月別アーカイブ: 2007年6月

070630 茅葺きシンポ@佐賀県鹿島市

佐賀県鹿島市で開催された、全国茅葺き民家保存活用ネットワーク協議会のシンポジウムに参加するために、美山の屋根屋6人、くたびれたワゴンに乗り合わせて九州まで行って来ました。

夜通し高速を飛ばして来たので、まずは朝風呂を使いに雲仙の小浜温泉へと向かいます。
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島原半島を巡る海岸道路に入ったところ、千々石という町でまるで要塞のような見事な石垣の棚田が目に入りました。

松原の海岸から集落のある山の麓までには、結構な面積の平田も広がっています。
集落背後の急峻な斜面の側も開墾して、見事な棚田を築き上げたいきさつなど興味をそそられます。
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石積みで畔の薄い棚田は、地元の京都や兵庫の棚田と比べると、随分とシャープな印象を受けます。

会場近くの伝統的建造物群保存地区「肥前浜宿」へと移動し、腹ごしらえの後開会時間まで散策しました。
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白壁の美しい街並をつくる酒蔵の多くが、現役なことを知り個人的な期待が膨らみます。
ここは街道町のなかに茅葺きの建物も多くあるということで、明日の見学会で時間をかけて見て回るのも楽しみです。

さて、本題のシンポジウムについて。
今回のタイトルは「今、茅葺き民家にすまう意義」ということで、いよいよ茅葺きを住宅として活用することについて語られるようになって来たことに、まず感慨を覚えます。
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地元鹿島市で肥前浜宿地域の伝建地区指定に携わった方々からは、現代の住宅として活用するために再生する事例と、文化財として将来に伝えるために保存する事例とのコンセプトの違いや、高潮対策や道路拡幅などの都市計画プラントの兼ね合いなどに苦労しながらも、保全を進めて行く中で若い方の中から職人を志望する人が増えて来たり、体験会に参加した小学生や高校生から予想以上の大きな反響を得るなど、地元に密着した財産として愛されるようになって来ているという報告がありました。
茅葺きの工事を行うに際して、やはり建築基準法の規定がネックになることが多いとのことでしたが、地元の財産として認識されることが、法の運用規定を変えて行くためにも一番の近道であることは間違いないでしょう。

筑波大学の安藤先生からここ一年の茅葺きをめぐる話しとして、昨年富士河口湖町にオープンした「癒しの里 根場」 が紹介されていましたが、単に富士山麓に茅葺き民家の建ち並ぶテーマパークではなく、職人の交流の場や、訪れる人達とともに茅葺きの文化を再興して行く場としての展望を語られていたのが印象的でした。

また、筑波において実際に茅葺き民家を現代建築としてレストアされた事例においては、Iターン住人が茅屋根葺き替えのために稲ワラ確保を通じて、地元農家と交流を持ちその土地に住まう作法を学ぶという話しがあり、それは自らがIターンで茅葺き民家に暮らしている新田氏による、茅葺きを通じて暮らしに深みが生まれ交流も広まったという話しや、石川県茅葺き文化研究会の坂本氏の、実際に茅を葺く機会を設けることで、地元の高齢者のあいだで忘れかけられていた、文化としての茅葺きの記憶が呼び覚まされたとの報告と並んで、茅葺きを「住む道具」として活用することの意義の高さを、示してくれていたように思います。

大分県在住の茅葺き職人、井手氏からは、杉皮を挟み込んだ独特の茅葺き屋根についての詳しい報告と、そのような茅葺きとともに生きる職人の暮らしについての話しがあり、同行の美山の若い職人たちは一番食い付いていました。
氏の活躍される茅葺きと棚田の美しい浮羽地域も、明日に見学可能だということで期待が膨らみます。

夜は鹿島市重要文化財の茅葺きの旧乗田家住宅において、地元の方が用意して下さった有明海の幸と地酒を楽しみながらの「情報交換会」が、遅くまで賑わっていました。

0627 竣工

母屋は軒裏も刈り落としてほぼ仕上がり、順次足場の解体に移ります。
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いよいよ梅雨らしく雨が強く降り込める日も多くなるなか、合間をついて方丈の差し茅も佳境に入って来ました。

雨の止み間は森の蒸気に満ちた空気がねっとりとまとわりついて、思わず出た「ヒレを付けたら泳ぎ出せそう」という台詞にはげしく同意してしまいました。
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しかし梅雨が明けたら明けたで、屋根の上に一年で最も暴力的な日照の降り注ぐ季節が到来することになるのです。

何とか方丈の刈込みも終わり竣工です。
もっとも、僕は皆が蒸し暑さに弱っている中、最後の2日間は現場を離れており、仕上げには携わっておりませんが。
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そういうわけで、この竣工写真に限り photograph by Yu Osaki ですので。

0620 差し茅/棟修理

毎年我が家の庭に一輪だけ咲いてくれているササユリの花。
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昨年の鎌倉長期滞在 途中に帰った際には見付けられず、自宅周りの造成で石垣を削った影響で絶えてしまったかと思っていましたが、今年も花を咲かせてくれました。

棟は丁寧に積んでいたつもりでも、年月が経つうちに傾いて来てしまうことがあります。
日当りの差がきつかったり、鳥や動物がいたずらをすることもあります。
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傾いてしまった屋根は雨養生の杉皮やトタン板を外して、茅を積み直したり適宜差し茅することで修正します。

傷みやすい棟飾りの一番上に渡してある丸太「ユキワリ」も、腐って折れていたので新しいものに交換しました。
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と、言いますか、僕が萩に行かせてもらっているあいだに直してありました。おつかれさま。

棟の修繕も済ませた母屋の方は、刈込みも仕上げの段階に入っています。
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やや後回しになって来ていた、方丈の差し茅にも力を入れて行きます。

070617 萩 行

私事ではありますが、先日身罷った祖父の骨を納めに、母方の菩提寺を訪ねて山口県の萩まで行って来ました。
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幼い頃に何度も遊びに行った、夏みかんの木がたくさん植えられた広い庭のある、祖父母の暮らしていた古い家は、何年も前に取り壊されて既に面影もありません。街も年々変わって行き、思い出と乖離していくことが寂しく暫く足が遠のいていたので、久し振りの萩行となりました。
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今回は少し市内を歩き回る時間がとれたので、あらためて時間をかけて眺めてみれば、武家屋敷、商人町、寺町、港の区割りのそのままに、それぞれが往事の空気を醸しつつ住宅地として、或いは商業地区として落ち着きを見せる市内の空間の魅力はかなりのものでした。
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市街地に隣接して美しい砂浜があり、市内を流れる川には鮎が遡り、市内から車を5分も走らせればホタルが乱舞する、自然に恵まれた街にふさわしい街並だとあらためて感じました。
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茅葺き民家もトタンを被せられたものを市の周辺に多く見かけました。
寄せ棟のかわいらしい茅葺きで、石垣の美しい棚田の風景と石州瓦の赤い家並に良く似合っていました。
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茅葺きと言えば茅場について考えずにおれません。
小郡への帰路、日本有数のカルスト台地の秋吉台を通るルートを選びました。

採草地としての管理を長年積み重ねられて来た草原は、しかし、車道からちょっと覗いただけではススキではなくネザサが主な植生のように見えました。
もともとそうだったのか、近年草原の管理が難しくなる中でそうなっていったのかは、わかりませんが。
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0614 差し茅/カンヅメ屋根の維持

雨の季節が近づき、路面のカエルに気を取られながらの、危険な運転が続きます。
今日は、カーブを曲がったところに道路を横断中の亀(クサガメ?)が!
咄嗟に跨いで躱しましたが、亀の方は直前で頭と四肢をひゅっと甲羅にしまっていました。
そんなことしても、意味ないのだけれど・・・
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僕はライフスタイルとしての茅葺きを広めて行くことで、絵空事ではない人と自然の共生する社会の実現を目指しているのですが、人間と野生動物の生活域が無理矢理に重なると、ロードキル(Road Kill)が頻発することになります。
おそらく産卵のために川から上がって来たのであろう亀を、道路の反対側まで運びながら色々と考えさせられました。隣人との付き合い方がとても下手になっているように感じます。人間の方が。

現場の方は屋根を合わせてから後は順調に差し茅を続けて、今回修理するアリゴシから下はだいたいかたちになりました。
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手前の方丈の方は傷みが酷くて、正直「葺き変えた方が早い」と思わないでもありません。
しかし、たとえ葺くのと変わらない程の手間がかかっても、差し茅にすれば材料は節約できます。今回は方丈は差し茅で凌いで予算を圧縮する方針なので、職人としてやるべきことは決まっています。

ところで、美山町内の現場から少し離れたところでは、トタンを被せられたカンヅメ屋根に、さらにトタンを被せるという工事が行われています。
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住む人の生活や社会の変化により、ススキやヨシや麦ワラが屋根葺き材として合理的ではなくなったときに、より合理的な屋根材として「茅葺き屋根」を葺いて来たトタン板ですが、実はそれほど耐久性に優れているというわけでもありません。
施工後再塗装必要になるまでの期間は、製品それぞれの塗膜の性能如何によりますが大体10年〜20年くらいのようです。塗り直しは吹き付け塗装でおこなわれるので、その後は5年〜10年毎に行う必要があります。

それでも、自給自足的な伝統的生産システムが崩壊して後、住人の生活がより大きな経済システムの中に組み込まれてからは、お金を出せば買えるということは、安定的に屋根を維持して行くために大切なことでした。
また、茅葺きのサイクルが伝統的な生産システムに組み込まれていた時には、古屋根の茅くずが貴重な資源であったため、茅葺き屋根は必ずしも長持ちする必要はありませんでしたから、長持ちさせるための葺き方も十分には発達しませんでした。
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現在美山を中心に葺かれている茅葺き屋根は、耐久性の面で金属による覆いをされた場合に劣ることは、決してないと思っています。
さらに物理的にも情報としても大きく広がった個人の生活圏に合わせた、新しい茅葺きのサイクルを確立していくことで、トタン板よりも茅のほうが合理的な葺き材だという環境を、これからは用意して行くことが出来るはずだと考えています。

0609 屋根を合わせる

M窯の葺き上げが続いています。
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丸太のてこで「こぜあげ」たところまで、茅を葺きつめて通常通りに竹で押さえます。

押さえ竹を踏んで締めたら、てこにしていた丸太は引き抜いてしまいます。
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上の古い屋根は下からの支えが無くなるので、新しく葺いた屋根の上に自然と下りて来て、葺き材の勾配が合わさり一つの屋根となります。

ここから先は、差し茅により屋根をなおして行きます。
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方丈の方も合間を見て軒までつけました。

0601 差したりめくったり

助っ人稼業は続いています。
永谷宗円生家を仕上げて、M窯に戻って来ました。
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軒付けを手伝った小間(妻側)は葺き収まり、大間(平側)と手前に建っている方丈の修理に取りかかります。

基本的には「差し茅」による補修を行いますが、傷みの酷い大間の軒を丈夫なものにするために、軒の部分は古屋根を解体してつけ直します。
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新しく葺く屋根の先は、残した上部分の古屋根の下に潜り込んでいないことには水仕舞いがなりません。
そこで、古屋根の下に細い丸太を大体2m毎に差し込み、てこの要領で屋根を持ち上げ充分な隙間を作っておきます。

方丈の方はノーマルな差し茅の方法で軒を付け直して行きます。
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人数の出入りがある現場なので、2カ所の工事を平行して行うことで調整して行きます。