湿っぽい。そして、当然のように2回目のめくりは終わっています。手伝えなくてスミマセンでした。
P1020469.jpg

そろそろ、葺き上げも調子が出て来ていて、茅屋根も地面から見えるくらいのところまでは葺けて来ました。
屋根のかたちが寄せ棟なので、仕事が進むにつれて確実に小さくなって行き、はかどるであろうことが励みになります。
P1020499.jpg

ところで、鎌倉のあちらこちらで使われて風景をつくっている石は、0511にichide!さんが指摘して下さった通り多くが大谷石でした。覚園寺に入っている造園屋さんが教えて下さいました。
P1020482.jpg

石垣などに使われて街並に彩りを添える建築石材は、産地によって流通していた時期と場所がある程度特定されるので、その街の経歴を語ってくれることが多くあります。大谷石は近代和風住宅の豊富な鎌倉の街と、どのようなつながりがあるのか興味が湧いて来ます。鎌倉の地場の石である鎌倉石は、もう少し古いお屋敷や寺院などに多く使われているようです。
P1020498.jpg
左が大谷石、右の茶色の濃いものが鎌倉石だそうです。

P1020491.jpg
これが大谷石。
P1020419.jpg
これが多分、鎌倉石。
やはりちょっと雰囲気が違いますね
sh@