月別アーカイブ: 2006年11月

061124 晩秋

神戸に茅倉庫の片付けに行って来ました。
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それなりに艶やかな、雑木林の紅葉も終盤に差し掛かかりました。
今年はあまりにいつまでも暖かで、今さら小春日和と呼ぶのもためらいそうな日が続いていましたが、それでも季節は移ろっていたことを、里山の木や草や鳥の姿が教えてくれます。

さすがに最近では日が陰ると寒さを感じるようになって来ました。
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藍那の里山も間もなく冬を迎えます。

061122 湖北の茅葺きの里

滋賀県マキノ町の在原という茅葺きの集落を訪ねて来ました。
扇状地にある市街地から谷を遡り山へ分け入った、いわゆる隠れ里と呼ばれるような集落です。

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滋賀の茅葺きというとヨシで葺かれたものをイメージされるかもしれませんが、湖岸を離れた場所ではススキが使われるの普通で、在原の屋根もススキで葺かれています。
ヨシはとても重量があるので、船で運んで行ける場所でなければ使いづらかったのかもしれません。

ここを訪ねた目的のひとつは、サガラのターレットトラックの回収です。
ターレットトラックとは、魚市場などでトロ箱をいっぱい積んで構内を走り回ったりしている、アレです。
生来インドア派のようですが、茅運びにも活躍してくれたら良いのですが・・・
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背後の民家の屋根は、初夏にヤマダさんの山城萱葺屋根工事によって、手前の小間を葺き換えられています。
サガラはそのとき在原に泊まり込みで手伝っていました。

さらにその奥の民家は、マイミクのふくい さんがセルフビルドで廃屋を一旦基礎まで解体してから、再建中のものです。もちろん、茅葺き屋根もセルフで。すごい。
今回はお留守でしたが。

もともと在原には職人さんが入ることはあまりなく、ごく最近まで住人の方が茅を集めて自ら葺くのが普通だったようです。
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今でも雪の季節を前にして、あたりまえにススキが刈り集められ、軒下で干されています。

それは、積雪の多い土地で雪囲いとしての需要があるからかもしれません。
ビニールトタンの雪囲いに比べて茅束の雪囲いは明るさで劣るものの、断熱性能に優れてすきま風も防ぐので暖かいそうで、2つを組み合わせると具合が良いようです。
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雪囲いにするために茅を刈るので、その茅を使って屋根のメンテナンスもする。と、いうのは、茅葺きを守るために茅を刈る、というのに比べて合理的で健全な気がします。

とは言うものの、茅刈りは結構な肉体労働です。ましてや、職人によるケアが一般的ではないまま高齢化が進むと、やはり屋根の維持は難しくなってきて、徐々にトタンが被せられてもいるようです。
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丁度トタンを被せるための下地が組まれた屋根がありました。
トタン板と茅葺き屋根のあいだには隙間があることが判ります。この隙間があるので、トタンを被せても茅屋根が蒸れたりすることはありませんが、あまり隙間が大きいとオリジナルの屋根の面影を失ってしまうことになります。

同じ入母屋の茅葺きでも在原の屋根は、美山の屋根とも神戸の屋根とも異なります。
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ミノコの無い直線的なケラバ、小さめのハフ、屋根勾配より緩やかな低い棟、など。

しかし、プレスされた瓦型のトタンで包まれると、そのような個性は失われてしまいます。
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在原には庇の無い葺き下しの茅葺き屋根が多いのも特徴です。
僕は茅葺き屋根に庇が付けられるようになったことは、ひょっとするとトタンを被せられることと同じくらい大きな改造だったかも知れないと考えています。
「囲炉裏を焚かなくなったから、茅葺きが長持ちしなくなった」という説が一般的ですが、庇が付けられたことはそれ以上に茅葺きの寿命に影響しているかも知れないからです。が、それについての話しはいずれまた改めて。

061119 トタンは美しい、こともある

久し振りに、トタンを被せられた茅葺き民家について。

トタンなどの金属板を被せられたら、それはもう茅葺きではないという見方もあるでしょうが、僕はトタンも数ある茅葺き屋根のバリエーションのひとつという考えですから、茅葺き屋根の様式が気になるように、「トタンの被せられ方」にもいちいち目が行ってしまいます。

北摂丹波地域には、内部の茅葺き屋根のプロポーションを忠実に再現し、板金細工で棟飾りまで拵えたトタンの屋根がたくさんあります。
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これらは比較的早い時期にトタンを被せられたものが多く、実は茅葺き職人から板金屋さんに転職された方によって葺かれていたりします。
オリジナルの木で出来た破風(三角の煙り出し)をそのまま用いていたり、あくまでも茅葺き屋根を葺き換えるにあたって、材料のひとつとしてトタンを選択したという姿勢を見て取ることが出来ます。

茅葺きという文化を支えていた伝統的な農業が行われなくなり、材料としてススキや小麦ワラよりもトタン板の方が合理的になって来た世の中の変化に合わせて、職人としてトタン板を扱う技術も習得して、茅葺き屋根に携わり続けた先輩方の生き方には感銘を覚えます。
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実際これらの屋根は農村風景の中にも馴染んでいるように思えます。
もちろん茅葺き本来の、自然と共生する人の暮らしによって培われる風景からもたらされる、安らぎのようなものには欠けるかもしれませんが、そもそも茅葺きが象徴した循環する生産システムの失われつつある現在の農村においては、純粋にその形態の美しさは讃えられても良いのではないでしょうか。

一方で最近よく見られるトタンを被せられた屋根に、瓦型にプレスされたトタン板によるものがあります。
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こちらは出来合いのパーツをメーカーの仕様に従って組み合わせて葺くものなのですが、茅葺き屋根を土台として新しい屋根を作るようなところがあり、建物全体としてのバランスとしては妙に頭でっかちになってしまいがちです。

板金職人さんがハサミでトタンをチョキチョキ切りながら葺いた屋根は、トタンを被せられても豊かな地域性を意外に残していることに驚かされますが、瓦型プレス板金の場合は内部の茅屋根に関係なく同じ仕様の屋根を乗っけているだけなので、全国どこであっても何だか変化に乏しい屋根になってしまうのも残念です。

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繰り返しになりますが、トタンを被せられたからといって茅葺き屋根は終わりではありません。環境が整えばまた剥がせば良いだけのことですから。
しかし、民家の姿は時代や環境に合わせて変化して行くものですから、ある時期を象徴する茅葺き屋根のスタイルとしてまずトタンを認めたうえで、「良いトタン」や「いまひとつのトタン」と批評してみるのも面白いのではないでしょうか。

1115 水海道点描

帰る前に3週間弱滞在した水海道(茨城県常総市)をご紹介します。
と、いっても僕も来てみるまで名前も知らなかったのですが。
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鬼怒川の水運で栄えた町だそうで、往時を偲ばせる立派な建物がたくさん残っています。
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引き込み線の残る大谷石の倉庫。
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水運から鉄道へのシフトは滑らかに進んだようで、先見性の高い土地柄だったのでしょうか。

街中には擬洋風の洋館やレンガ造りも目につきます。
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現在でも首都圏へのアクセスが良いせいか、古い街並を残しながら空き家は多くありません。
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何故か金物屋さんがたくさんあります。鍛冶屋さんが多かったのでしょうか。

市街を外れた家々は、立派なシラカシの垣を巡らしています。
筑波山がそびえる他はどこまでも平らで、冬には空っ風がきつそうです。
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でも、風の強い翌日に晴れると雪を頂いた日光の山並みから富士山まできれいに見えて、広々とした風景には地元の京都北山では考えられない爽快感がありました。

奥に繁るのが坂野家の屋敷森。
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それにしても、関東の畑には道路とのあいだに畦がないのが不思議。

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1114 ハサミで刈込み - 竣工

研修なのでヘッジトリマーは封印して、屋根ハサミを使って刈込みます。
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茅屋根は棟から軒に向かって、足場の丸太を外しながら順に仕上げていきます。
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パワーツールが日常的に用いられる大工さんと違って屋根屋の現場は、葺いているあいだは茅を捌くガサガサという枯れ葉の擦れる音、仕上げに入るとシャキシャキとハサミを入れる音だけが響いていてとても静か。だったことを思い出しました。
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最近ではタワーリフトやインパクトドライバーやヘッジトリマーやブロワの音が賑やかになって来ているもので。
茅葺きの単価を下げるための努力は怠れませんが、美山が世間から取り残された井戸の中だった頃を、少し懐かしく思い出してしまいました。

茅葺きはどうしても茅くずの散らかる仕事なので、毎日の掃除も大切な仕事のうちです。最後にあらためて念入りに掃除。
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そして無事、竣工しました。
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筑波流の屋根に通常の仕事では許されないくらいに、じっくりと時間をかけて取り組むことが出来た今回の研修は、慣れないがための苦労も多かったとはいえ毎日が新しい発見の連続でした。

1109 続・棟収め

マキワラの高さまで並べた茅を、横積みにした棟に巻き付けるようにして曲げます。
表側を並べて曲げたら、そこに重ねて裏側も。
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タナカさんの指導により膝で潰した茅は、濡らさなくてもきれいなカーブで曲げることが出来ました。
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その上に、これは充分濡らしておいた杉皮を被せて竹で押さえます。
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割竹を編み付けて、筑波の茅葺きの棟収めの特色であるスノコ状の棟をつくります。
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ひょっとしたら、あらかじめスノコを編んでおいてから被せるのかもしれませんが、古い屋根の解体過程からは判断することができませんでした。

竹と杉皮の端を切り揃えます。
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棟が収まりました。
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やはり美山の棟とは勝手が異なるので、「棟が上がった」という達成感にも何となくズレがあります。

1108 棟収め/どんぐり注意報

茅葺きの地域性が最も豊かに現れる、棟を積む作業に入ります。
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職人なら仕事は手と目で覚えるものだとは思いますけれども、客観的な記録という点では写真や映像はやはり優れものです。
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実際の施工作業にかかると解体の過程では気付かなかった疑問点も出て来ますから、あらためて写真資料を見直せば新しい発見がいくつもあります。

並べた茅材を押さえた竹を、次の茅材を並べることで覆い隠すことを繰り返して葺き上がっていく茅葺き屋根。
最後の押さえ竹をどうやって隠すかの工夫が、様々な姿の棟収めを生み出して来ました。
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共通しているのは最後の押さえ竹が棟の基礎となること。
屋根の表裏で基礎の高さが揃っていなければ、どんなに丁寧に棟を積んでもやがて傾いてしまいます。表裏の押さえ竹に足を置き棟を跨いで立ってみることで、竹の高低を判断します。

茅材を横積みにして棟のかたちを整えます。
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丸い棟にするために、関西のように高く積み上げたりはしません。

両端を杉皮で押さえ、その杉皮をマキワラで押さえます。
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マキワラは竹串を差して固定します。

平行して、ケラバ(破風周りの軒)も刈り揃えたので、屋根のかたちがはっきりして来ました。
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ところで、ドングリの降り方は日に日に強くなってきていて、カーン!と音を立てて鋼管足場に落ちてくるそれは、頭に当たったりすると結構痛かったりします。
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1105 葺き上げ

薬師門は大きなシラカシとムクノキに挟まれて建っているのですが、ここ数日カシの木からドングリが降るようになりました。
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11月にしては暖かすぎて気味が悪いものの、外で仕事をするには最適な気候の中で、葺き上げは順調に進んでいます。
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「マキワラ」も取り外したものを参考にして新しく作り直しました。丁稚サガラの力作です。
古いものはやはり稲ワラを芯にしていましたが、耐候性に配慮して今回はススキ100%としました。
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古い棟を解体したので、葺き上がって行くにあたって目安となるものが無くなりました。
新調したマキワラが上手く収まり、「蓑甲(ミノコ)」のかたちがきれいに四隅で揃うように、相談しながら葺いて行きます。
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慣れない関東風の屋根に挑戦しているので、四つの角をそれぞれ受け持っている職人同士で、息を合わせて葺いて行くことが殊更重要になっています。
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