月別アーカイブ: 2006年3月

0331 足場組み

あいな交流民家にも応援に来て下さった、「山城萱葺屋根工事」のヤマダさんの現場にお手伝いに来ています。

宇治田原市の禅定寺というお寺の本堂です。
今回の工事は葺き替えではなくて、「差し茅」と呼ばれる補修です。茅葺き屋根を長持ちさせるためには、適切なタイミングで差し茅を行う事が大切です。

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まずは、足場組みから。
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足場主任者講習を受けに行っても、「最近では行われていませんから」といって該当する内容を飛ばされてしまう丸太足場ですが、茅葺きの現場では今でもこれが幅を利かせています。

昔は屋根屋はハサミ一本担いで現場に行けば、材料の茅も手伝いさんの手配も、お施主さんに用意してもらうのが普通でした。別に屋根屋の怠慢ではなくて、集落共同体での農業生産の中で、そのようなものが自然と賄えた訳です。足場も、どこの家にでもあった刈り取った稲を干すための「ハサ木(稲木)」を借りて、足りなければ裏山の竹を伐って来たりして縄で組んでいた名残です。
話が逸れますが、現在そのようなかつての伝統的な生産システムに変わるような、「茅葺きと暮らすためのソフト」が構築されないまま、全てが現金決済に置き換わってしまっているのが、「茅葺きは高価」である、主たる要因でしょう。

では、今でも丸太足場にこだわるのは単なる因習かというと、そうでもありません。茅葺き屋根では軒周りの造作に手間がかかるのですが、足場の高さが絶妙な位置にないと、作業に支障が出るばかりでなく、場合によっては仕事ができなくなってしまう事すらありますが、杉丸太を番線で組み上げる足場丸太ならば、足場面の高さを屋根に合わせて自由に設定できます。また、深い軒の下まで回り込んだ足場は、柱材が短すぎるのはもちろん、長過ぎても上部先端が屋根に刺さってしまい使えません。杉丸太なら場合によっては簡単に切断して長さを調節することもできます。

足場を組んでいる途中の様子。
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足場の上にはかさばる茅材をストックするスペースも必要です。今回はあくまでも補修のために、どちらかと言うと狭め。葺き替えだと出来ればもう少し広い方がありがたいです。
sh@

060330 飛行神社

屋根屋の仕事は雨が降った日が休日です。
あまり予定を立てた生活はできません。

桜の季節を目前にして、雪まじりの冷たい雨に降られたので今日は休み。

京都の八幡市に泊まり込みできています。今まで車で通過するだけだと、八幡はスクラップ工場のイメージしかありませんでしたが(失礼)、歩き回ってみると当然ながら色々と楽しいものが見えてきます。

雨宿りしたのは「飛行神社」
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ライト兄弟の初飛行に先駆けて、自力で開発したゴム動力の模型飛行機を飛ばした二宮忠八が、晩年神職をつとめた由緒正しい神社だそうです。パイロットやフライトアテンダントの試験を受ける方の合格祈願や、空の安全祈願の絵馬がたくさんかかっていました。

出稼ぎの出張が多い仕事で、しかもものすごく辺鄙なところへもしばしば滞在する事になりますが、短いあいだでもその土地で「暮らす」ことで、旅行者として訪れるのとはまた違った町の顔を垣間見ることができたりします。
それが、結構楽しいです。
sh@

060329 エスキスの進め方

春になるのを待って、今住んでいる「初代砂木の家」の3分の1を取り壊して仕立て直しました。
「砂木の家」の敷地造成に備えるためです。
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最低限生活するだけのスペースとなってしまい、ものが片付かないので大変です。

そんなところですが、今のうちに設計も進めておく必要があります。
僕は学校で設計手法を習っただけで、社会に出て建築設計の修行をして空間を捉える力を磨いたりはしていません。
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そこでエスキスも立体的に行わないと、二次元のスケッチだけでは良く解りません。
2ミリのヒノキ棒をぽきぽき折りながら、1/50の模型を作っては壊す作業を繰り返しています。

060328 早春

川西の奥の一倉ダム湖畔にある,里山を利用した県立公園を訪ねてきました。
川西の奥といっても,僕の場合は園部から山を下りていって街の入り口ですけれども。

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すっかり葉を落とした明るい雑木林は、まだ冬の顔をしていましたが、林床の日だまりに差す光はもう春の色でした。山が一番にぎやかになる季節を目前にして、雑木林の木々もはやる気持ちを抑えきれない様子で、そこかしこで色がこぼれ始めていました。

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春先は黄色い花が多いような気がします。ミツマタが植えられていて,花をつけていました。
初めて見ましたがバナナみたいなつぼみがかわいらしい。
sh@

060326 トタンもスタイルのひとつ

瓦や金属板やが開発されたり、木を板に挽けるようになる以前には、広い面積の屋根を覆うための材料としては、一般的に土や毛皮の他には茅葺きしかありませんでしたから、茅葺き屋根の民家は世界中で見ることができます。
しかし、茅葺き屋根をすっぽり金属屋根で覆ってしまうというのは、おそらく日本だけでなされているのではないでしょうか。

ヨーロッパの茅葺きは茅材の根元を屋根の外側に出して厚めに葺く、「真葺き(まぶき)」という葺き方をする点で日本のそれと近いものがあるのですが、当地では茅葺きでもスレート葺きでも、あるいは石やタイルや金属板で葺かれていても、屋根の勾配や下地構造にたいした変化はありませんので、茅葺きの葺き替えをしたくなければ、気軽に他の材料を選ぶことができてしまいます。わざわざ被せる必要はありません。
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これはイギリスの例ですが、茅葺きに戻すのも簡単で、茅葺きが他のマテリアルと変わらぬ選択肢として用意できるという点で、うらやましくもあります。

世界的には茅材の穂先を外に出す、「逆葺き(さかぶき)」の方が多いと思いますが、逆葺きは薄く簡単に葺いて、傷むのも早いけれどまたすぐに葺き替えたら良いという考え方が普通なので、茅葺きをやめるときにはやはりわざわざ被せたりせずに、別の材料に取り替えてしまいます。
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これはバングラディシュの例ですが、中央奥が従来の茅葺き、手前左右がトタンに葺き換えられた屋根です。トタンに換えられた屋根の中には、茅は入っていません。

茅葺きが農の営みの中で必要とされず、金属板を現金で購入する方が自然な行為であった時代に、茅葺き屋根の遮熱性能や外観を保つための工夫として、日本独自に発達した「カンヅメ屋根」は、「ある時代を代表する民家の様式」として認められてもよいのではないでしょうか?

民家を滅び行く過去の遺物ではなく、今も生きづつける文化として捉えたならば、そのような考え方にも違和感は無いと思うのですが・・・
sh@

060324 トタンも「茅」のうち

茅葺き屋根は、そこに暮らす人にとって最も合理的に入手できる材料で葺かれます。

山がちなところではススキや笹で、水辺近くではヨシやガマで、農地が発達していれば小麦わらや稲わらで、南の島ではヤシやバナナの葉で。

これは奈良の稲わら葺き。奈良では山地ではススキ葺きが主流ですが、国中(くんなか)と呼ばれる農地の整備された奈良盆地では、稲わら葺きが多かったそうです。
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ただし、最も合理的な材料は、社会背景の変化に伴って変遷するものです。
ススキで葺かれていた屋根が、周辺の開墾が進んで茅場が遠くなり畑が増えれば、小麦わらに葺き替えられることもあったことでしょう。

ならば、茅葺きが農の暮らしと切り離され、工業製品を購入するのが最も合理的だった時代においては、トタンによって葺かれるのが自然な姿だったとも言えます。

そして今、自然と共生する暮らしがもとめられるようになってきたのならば、またトタンを剥がして茅に葺き替えれば良いだけの話だと思います。
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トタンを剥がせば中にはちゃんと茅葺き屋根が入っているのですから。

次はどんな「茅」で葺くのか?
それは、現代の日本でどのようにして茅葺きとともに暮らすのか、そのアイディア次第ということです。
sh@

060321 なごり茅刈り

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この場所は近いうちに造成されるそうなので、茅場を育てるというモチベーションにはつながらないのですが、過去何年か続けて茅刈りが行われていて、とても良い茅が生えているのがもったいないので、刈り取らせてもらいました。
この時期になると、ススキは葉もハカマもすっかり落として、棹だけになっています。この方が茅葺きの材料としては葺きやすい上に丈夫で適していますから、無雪地の茅刈りは春先にするのが良いように思います。

茅刈りに続いて茅倉庫まわりを片付けて、作業のあとはお弁当広げて。
うららかな春の日差しに恵まれて、絶好のピクニック日和でした。
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あたりまえのように演奏会が始まるし。
sh@

060319 箱棟/大和棟/破風

箱棟の大和棟には「養蚕のために2階の通気窓が必要」というような、切実な機能上の訴求があった訳ではありません。採用することによるメリットとデメリットを考えてみると、結構微妙なバランスであるにもかかわらず、その地域を代表する意匠となるまでに普及している要因としては、結局「格好良い」からではないかと思うのです。
カッコイイかどうかというのは主観の話になってしまいますが、モノの要素としては重要な事柄でしょう。僕は多少機能面に不満があっても、デザインが気に入っている道具は案外愛せます。が、その逆はなかなか難しい。

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さて、関西は茅葺きといえば入母屋造りが殆どで、美山町もその例外ではありません。けれども,美山周辺の入母屋の茅葺き屋根は、民家としては例外的なほど大きな破風(ハフ:三角の煙出し)を設けています。
風破を設けて入母屋造りにすること自体は単なる装飾ではありません。排気効率を高めるだけではなく、妻側だけ傷んだときに棟を障らずにその面だけを葺き替えることができたり、色々と便利なこともあります。ですが、破風はとにかく付いていれば良いのであって、大きくしたところであまり良いことはないばかりか、風に対して弱くなるし、雪が屋根裏に吹き込んできたり、動物が入り込みやすくなったり、何かと悪いことばかり増えてしまいます。

それでも、美山町の伝統的建造物群保存地区に行けば、大きな破風を上げた家ばかりずらっと並んでいるのは、やはり、「大きい方がカッコイイ」と皆が思ったからではないのかなあ。
sh@

060318 箱棟/大和棟

箱棟の家を反対から見ると、こんな感じになっています。
京都南部から奈良にかけてよく見られる形式で、「大和棟」なんて呼ばれたりしていますね。
このお宅は片側入母屋ですが、両方切妻にしているところも多くあります。
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大和棟も「傷みやすい隅の部分を補強して、台所の上から茅屋根を遠ざけ火災にも備える、理にかなった新しい茅葺きのデザイン」と評されるのですが・・・
箱棟ほどには茅を葺き替えるときに頭を悩まされることはありませんが、瓦葺きにあるまじき勾配で葺かれた夘建(茅屋根の端に立てられた壁)の瓦が結構傷んでいるので、瓦屋さんを呼ばないといけなくなります。また、この形態だと構造的な屋根の強度にも、影響を及ぼしているでしょう。

箱棟も大和棟も、あいな里山公園の交流民家と同じようなかたちの屋根に、改造を施して生まれた比較的新しい意匠です。茅屋根として葺き替えを前提に考えると、少々無理が生じているようにも思えるのですが、思うに、これらの意匠は葺き替えの際の古茅が、農業経営の中であまり重宝がられることが無くなった時期に生まれたのではないでしょうか。

肥料として古茅が必要でないのならば、茅葺き屋根は可能な限り丈夫に葺いて、葺き替えスパンを長くした方が良いということになります。場合によっては次の葺き替えの際の段取りの悪さに目をつぶってでも。
もし、そうならば、箱棟や大和棟を産み出した動機は、トタン巻きのカンヅメ屋根に踏み切るのとかなり近いものだったと思うのですが・・・

茅葺き(に限らないけれど)民家は、つくづく時代に合わせて柔軟に姿を変えていくものなんですねえ。その姿を美しいと感じるのも、長い長い年月をかけたトライアンドエラーの成果だからなのでしょう。
もっとも、今我々が目にしている中にも、エラーが混じっていないという保証はありませんけれど。
sh@

060317 箱棟

箱棟(はこむね)ってご存知ですか?
棟の部分が箱を被せたように、大工仕事であつらえてある茅葺き屋根です。ふつう瓦が葺いてあって、茅屋根の葺き替えの際にはいちいち解体しません。
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傷みやすい棟の部分を補強して、一見合理的なようにも思えるのですが、果たしてどうでしょうか。
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茅葺き屋根は、並べた茅を押さえたところを隠すように、次の材料を置くのが基本です。地方によって様々に工夫されている棟収めもまた然り。
ところが箱棟の場合は、最初から隠すふたが用意されているところへ、茅を葺き詰めていかなければなりません。そうすると、最後のひと針分の茅をいかにして押さえるのか?

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この隙間をどう埋めましょうか?茅を詰め込んだだけでは、どんなに固く詰めたところで、やがて屋根全体が乾燥して落ち着いてくるに従って、ゆるんで抜けてしまいます(箱棟によっては、茅を思い切り詰め込んだら壊れてしまうものもあるし)。針金でかきつけたりぎりぎりのところで押さえたら、押さえるところが屋根表面に近すぎて、屋根の中に水が廻る原因になりかねません。

実際にはそうならないように何とかしている訳ですけれど、手間ひまかかるほどには長持ちということも無いし、下手するとかえって頻繁な補修が必要になりかねません。
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本当に苦労しますよ。
sh@