月別アーカイブ: 2006年5月

060528 茅葺きシンポ2日目

ナショナルトラストの茅シンポ、2日目は会場周辺で茅葺き屋根の見学会です。

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ここは軒と棟の装飾にとことんこだわる職人集団、「筑波茅手(かやて)」の本場だけあって、案内して頂いた屋根には、いずれも見事な意匠が施されていました。

しかし、町内に車を走らせていて、それらの立派な茅葺き屋根以上に目を引いたのが、門。やたらとお寺の多い土地かと思いきや、全て普通の住宅の門でした。
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筑波茅手による見事な装飾は、雪の無い土地柄故に、冬場に磐越各地から出稼ぎに来た職人たちが腕を競った結果だという解説がなされましたが、腕を振るうにもまず、華美を求める施主の意向があればこそだったはずです。

「手間がかかっても、長持ちしなくても、とにかく立派な棟を!」という住人の気概に追われて職人も腕を磨いたのでしょうが、その我が家にかける情熱が茅葺きの少なくなった現在、門に向かって噴き出しているのでしょうか。
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門とバランスを取るためか、住宅の方もこのとおり。
ここまで来ると、立派にパンクしてますねえ。既存のモラルなど超越して突き進む!
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まあ、脇町のうだつもサンジミジャーノの石塔も、かなりの程度まで勢いで突っ走った結果生み出された景観な訳で、茨城の農村で弾けるデコラティブ和風木造住宅群が、後年どのように評価されるようになるのか、なかなかに興味をそそられるところではありますが・・・

話を茅葺きに戻します。
「霞ヶ浦のしまがや」なる茅材がどのようなものなのか、かねてから気になっていたのですが、常陸風土記の丘公園の茅葺き建築修復工事を見学した際に、実物を見せて頂くことができました。
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関西で「あやめ茅」と呼んでいるものと同じだという事が解りましたが、あやめ茅はとても使いやすいものの、まとまった数が採れないため難しい場所にだけ使う貴重品であるのに対して、風土記の丘公園に建つ大量の茅葺き建築群の、ほぼ全てがしまがやだけで葺かれるほどの収穫があるという話に驚かされてました。

しまがやで実際に葺くところも見学させて頂きました。写真を撮っている僕も含めて、わらわらと群がる若造職人たち。
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おまけ。風土記の丘公園にありました。
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小さな屋根を葺くのは本当に難しく、これなど正しくしまがやがあればこそというところでしょう。
「やり過ぎ」という声もありましたが、高度な職人技を遊び心に包んで置いてあるようで、僕は楽しいと思いました。

060527 茅葺きシンポ初日・男鬼のこと

茨城県石岡市(旧八郷町)で開催された、(財)日本ナショナルトラストが運営する「全国茅葺き民家保存活用ネットワーク協議会」のシンポジウムに参加して来ました。

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あいにくの天気(仕事を休むには良いタイミングですけれども)ではありますが、筑波山の麓にはのんびりとした空気がひろがり、分蘗のすすむ早苗田からはカエルの声が。

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パネルディスカッションが各パネラーの報告で時間切れになり、ディスカスにまで至らないのはいつものお約束ですが、個々の報告の内容はそれぞれ興味深いものでした。

しかし、それ以上に興味を引かれたのが、滋賀県から参加されていたカメヤマさんが手渡してくれた「よみがえる ふるさと 男鬼」というパンフレットで、思わず会場で読みふけっていました。

男鬼(おおり)とは滋賀県彦根市にある山村集落で、人が住まなくなって30年以上経つ現在でも、旧住人等による営みが続けられて来た事もあり、良好な集落環境を保っているそうです。
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パンフレットは滋賀県立大学人間文化学部有志「男鬼楽座」による調査報告を元として、男鬼の魅力を紹介することで、これからを考える活動への関心を高めていく内容となっています。

集落をそれをとりまく地理的風土、自然環境、景観要素、建造物とフォーカスしていく調査手法は、自分も環境デザイン学科在学中に繰り返していたので懐かしく思い返したりしましたが、さらに人の暮らしの詳細をそこでの一生、一年、一日、日々の作業の内容と解きほぐしていく解説は新鮮でした。

人々の営みの積み重ねが景観となるのであり、美しい景観に対してはそれを支えて来た暮らしの在り方を理解しようとするアプローチは、茅葺きを文化財として祭り上げるのではなく、日常の延長上に留め置くための生活スタイルを模索する自分のスタンスと、重なるところが多く共感を覚えます。

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廃村の再生活動はいくつかの事例を見て来ましたが、ハードとしての建造物の保存に偏ってしまったり、人を集めるためのイベントを用意しても、周辺の自然の活用にまで気が回らず景観の維持に至らなかったりして、残念ながらあまり上手く行っている例にはこれまで出会えませんでした。
日々の生活を支える経済活動として繰り返されて来た自然と共存する農山村での暮らしを、ボランティアや公共事業というかたちだけで引き継いでいくのは難しいということもあるのでしょう。
それだけに、そこでの人の暮らしと集落を取り巻く環境を俯瞰する視点を合わせ持つ男鬼楽座の活動が、今後どのような展開を見せるのか大変興味深いところです。

実は、滋賀県東北の岐阜との県境の山中には、豪雪地帯のため早めにトタンが被せられたせいなのか、茅葺きの占める割合が今でもとても高い集落が多く見られますが、過疎化の進むそれらの集落を蘇らせるようなモデルにまでなれば、湖北山村独自の新しい茅葺きスタイルが確立されるかも・・・

0526 続・葺き上げ工程

必要な量の茅を並べ終えたら、竹で仮に押さえて固定し、叩いて屋根の形を粗く出しておきます。
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仮押さえの竹は、茅を束ねていたサンバイコウと呼ばれる縄を再利用して、先に中押さえに張った縄に綴じて固定しています。
ところで、モノを束ねるために用意する短い紐のことを、サンバイコウと呼ぶのですが、語源もどのような漢字を当てるのかもさっぱりわかりません。どなたかご存知でしたらぜひ教えて下さい。

茅がしっかりと押さえられる適切な位置を選んで、本番の押さえの竹を配置して、屋根裏に「針受け」に入ってもらった人と協力しながら、大きな針を使って屋根下地の垂木に針金で縫い止めて行きます。
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表面から少しずつ風雨にさらされた屋根が減って行き、この竹が表れてしまったときが屋根の寿命となります。ですから、竹から奥に敷き並べる捨て茅は文字通り捨てているようにも見えますが、それによって茅の角度を適切に保てるように調節する事が、強く美しい屋根を葺くために一番必要な条件です。

押さえ竹を縫い止めるときに、足場の丸太を吊るための紐も、屋根下地の母屋からとっておいて、仮押さえの竹を外して足場丸太を吊ります。
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足場丸太に乗って、押さえの竹を足で踏みながら針金を八分の力で締めておきます。
それから、屋根表面を叩き揃えて形を整えます。

あらためて、数人並んで呼吸を合わせながら押さえの竹を足で踏みつけ、針金を締め上げてしっかりと固定します。
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最後にもう一度叩いて揃えてから、足場丸太を屋根の表面になる位置まで下げて止めます。

今回は屋根全面の葺き替えをしているため、以上の作業を東西南北の四面で繰り返しながら上がって行きます。
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フリダシに戻る。

ところで、鎌倉にいながら何となく観光スポット特有の気配が感じられて、これまで海の方へ行くのを避けて来てしまったのですが、今日は由比ケ浜の住宅地の中を散歩していたら、ある地点から風に潮の香りが混じるようになって、もともと神戸の海のそばで育った人間なのでとても懐かしい気持ちになって、誘われるままに海岸まで足を延ばしてしまいました。
やっぱり、海を眺めると心が落ち着いて気持ちが良いです。
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でも、今日は風が冷たくてTシャツでは少々つらかったので、海岸道路に面した店に逃げ込んだら、小柄なバーニーズマウンテンドッグが出迎えてくれたお店が、Daisy's Cafeでした。

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僕の偏見など見事に裏切ってくれて、鎌倉の海には楽しい人達(と犬)が集まっています。

0524 葺き上げ工程

 茅葺きの基本、まず両角をつくって屋根の角度と一工程で積み上がる高さを決めてから、茅を並べ始めます。
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茅屋根の厚さは材料を適切な勾配で無理なく並べると、普通は自ずと決まって来るものです。しかし、覚園寺の場合は巨大な軒を付けたために、通常ススキで葺くよりもかなり分厚くなっています。そのままでは奥が深い分だけ茅が寝すぎて、雨水が屋根の中に伝ってしまう逆勾配になってしまいますから、屋根めくりの際に取っておいた古茅を奥の方に充分敷き込んで茅が適切な角度まで起きるように調整してやります。

曽爾高原の茅は5尺〆の量が一束にまとめられているため、一つの束の中に長めのものや短めのなど色々な茅が入っています。
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短めのものを下に、長めのものを上にして2層に茅を並べます。工業製品ではありませんから茅はある程度曲がっているのが普通ですが(たまに許し難い程曲がっているものもありますが)、曲がりを読んで隙間が空かないように上手く並べてやります。

覚園寺の軒は1m近くありますが、ススキを材料として葺くのに適当な厚さは40〜50㎝くらいなので、棟まで軒の厚みのままで葺き上がると莫大な量の茅が無駄に必要になってしまいますので、茅屋根の厚みは軒に向けて徐々に薄くなっていくようにしておきます。
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結果として屋根表面の勾配は下地よりも緩い勾配となります。緩い勾配の屋根では一工程の始めに並べた茅の先端から最後に押さえる竹までが遠くなり、押さえが効きにくくなるため、半分の厚みまで茅を並べたところで一度軽く押さえておきます。

ワラ縄を端から端までピンと張って、1尺おきくらいにシュロ縄で一つ下の押さえ竹に綴じます。縄を使う事でさらにこの上に並べる茅ともよく馴染み、屋根の表面に隙間が口を開けたりする事もありません。
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半分並べたところでさらに奥に古茅を敷き並べます。「捨て茅」とか「のべ茅」と呼びます。捨て茅は適宜行い材料の茅が常に適切な勾配を保つように気を遣います。
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縄で押さえた上にもさらに茅を並べて角の両角の高さに合うように積み上げます。角度を付けて置く茅はどうしてもずれて落ちてくるので、角の勾配に合わせて叩き揃えたときに高さが揃うように、計算しながら並べる量を決めます。
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茅は寝かせすぎると逆漏りしますが、起こしすぎても屋根表面が粗くなり雨漏りの遠因になります。

最後に長く太めで丈夫な「取って置き」の茅を並べます。
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つづく

0521 屋根は捗らず、鎌倉の話

あいかわらずすっきりしない天気が続いています。
養生シートを上げたり下げたり・・・まるで、それが仕事のようになってしまっています。
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茅葺き職人に愛用者の多い昔風の「縫い付け」の地下足袋は、足裏の感覚が良く高所の丸太の上での作業には最適なのですが、濡れたシートの上を歩いただけで水が滲みてしまいます。一度濡れてしまうとなかなか乾かないのに。
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ところで、鎌倉の町を歩いて目につくのが、大正昭和初期に建てられた木造住宅。いわゆる近代和風と呼ばれる範疇に入るのでしょうか? 繊細な表情を纏いながら、しっかりと骨太に組まれた強さも醸し出していて、まさに「端正」と呼びたくなるたてもの達です。
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鎌倉は関東大震災による津波で壊滅的な被害を受けたそうで、その後街が再建されたことと関係しているのでしょうが、日本で大工さんが一番良い仕事をすることができたと言われる時代の、木造住宅のストックが豊富です。

旧華族のお屋敷とかはもちろんですが、町中の小さな住宅などでも、いかにも確かな仕事がなされたという跡が感じられます。
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町を歩いていると、そんなたてものが今でも普通に住む道具として、大切に使われている事が感じられてくるので、散歩をするだけでとても幸せな気持ちになれる町です。
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0519 曽爾高原の茅

覚園寺の屋根に葺く茅は、全てスミタさんが奈良の曽爾高原で調達されてきたススキです。
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歴史ある茅場の例に漏れず、細くて丈夫そうな茅です。これを切断したりせずに長いままで使います。

押さえの竹のすぐ下にはしっかりと押さえられるように、やや太く長く丈夫な茅を並べます。
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そのための茅はスミタさんが「特別に」注文して刈ってもらっているそうです。
おそらく、なだらかな起伏のある高原の中の、やや谷や窪地になった部分で、他より地味の肥えたところに生える茅なのでしょう。

茅の中には茅場に生えるたくさんの野花がドライフラワーとなって混じっています。
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アキノキリンソウも綿毛となる前の、かわいらしい花のままで束ねられています。
曽爾高原は標高が高く雪が早いので、茅刈りも比較的早い時期に行われるからでしょう。
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ちなみにドライになる前はこんな感じ。
藍那の現場でバイトしてくれた、ニシワキ君が送ってくれました。六甲山系東お多福山でのスケッチだそうです。

刈るのが早いためか、ススキはまだ葉やハカマを落とす程には枯れておらず、茅の中にはそれらが多く混じっていますので、葺いた感じはぼさぼさしたものになります。
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しかし、これをハサミで刈り込むと、目の詰まった美しく丈夫な屋根になるそうです。
僕はまだ見た事がありませんが、仕上がりが楽しみです。

ところで、今日はマイミクのichide!さんがわざわざ鎌倉を訪ねて下さいました。
仕事場を見てもらったあとに、由比ケ浜大通りを入ったところにあるラ・ジュルネというご飯屋さんで、おいしいパスタを食べつつ話に花を咲かせました。
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デザイナーというのは手の中に納まる道具から、都市を織りなす人と人の繋がりまで、社会に還元するためにより良いコトをデザインする人の事だと思っているのですが、正にそのようなデザイナーな方でした。
佐原市の水郷の再生の話など興味は尽きなかったのですが、しつこく降り続ける驟雨と鎌倉駅のやたら早い終電に急かされて話を切り上げざるを得ませんでした。

その土砂降りの中を駅まで向かおうとしたところ、何と居合わせたお客さんの一人がくるまでわざわざ送って下さいました。行きずりの人の親切は本当に嬉しいものです。ありがとうございました。
また、鎌倉が好きになりました。

0517 鎌倉の石のこととか

鎌倉に戻って来ました。
相変わらず湿っぽい。そして、当然のように2回目のめくりは終わっています。手伝えなくてスミマセンでした。
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そろそろ、葺き上げも調子が出て来ていて、茅屋根も地面から見えるくらいのところまでは葺けて来ました。
屋根のかたちが寄せ棟なので、仕事が進むにつれて確実に小さくなって行き、はかどるであろうことが励みになります。
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ところで、鎌倉のあちらこちらで使われて風景をつくっている石は、0511にichide!さんが指摘して下さった通り多くが大谷石でした。覚園寺に入っている造園屋さんが教えて下さいました。
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石垣などに使われて街並に彩りを添える建築石材は、産地によって流通していた時期と場所がある程度特定されるので、その街の経歴を語ってくれることが多くあります。大谷石は近代和風住宅の豊富な鎌倉の街と、どのようなつながりがあるのか興味が湧いて来ます。鎌倉の地場の石である鎌倉石は、もう少し古いお屋敷や寺院などに多く使われているようです。
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左が大谷石、右の茶色の濃いものが鎌倉石だそうです。

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これが大谷石。
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これが多分、鎌倉石。
やはりちょっと雰囲気が違いますね
sh@

060515 初夏

屋根めくりの始まった鎌倉を後にして、関西へ戻って来てしまいました。
自宅と藍那の茅倉庫まわりの草刈りをするため、その他諸々の用事のためで予定通りなのですが、タイミングがタイミングなだけに少々後ろめたいです。1回目のめくりもやっていないし。

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藍那の里山は初夏の装い。
林中から途切れなく聞こえてくる鳥の声。谷筋を吹き抜ける風。満開のレンゲ、ハハコグサ。
気持ちよすぎて、刈り払い機のエンジンをかけるのが憚られます。

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刈り取った草は一晩くすべて灰にして、畑の肥料に活用します。
火の番とお月見を兼ねて、夜の森で過ごします。

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ここは茅刈りを始めてまだ2年目ですが、草刈りをすると昨年よりも確実に植物の種類が増えている事を実感します。ワラビもススキ野原でよく採れます。今年は遅すぎましたけれど。

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草刈りをすませた茅場は、ススキの株がぽこぽこと個性的な風景をつくります。
手入れされた里山は人の気配が漂って良い感じ。
sh@

0510 屋根めくり(2回目)

軒から2針分葺き上がったので、上の方の古屋根をめくり始めます。
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今回は藍那のときのような素屋根が現場にかかっていませんから、屋根の葺き替えには雨対策が必要です。
古屋根を一度に全部めくってしまうと、養生のためにとてもたくさんのビニールシートが必要になりますし、雨漏りの危険も大きくなります。
特に軒の部分は軒裏から吹き上げてくる風をはらんで、そこからシートがめくれたり破れたりしやすいので、まず、軒付けに邪魔にならない程度に全体の3分の1くらいの屋根を解体するにとどめて作業して来ました。
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こうすれば、雨養生のためのシートは小さくて済み、その分風をはらむ恐れも少なくなります。
新しい軒がついて、軒先から屋根裏に風が入り込む心配がなくなってから、上の方の屋根をめくります。このとき雨養生に使っていたシートが、新しい屋根に古屋根の苔や泥が付くのを防ぎます。
残り3分の2の古屋根も一度にめくらずに、仕上がりの寸法が予想しやすくなるように、棟の部分はまだ残しておきます。何人もの職人が集まって、互いに見えない裏と表に別れて葺いていますから、このような気遣いが最後の仕上がりに利いてくると思います。

シートが無かった昔は、1日に葺ける分だけ毎日少しずつめくっては葺いていたり、白川郷で行われているように1日で葺いてしまう事を最優先に作業したり、色々と工夫(というか苦労)していたそうです。
sh@

0511 雨につき

屋根屋の仕事は雨の日が日曜日です。

鎌倉に来てからじめじめとした日は多かったものの、まとまった雨はあまり降らなかったので何となく濡れながらも仕事を続けてきましたが、今日は昼からしっかり降り出したので休みとなりました。

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昼間に鎌倉を散歩できたのは初めてです。

異邦人が勝手に鎌倉らしさを感じているもののひとつに、名前も知りませんけれどもこの石材があります。
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切り通しや「やぐら」の掘られている谷戸の崖も、稲村ケ崎の海蝕崖ものっぺりとした砂岩の壁で、鎌倉には石というものが転がっていませんが、この石材もそんな砂岩の固いところを切り出してきたもののように見えます。実際のところはまだ存じませんが。

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この石で低く積まれた石垣の上に生け垣、という組み合わせは、いかにも「鎌倉のお屋敷」らしく思えます。

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見た感じ加工しやすそうで、他にも舗石やブロックの代わりに塀に積まれたりして、鎌倉の街のあちこちで使われています。

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エイジングによる効果が出やすいのも、柔らかそうな砂岩ならではですね。

ところで、昨日も少し触れましたが、お施主さんが暮らしたり、宗教施設として現役で使われている建物の、屋根をめくらなければ仕事のできない屋根屋ですから、雨対策が信頼できなければ、今日のような雨降りに安心して休むこともままなりません。

現在はシートがあるからそれでも楽なのですけれども、それまでは屋根をめくった穴を塞ぐためには、茅を仮に薄く並べるくらいしかできなかったそうです。

タナカさんの若い頃の話として、自転車を持っていない自分だけがお施主さんの家に泊まり込み、親方や兄弟子は通いで仕事をしていたところ、屋根めくりをした日の夜に雨が降り出して来たため、ひとりで何とか雨養生をしなければならなくなったものの、大きな屋根に茅を仮に並べ終わる頃には夜が明けてしまったしまったそうです。
しかも、夜が明けると雨は降り止み、仕事に来た親方や兄弟子と共に、あたりまえのように徹夜で仕事をせざるを得なかったとか。
笑い話としてされますが、怖い話です。
sh@