現場の周りには夢に思い描くような農村の風景が広がっています。
田んぼも石垣も畔も畑も、こちらにお住まいのお年寄りのご夫婦による、日々の営みの中で繰り返される手入れが行き届いています。
屋根裏から出した茅が積んである田んぼが一枚、田植えをせずに休んでいるのは、茅葺きの際の作業場とするのを見越して、田植えを控えて下さっていたからです。田んぼには再使用できない古茅やゴモクが積まれ、葺き替えのあとには堆肥がつくられます。一部はそのまま畑のカボチャのマクラにもなります。
家の脇にはきれいな谷川の水を田んぼに引き込むための水路が流れ、汚れた手や顔を思う存分洗うことが出来ます。そこには家の裏手の横井戸の水も流れ落ちていて、これからの季節どんなに暑い日でも冷たい水でのどを潤すことも出来ます。
適切に造林され様々な樹齢の木が混じる針葉樹林と、椎茸栽培のホダキにするために適度に伐り出された雑木林が混じる山裾には、茅葺き屋根のための茅場が広がる、茅葺き民家に素晴らしく似合う風景です。
逆に言えば茅葺き民家を維持していくことが、この風景を守る一助となっているとも言えます。
茅葺きに暮らすということが、周りの自然環境に対して責任あるライフスタイルを実践していることの、宣言だと見なされるような世の中にして行きたいものです。
おじいさんとおばあさんは、ロハスとか言葉とは関係なくすごいことを、さりげなく実践されておられますけれど。
などと考えながら、軒を付けました。
屋根裏の茅が美しく積まれてあるところからも、その家の方が仕事をしてもらう人のことを考えてあるなぁと感じていました。
失われつつある「当たり前」のことが、普通にあることが尊く思われます。
ますます、良いお仕事ができますね!
花がたみ さん、コメントありがとうございます。
もう少しお若い頃には、足場なども普通に用意されていたそうです。
そこまで出来ずとも、茅の段取りや作業に必要な面積などを住人の方が理解されていれば、普段から屋根葺きに配慮して暮らして頂けます。
そういった、茅葺きに「住む技術」が広く市民の間にあることが、職人のような「葺く技術」の充実以上に、茅葺きの里としての美山町にとり何よりの財産なのではと思えます。
すごいことをさりげなく実践・・そうですよね。お年寄りの方々のすばらしさですね。理屈ではなく、たんたんと黙々と手と体と知恵を使われる・・
日々の営みの中で繰り返される地味な作業から、大切な風景が守られているのですね。
自然と人をつなぐ尊い仕事をされている屋根屋さんのことばは、自然への愛情に満ち、深い響きを感じます。
とまとん さん、コメントありがとうございます。
お年寄りが淡々と繰り返しておられるように見える毎日が、長い時間をかけて習得された技術によって支えられた、素晴らしく充実した時間を積み重ねておられることに気付かせてもらえました。
自分もいつかそんな毎日を過ごすことができるようになれたらと思いますが、なかなか。