「何としても7月中に棟上げしておきたい」という大工さんの気合いが叶って、明日大安吉日の棟上げに備えて材が組まれ始めています。
二次元の図面からついに立体に立ち上がって来るのを見ると、感慨もひとしおです。
無事に屋根が収まるかどうか、不安も立ち上がって来ますが・・・
後回しにされていたアプローチの整備が、棟上げのためにレッカーを据える地行と絡めて、一部行われました。
この石垣は既に孕んで崩れかけていたので、いずれにせよ積み直す必要があったのですが、石垣も茅葺きもこのようなプロの手によらない、かつての「百姓の百の技のひとつ」として積まれたであろうもの方が、現在ではある意味で却って貴重な技となってしまっているような気がします。
ここでもプロの石屋さんに頼むのは大層ですし、かといって自分で積むことも出来ず、頼むあても無く手をつけるのを躊躇していたのですが、バックホーのオペレーターのおじさんがあっさりと(スロープの部分)積んでくれました。
ユンボが通れるくらい、結構しっかりしています。
組み立てを待つ柱のほぞ穴。
金物を用いない在来技法の継手を見るにつけ、あらためて大工さんの技能に感心させられます。
建前が終わるまでのひとときだけしか見れませんが、トーテムポールのようでかわいらしい表情だと思います。
着々と。おめでとうございます!!
百姓とは百の姓(かばね)と網野さんが書いていてことを思います。
春に通っていた、静岡県三ヶ日市では、みかん畑を掘り返してでてきたであろう石を地元のおじさん(本当の職人さんなのですが、雰囲気は良い塩梅のおじさんという感じでした)たちがモルタルを全く使わずに2m以上の高さの石積み(土留め)をふんふんって感じで積んでいました。
気負いの無い、自然の石を自然に使う。
木のくせに従い、家を建てる。
こちらまで木の良い香りが漂ってきそうです。
楽しみですね。
ceico さん、花がたみ さん、コメントありがとうございます。
>ceico さん、
四国の棚田の石積み職人さんは、結局未だ訪ねることも出来ずにおりましたが、身近なところにも技を携えた人はいるものだと感心させられました。
もちろん職人の目で眺めれば、色々とレベルの違いはあるのでしょうけれども、素人の立場としては機能としてひとまず問題ないものを、気負い無くかたちに出来るということがとても意味のあることかと。
出来れば、積むところを一緒にお手伝いさせて頂きたかったのですが、7月雨にたたられたせいで本業の方が忙しく。
それだけが心残りです。
>花がたみ さん、
日々の仕事、田舎での暮らしを通じて、まさに「百姓は百の姓」を実感させられます。
かつてはそのうち10くらいには茅葺きが絡んでいたはずなのですが、現在ではコンバインの整備方法や化学肥料の調合に代わられているかもしれません。
それはそれでもちろん大切なことなのですが、茅葺きを百姓の生業の一環として数えるような農業の在り方も、現代だからこそあるはずだとも思っています。
うおお、着実順調ですね。
ichide さん、コメントありがとうございます。
おかげさまでここまでこぎ着けることができました。
まだまだ頭を悩ますことは多いのですが、なるべく楽しみながらやって行きたいと思います。
組み立てる前の写真を見せていただき、あらためて、ほんとうに金物を使わない技術のすばらしさを感じます。
日本の宮大工の技術は、アフリカやアジアなどで、なんどかけても急流と増水で流されてしまう川の橋かけに、ひっぱりだこだと聞いたことがあります。絵本「だいくとおにろく」を思い出しました。
とまとん さん、コメントありがとうございます。
大工さんには「金物を使わないで」とは一言もお願いしてはいないのですが、日本の大工さんにとって家を建てるためには、木と木を組むのが当たり前なのでしょうね。
良い大工さんに建てて頂いていると感謝しています。
苦労も多いですが、良い大工さんと「一緒に建てる」ことができるのは楽しい経験でもあります。