ナショナルトラストの茅シンポ、2日目は会場周辺で茅葺き屋根の見学会です。
ここは軒と棟の装飾にとことんこだわる職人集団、「筑波茅手(かやて)」の本場だけあって、案内して頂いた屋根には、いずれも見事な意匠が施されていました。
しかし、町内に車を走らせていて、それらの立派な茅葺き屋根以上に目を引いたのが、門。やたらとお寺の多い土地かと思いきや、全て普通の住宅の門でした。
筑波茅手による見事な装飾は、雪の無い土地柄故に、冬場に磐越各地から出稼ぎに来た職人たちが腕を競った結果だという解説がなされましたが、腕を振るうにもまず、華美を求める施主の意向があればこそだったはずです。
「手間がかかっても、長持ちしなくても、とにかく立派な棟を!」という住人の気概に追われて職人も腕を磨いたのでしょうが、その我が家にかける情熱が茅葺きの少なくなった現在、門に向かって噴き出しているのでしょうか。
門とバランスを取るためか、住宅の方もこのとおり。
ここまで来ると、立派にパンクしてますねえ。既存のモラルなど超越して突き進む!
まあ、脇町のうだつもサンジミジャーノの石塔も、かなりの程度まで勢いで突っ走った結果生み出された景観な訳で、茨城の農村で弾けるデコラティブ和風木造住宅群が、後年どのように評価されるようになるのか、なかなかに興味をそそられるところではありますが・・・
話を茅葺きに戻します。
「霞ヶ浦のしまがや」なる茅材がどのようなものなのか、かねてから気になっていたのですが、常陸風土記の丘公園の茅葺き建築修復工事を見学した際に、実物を見せて頂くことができました。
関西で「あやめ茅」と呼んでいるものと同じだという事が解りましたが、あやめ茅はとても使いやすいものの、まとまった数が採れないため難しい場所にだけ使う貴重品であるのに対して、風土記の丘公園に建つ大量の茅葺き建築群の、ほぼ全てがしまがやだけで葺かれるほどの収穫があるという話に驚かされてました。
しまがやで実際に葺くところも見学させて頂きました。写真を撮っている僕も含めて、わらわらと群がる若造職人たち。
おまけ。風土記の丘公園にありました。
小さな屋根を葺くのは本当に難しく、これなど正しくしまがやがあればこそというところでしょう。
「やり過ぎ」という声もありましたが、高度な職人技を遊び心に包んで置いてあるようで、僕は楽しいと思いました。
お寺のようなすごい迫力の家ですね。。。。
前から思うんですが、私が関わってる佐原でも時折見ますが、房総の家はなんであんなに軒が高いんだろう?
台風の多い土地に育った人間としては理解しがたいですが、なんか理由があるんでしょうね。。。。平野で遠くを見るための楼閣とか。
ichide!さん、コメントありがとうございます。
寄せ棟の茅葺き屋根を、そのまま瓦に葺き換えた平屋の住宅も多く見かけまして、そちらの方は品の良いおばあさんのような、清楚なたたずまいなのですが・・・
茅葺き民家の屋根を降ろして代わりに2階を載せるという改造は、茅葺きが農業との関わりをなくして以降に各地で行われています。
その際、天井の高い茅葺き民家の梁組みの上に、さらに2階の土台を重ねる事になるため、どうしても2階部分が腰高な造りになってしまうのを、大工さんは地域毎に様々な工夫を凝らして上手くまとめようとしています。
茅葺きからの改造で生まれた意匠が、新築の2階建てにも引き継がれる事はよくあることで、新たな住宅の地域色を生み出す要因の一つとなっています。
もしかしたら房総の櫓のようなつくりも、腰高になった2階とのバランスを取る事に努めた当地の大工さんたちのセンスが、その土地の人々に受け入れられた結果として広まったのかも知れませんね。
「筑波は茅葺きの大学」と云われていたのも頷けますね。
ルナルナさん、コメントありがとうございます。
存じ上げませんでしたが、呼ばれていたのですか。やはり、という感じですね。
つくづく思うのは、、関西と関東では茅葺きと言っても、職人も施主もその形だけではなく、こだわるところが全然違うというのが面白いと思います。