月別アーカイブ: 2007年4月

0430 竣工

最後に軒の裏表を刈り揃えて完成です。
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美山のような寄せ棟型の入母屋だと、一般に小間(妻側)の屋根の方が大間(平側)の屋根よりも勾配が急なのですが、切り妻型の入母屋であるせいか、この屋根は小間の方が大間よりも勾配が緩かったために、角を葺いて上がる時に勘が狂って苦労しました。
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小間の方が緩やかな入母屋の茅葺き屋根は、福知山盆地から丹後にかけて普通に見られます。おそらく屋根下地の組み方と関係しているのではないかと思います。

天橋立を望む旧永島家住宅の屋根葺き替え、無事終了しました。
手前の小間は一昨年の春に差し茅で修理しているので、これでひとまず四面全てのメンテナンスが済んだことになります。
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せっかくの良い茅葺き民家なのに、余り人が来ないと愚痴をこぼしてしまいましたが、魚屋のおじさんに「資料館の屋根を葺いとう人やね」と声をかけられたり、地元の人達は結構意識して下さっていました。
定期的なメンテナンスのためにも、何とかその興味を汲み上げて、人の集う場所にして頂けたらと願わずにはおれません。

0428 刈込み/宮津の魚

足場の丸太は二つ折りにした縄で押さえ竹から吊ってあり、屋根を棟の方から刈込み仕上げて行くに連れて外し、縄も外から二つ折りにした一方を引き抜いて外します。
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オギは丈夫なだけに、刈込むのは骨が折れます。

職人仲間では「粘る」と表現していますが、表面が水をはじく程堅いので、良く研いでおかなければハサミがかからず、無理に切ろうとすると切り口が潰れてしまいます。
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屋根は葺いて上がる時にかたちを決めておかないと、ハサミで始末をつけようとしても出来ることは限られているということです。
そもそも貴重な茅の、それも丈夫な根元をあまり刈り取ってしまっては、もったいないですし。

この現場もそろそろ終盤ですが、宮津滞在で嬉しかったのはやはり何といっても、魚が美味い!
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桜鯛の一夜干し、ほたるいかのかき揚げ、旬の蛤みたいなアサリの汁、朝採りのもづく、さよりの握り・・・
しかも、車なのでお酒を頼まないと、お勘定のあまりの安さにも驚かされます。

だからといって毎晩外食に出歩いていた訳では無くて、普段はつつましやかに自炊ですが。
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ただし、これは朝食。
料理好きな後輩達に恵まれて幸せです。

0427 刈込み/八重桜

旧永島家住宅の周りはすっかり葉桜となり、今は八重桜が見事なまでに満開です。
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子供の頃は何だかけばけばしく思えて八重桜はそれほど好きではありませんでしたが、最近では年のせいなのかこの味わいがわかるようになって来たような気がします。

今回の現場では人数をかけて、表裏の大間(平側)と東面の小間(妻側)の三面をほぼ同時に葺いて来ましたが、葺き上がったところで少数体制に移行したため、刈込みは順番に行います。
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まず、両方のケラバを落として(決めて)から、表の大間を上から順に仕上げて行きます。

日が長くなって夕方遅くまで作業できる一方、紫外線量が増えて疲れも溜まるので、昼食後には昼寝が欠かせません。
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寝ておかないと、日の暮れ近くに体が動かなくなりますので。
そのような意味では、昼寝も仕事のうち。

表側が仕上がり続いて裏へとまわります。
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ケラバが決まると屋根のエッジが際立つようになり、スカッとしますね。

0425 葺き上がり/芸術新潮

本日4月25日発売の、「芸術新潮5月号」で、武相荘の葺き替えの様子が小特集として取り上げられています。
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ていねい且つまじめな取材ぶりに感心させられていましたが、若き棟梁の中野誠氏(本ブログに登場するナカノさんです)のお人柄の伝わる、楽しい特集となっていました。
また、さすがにプロの方による現場写真は素晴らしく、僕のいい加減なシャッターでは伝えきれない雰囲気や工程も良く解ります。

書店へ行かれましたらぜひ手に取ってご覧になってみて下さい。

さて、現場の方はいよいよ箱棟の際まで葺き上がって来ました。
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棟を積まない箱棟の場合の葺き納めは、まず箱棟と下地との隙間が埋まるまで茅を葺いて、それを押さえ竹で締め付けることによって生まれる隙間に、さらに茅をぎゅうぎゅうと詰め込めるだけ詰め込みます。

ただ、茅は丈夫とはいえ草ですから、力まかせに押し込んでも折れて曲がるばかりで入っては行きません。
また、やたらと詰め込んで茅の勾配がひっくり返り、屋根の内側に傾斜するようになれば当然そこから雨漏りしてしまいます。
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加減が難しいのですが、箱棟のつくりが華奢だったり茅を差し入れられる構造になっていなかったりすると、さらに余計な苦労を強いられることとなってしまいます。

幸いこちらの箱棟はとても具合の良い拵えとなっています。
妻側にも丈夫な板が組んであり(大工さんの言うところの風破板はこちら)、雨仕舞いに全く関係のないところを葺くために、いらない苦労をすることもありません。
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箱棟の下に見える破風も、つくりが凝っているだけではなく茅を葺く際の事情にも配慮していて、当時の大工さんが茅葺きのことを良くご存知であったことに感心させられます。

そんなこんなで葺き上がりました。
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続いて散髪、仕上げの刈込みです。

0422 葺き上げ/ケラバ

雨休みで美山の自宅に帰ってみれば、啓蟄を過ぎた雨の夜の田舎道はカエルだらけ。
カエルに注意を奪われての運転はとても危険ですから、なるべく意識しないように努めなければなりません。
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が、実際にはついつい近くの路面を注視しつつ、反射的に急ハンドルを繰り返してしまいますが・・・
特にこのアマガエルと比べて大きなモリアオガエルは、踏んだ感触がタイヤを通して感じられてしまうので、絶対に轢きたくはありません。

さてアリゴシまで葺き上がってくると、角の部分ではこれまでのコーナーに変えてケラバを積み始めます。
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寄棟の角付けから、切妻の角付けに変更という訳です。
軒と同じように、まず堅く真っ直ぐな材をかきつけて、その上に柔らかめの茅を並べ、それを挟み込むようにして角の材料を付けて行きます。

西日本のケラバは豆腐を切ったような単純なかたちが主ですが、だから簡単かと言うとなかなかそうでもありません。
平らな面は軒裏と同じように、短い距離で茅の角度を急激に変えなければなりません。しかし軒裏と異なり、常に風雨に曝されるところですから、耐久性に配慮した材料を選ぶ必要もあります。
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短く丈夫な材は滑って抜けやすく、短く柔らかい材は雨で傷んでしまいます。長い材は茅を扇のように並べて角度を変えることを妨げます。それらを組み合わせて、抜けにくく、傷みにくく、理想的な角度のケラバを積まなければなりません。

それだけに工夫のしがいがあり、職人ごとの手の違いも大きく、僕自身でも独り立ちした頃と今とでは、使う材料も積み方も全然違って来ています。
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茅葺きという技術は、完成されていると言えるほどには洗練されてはいませんので、個人の一生をかけた創意工夫の積み重ねで、これからもより磨かれて行く余地を多く残しているという点も、僕にとっては大きな魅力です。

イギリスで茅葺きの学校に参加したり、関東の屋根を葺いたり・・・地元を離れての経験は、職人としての視野を拡げて、新しいアイディアを生み出すための大きな力となります。
各地の仕事を手がけることで技術の地域性、ひいては茅葺きという文化の地域性が失われてしまうのではと危惧されたこともありましたが、最近では職人の手技はそれほど浅薄なものではないのではないかと思えるようになりました。
新しく吸収された情報は職人ひとりひとりのなかで消化され、それぞれの土地の文化や歴史を踏まえたかたちで出力されるはずだと思うからです。

0418 虹

今年の桜もそろそろおしまいです。
昨日は朝のうちは日が射したのですが、雲の流れが早く一日中小雨のぱらつくなかでの仕事となりました。
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だいぶ葺き上がったとはいえ、まだ箱棟の雨垂れが収蔵品のしまってある屋根裏に流れ込むくらいの隙間は空いています。
シートをめくり上げたり下ろしたりの繰り返しに追われました。

そしてとうとう日の暮れ間近になって本格的な驟雨に見舞われました。
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あわててシートを下ろし、ずぶ濡れになって雨養生を整えたところで雨は止み、西日に照らされた東の空には天橋立を跨ぐ虹が架かっていました。

0417 茅のはなし -メガヤ-

今回の現場で解体した古屋根のうち、数少ない再利用可能な茅の中に、美山で「メガヤ」と呼んでいるススキとは違う茅が結構な割合を占めていました。
所謂「カリヤス」の一種で、白川郷で「コガヤ」と呼ばれているものに近い印象ですが、何分カリヤスの仲間は種類が多いのと、僕自身生えているものを見たことが無いので、同定に関しては自信がありません。
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しかし、茅材として非常に優れていることは確かです。
細くしなやかなので均等に密に葺くことが容易で、葉は棹の途中から細かいものが多数出ているので、穂先が大きくなりすぎることも抜けることも無く、棹の中は中空となっているため水はけが良く乾きも早いのです。

素材の感じとしては小麦ワラに似ていますが、もっと肉厚で耐久性も遥かに勝ります。
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これだけ優れた素材ですから、かつては美山でも盛んに使われていました。
しかし、生育するのがある程度標高のある山の尾根筋だけなため、そのような場所の茅場は戦後の拡大造林の際に真っ先に杉が植林されましたし、或いは林道もない山奥まで茅刈りに行くことが大変なため、放置され森林に遷移してしまっていて、既にメガヤの茅場は美山では完全に失われてしまっています。

そのため、目にするのは常に古屋根を解体した際の古茅ということになりますが、古茅となっても2回3回と繰り返し使われることも珍しくありません。
今回のメガヤも煤け具合から察するに、前回の葺き替えに際して用意された時点で、どこかの解体した家からもらって来たものなのか古茅だったようです。
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茅刈りが行われなくなってから久しい時期に、公共事業のために慌てて集められた新しい茅が、軒並み傷んで再利用できないのに、さらに古い時代に伝統的に刈り続けられて来た山の茅場で刈られたメガヤが、全く問題なく新しい屋根の材料として再利用できる。
しかし、茅刈りを止めたメガヤの茅場は、瞬く間に姿を消して既に痕跡すら判らない・・・

話しは変わりますが、日曜日には溝日役、道日役という地元のムラの共同作業に参加して来ました。
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田起こしに備えて、冬のあいだ水を止めていた農業用水路に溜まった、落ち葉や土砂を取り除くのと、雪が消えた農道にバラスを蒔いて、毎年一回路面を整える作業です。

僕は農家ではありませんが、農業のために行われるこのような作業の成果が、積み重なって僕等のムラの美しい景観となっているわけですから、参加することにためらいはありません。
茅場もまた、当たり前に行われて来た茅刈りという営みが、蓄積した風景だった訳ですから・・・
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今でもまだ人が積極的に関わっている部分の残る自然だからでしょうか。ムラの農道に咲くタンポポは、どれも在来種のカンサイタンポポでした。
いつか山の上の茅場にも人の手がかけられる日がくれば、古茅ではなく地面から生えたメガヤの姿を見ることが出来ることでしょう。

0414 茅のはなし - オギ -

破風(ハフ、入母屋の煙出)の下端、屋根の肩のところが近づいて来ました。
破風の下端を結ぶラインを、美山では「オリモト」とか「アリゴシ」と呼んでいます。
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わざわざ名前がついているのは葺き替えのタイミング計る際に、このラインから上と下で屋根を2分して考えるからです。
下半分は上半分よりも屋根を流れる雨水の量が多いため、当然ながら早めに傷んできます。屋根を効率よく維持して行くためには、傷んだ部分だけを順番に葺き替えられるようにしておく必要があります。

最近ではさらに、傷みやすい下半分にススキより丈夫なヨシを混ぜて葺いています。
ススキに関しては肥料や飼料としての需要が無くなった現在、茅葺きの葺き替えのためだけに無理をしてまで必要な量を確保するよりも、まずは出来る範囲での良質な茅場の維持管理に努めます。一方で必要性は認められながらも需要が無く滞っている、河川湖沼のヨシ原の刈り取りを茅葺きのために進めることで、茅葺きを介して地域を超えた自然と共生する文化の盛り上がりを期待しているのです。
そのために、両者をバランスよく適材適所に使い分けるように努めています。
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ただし、今回持ち込んだ材料は、実は正確にはヨシではなく「オギ」です。

産地の宇治川河川敷のヨシ屋さんは、ヨシのことを「メンヨシ(女葭?)」オギのことを「オンヨシ(男葭?)」と呼ばれています。
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ヨシ原の中でヨシとは別の群落を作って棲み分けているのですが、オトコヨシと呼ばれるだけあってヨシよりも堅く、表面には光沢があり水をはじきます。

そのため水濡れに対して耐久性を発揮する一方で、材料としては親水性に欠ける分だけ表面張力が小さく、緩い勾配で屋根に葺くと雨水を通過させてしまいやすいため、使用に際しては注意を必要とする材料でもあります。
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そこで、様々な長さに切断したものを用意して、それらを何層にも重ね合わせることで最適な材料勾配を保つようにします。

茅葺き屋根はその建物の建つ土地における人の暮らしの中で、最も身近で合理的に入手できる材料で葺かれてきました。
ならば、生まれた村で一生を過ごす人が過半だった時代と異なり、現代の私達の生活範囲に照らしてみて、関西の屋根を葺く材料として地元の材料に加えて、宇治川や淀川、琵琶湖のヨシが混ぜて使われることは、とりたてて特異なことではないと考えています。
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もちろん、いずれは茅葺きの需要がさらに増えて、宇治川のヨシは京都南部で消費され、丹後の屋根を葺くために円山川河口や久美浜湾のヨシ原、世良高原のススキ原が再興されていくことを、目指しての上でのことです。

0412 古屋根解体/箱棟詳細

天橋立を眺めながら、朝凪の海岸に沿って遊歩道を散歩するのが日課になりつつあります。
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とてもたくさんの種類の鳥を目にすることが出来ます。海辺の鳥達は普段美山の山奥で見ているのとは違っていて新鮮です。

軒から何段か葺き上がって安定したので、残る上半分の古屋根の茅もめくります。
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下半分と同様に、再利用できそうな茅は余り多くありません。

片側の茅が全てめくられて、後は葺き上がって行くだけとなりました。
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旧永島家住宅は箱棟なので、棟の解体の必要が無い分手間がかかりません。
変な箱棟だと、葺いて行くのにかえって手間がかかることもありますが。

下地の竹はやはり100%交換が必要でした。
旬の悪い時期に伐った竹は、どんなに乾燥させても煤竹にしても、虫が入ってだめになります。
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ちょっと判りにくいかもしれませんが、屋根下地の構造が同じ入母屋でも美山とは全く異なります。
放射状に垂木が流される美山と異なり基本的に垂木は平行です。
寄せ棟に破風(ハフ=煙出)の部分を乗っけて入母屋にしている美山と、切り妻に風破の下を継ぎ足して入母屋にしている丹後。

箱棟に近寄って覗き込んでみると、驚くほど大きな部材で丈夫に組まれていることが判ります。
最後の葺き収まりではこの箱棟の下に、茅を詰め込めるだけ詰め込みます。箱棟の造りが華奢で詰める際に壊れないように気を遣うようでは、詰めた茅が後々緩んで抜けて来てしまいますので。
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また、部材の下端が斜めに切り取られていることにも注目して下さい。
茅は雨仕舞いのために常に外に向かって傾斜していなければなりません。下端が水平だと奥側の角に茅が詰まるので、箱棟と茅のあいだに隙間が残ってしまうのです。

さらに箱棟の内部の様子です。
箱棟の棟桁は茅葺きの屋根下地の棟木から束を立てて充分に浮いており、内部には詰め込んだ茅の先を収めるだけの空間が確保されています。
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箱棟は茅葺きの棟収めの変遷の過程で生み出された形態ですが、この箱棟を設置された大工さんは茅葺きのことを良く理解されていたようです。

0410 葺き上げ

天橋立の周りでも桜が満開となりました。
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冷え込んだ先週とは打って変わって、春爛漫の陽気が続きます。

軒の上側も無事に付け終わりました。
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水切りの位置が決まって、これを基準に屋根全体を葺いて行きます。

両端のコーナーの部分を先につけます。角付けと呼ぶ工程で屋根のかたちがここで決まりますから、腕の立つ職人が担当します。
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ヨシは滑りやすいので、滑り止めに板を立ててから並べます。

短く切ったヨシと長いヨシを何層にも積み重ねて葺いて行きます。
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長いヨシばかりだと奥の方が高くなり過ぎてヨシが次第に起き上がってしまい、押さえの竹が屋根の表面へ押し出されて来てそこから雨漏りしてしまいます。
短いヨシばかりではしっかりと固まった屋根にはなりません。

右から左へと工程が進む途中です。
様々な長さのヨシを使い分けながら積み重ねて並べ、最後に押さえとなる長いヨシを並べて、ひとつ下の押さえ竹から針金を取り足場用の丸太で挟んで仮に固定します。
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滑り止めの板を外して、屋根のかたちに叩き揃えます。
叩き揃えた時に両端のコーナーと高さが合うように見越して、あらかじめ並べるヨシの分量を調節しておきます。
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この後、仮押さえの丸太を足場にして押さえの竹を下地から縫い止めて固定します