最後の屋根めくりです。
棟収めは地域による違いの顕著な箇所なので、棟の解体に際しては前回のやり方を参考にできるように、検証しながら行います。
僕が現場入りした時点で雨養生の瓦は既に取り外されていましたが、休憩に縁側をお借りしている、境内に移築された旧内海家住宅の棟と同じように、瓦が重ねられた棟だったそうです。
これ、最近どこかで見たなと思ったら、ナショナルトラストのシンポジウムで茨城の八郷を訪ねた折、当地で見たものと同じ収め方でした。
これが常陸風土記の丘公園にあったものです。基本的に同じ手法ですね。
屋根をめくって行くと、葺き方にも関西では見られない特徴がありました。
角の部分を独立してつくるのではなく、平面を押さえた竹をそのままコーナーに沿って曲げて、同じように押さえています。また、角の両脇を足場を吊る縄で仮押さえして、その痕跡が残っています。
こちらは常陸風土記の丘公園で見学させて頂いた現場の写真。びっくりするくらい、全く同じ手法です。
つまり、鎌倉もいわゆる「筑波茅手」の活躍の舞台だったのか・・・いや、地元相模の屋根屋さんがいなくなってから、呼ぶようになったと考えた方が自然かな・・・
参考までに、これは美山での角付けの様子。
コーナーの部分を先につくってから葺くので、押さえの竹は角の部分は押さえません。
これは藍那の交流民家。
角のエッジを立てれば、コーナーまでしっかりと固めて葺くのは難しくなります。
関西では面や角をきっちりと出すことに気を配ります。
関東の屋根は素晴らしい装飾に注力し、面や角のバランスや仕上げには、ある程度おおらかです。
コーナーも押さえ竹でまわり込むようにして仕上げれば、角のエッジを立てるのはちょっと無理です。
ちなみにイギリス南部の伝統的な茅屋根の葺き方や仕上げも、筑波流と同じような考え方をしています。
つくづく日本は多文化国家だなあ。
下地の上には屋根を葺く前に、10㎝ほどの厚さに茅が敷き詰められていました。
主に葺き材の先が下地の下に入り込むのを防ぐためですが、特に下地も傷んではいないのでそのままにしておきました。