シンポジウム2日目は見学会です。
◯最初に訪ねた集落は、鹿島市の中心街からわずかに川を越えただけのところでしたが、一面広がる干拓地の一画に肩を寄せ合う農家建築の多くが茅葺きで、しかもトタンを被せられている家は一軒も無いという、俄には自分の目が信じられないような光景が広がっていました。
茅葺きの他にも板壁やレンガ作りの建物、手入れの行き届いたマキの生け垣、干潟の泥の匂いのするきれいな水の流れるクリークなど、暮らす人の愛着が滲み出たような、とても美しい集落でした。
なつかしい木の電柱に取り付けられた、街灯のデザインの面白さも秀逸です。
茅葺き屋根は地域色豊かな、「くど作り」と呼ばれることもあるコの字の棟を持つ、非常に独特なかたちです。
屋根下地よりもきつい勾配を持たせて葺いてあるために、こんもりした屋根のかたちと相まって、どこか外国の町の風景を見るようでもあります。
地元に茅葺き職人さんがおられたために、日常の手入れが行き届いて来たことで、茅葺き屋根が良く残されて来たそうです。
しかし肥前浜宿とは異なり、こちらの集落は伝統的建造物群保存地区の指定からは漏れているとのこと。
実際に集落内に中層の集合住宅が新たに建てられていたり、特に印象的なかたちの茅葺き屋根を持ち集落のランドマークになっているお寺に建て替えの予定があったりしていて、この美しい風景が今後も残るのかどうかは難しい問題のようです。
◯次いで肥前浜宿の、昨日歩いた酒蔵通りの海側にある、町家が建ち並ぶ庄金、南船津地区を訪ねました。
密集する町家で茅葺き民家が卓越するという、こちらも古い映像の中か、ヨーロッパの集落にでも迷い込んだかのような風景でした。
「くど造り」が注目されるこの地域の茅葺き屋根ですが、軒の下りがとても小さいのも珍しく感じました。
軒は垂木に負担がかからない限りなら、下げた方が軒の出が大きくとれるので、屋根下空間が広くとれて有利です。一方、軒の出が大きいと風圧力に対して弱くなります。
ワラを縄で巻きつけた竹で軒裏の隙間を塞いでいたりするのも風への備えと思え、雨仕舞いに不利な「くど造り」が広まっているのは、風対策として棟高を低く抑えるためだったのだろうかと想像したりしました。
軒の出が小さいことも、茅葺き民家の街並に異国情緒を醸している、大きな要因と思われました。
干拓地に囲まれ有明海に面する町は、台風などの時には強い風に吹かれるのかもしれません。
ただ、それは夏に蒸し暑さから逃れる風を得やすいということでもあります。
道路幅も狭く建て込んだいるために、さすがにトタンによる覆いをされた屋根も多かったのですが、今後屋根の修復を進めて行くうえで、準防火地域に指定されていることもあり越えるべき課題は多いようです。
しかし、課題として取り上げられていること自体、とても先進的な取り組みだと思います。
何よりこの路地空間の魅力は、何ものにも変え難いものがあります。
路地を介して適度に視線が行き交い交流が生まれます。密集した街並でありながら、随所に設けられた庭で狭苦しさは感じず、日差しにも恵まれています。行き交う路地や水路が通風を呼び込み、茅葺きの軒を切り上げて設けられた2階の窓は、風の取り込み口かもしれません。
小さな町家の茅葺き民家は、現代の住宅として使うのにいかにも手頃です。
毎朝この路地を通って出かけて、夕方帰って水路に面した縁台で休み、路地を行き交う人と声を交わす。そんな暮らしを思い描いて強く惹かれました。
伝統的な街並は、「住みたい町」としても魅力に溢れていると思います。
◯午後からは福岡県の浮羽町へと移動しました。
棚田の中に茅葺き民家の点在する風景が、谷に沿ってどこまでも続きます。
昨日のシンポジウムで井手氏の話された、杉皮葺きの茅葺き民家も始めて実物を見ました。
他の材料にはないはない重厚な仕上がりです。
井手氏は重要文化財平川家住宅の葺き替えにも携わっておられたそうです。
同じ「くど造り」でも佐賀県のものとは微妙に雰囲気が異なるように思います。棟の収まりは大きく異なりますが、それだけでは無いようにも・・・
棚田と茅葺きの谷間を通っていると、鮮やかな鏝絵もたくさん目につきました。
これほど大きな鏝絵は今まで見たことがありませんでした。
左官屋さんも活躍されている地域なのでしょうか。
旅に出ると目にする物事も多いので、つい日記も長くなってしまいます。
しかし、有明海北部。今まで縁がありませんでしたが、とても個性的な見所の多い地域でした。
駆け足の旅だったのが残念ですが、また行きたくなるくらいに名残を残しておいた方が、楽しみも残って丁度良いのかもしれません。
なんて美しい風光が残っているのでしょう。
棚田にも茅葺き屋根にも、その風土にしっかりと根ざして生きてきた先人の智慧がきちんと受け継がれていますね〜。是非いつか、訪ねてみたい所になりました。
旅のお裾分け、ありがとうございました。
花がたみ さん、コメントありがとうございます。
何度か九州を訪ねて来て、自ら行こうと思ったことのない地域だったのですが、浮世離れした美しい風景と、良いお湯を楽しんで来ることが出来ました
まだまだ日本は広いです。
今回のシンポを通じて感じたのですが、今まで残されてきた美しい風景を、「きれいだから、貴重だから、遺す」というだけではなく、「なぜ美しいと感じるのか、美しい風景を培って来た文化にどのような価値があるのか」ということについて、当たり前に語られるようになって来ています。
まだまだ日本社会の文化程度の底は深いと思います。
こんばんわ、遠方よりおつかれさまでした。
当日は取り留めの無い話になりまして、申し訳ございません。
2日目は浮羽のほうにも行かれたようですね。これからあの谷あいの部落を当時の姿に戻そうという動きが少しずつですが起きています。
もう少しゆっくりとお話をしたかったのですが、それは次回の機会ということにいたします。
梅雨、そして猛暑の夏と続きますがお体にお気をつけて下さい。
そはか
そはか さん、コメントありがとうございます。
当日は色々と面白いお話し、貴重な情報などありがとうございました。
午後遅くになりましたが、何とか浮羽の方にも足を延ばすことが出来、すばらしい風景を目にすることが出来ました。
茅葺き民家のある風景が、あの棚田や山と一体となった文化として、少しずつでも確実に再興して行くことを想像すると胸が高鳴ります。
今度はもう少し時間のゆとりを持って、浮羽もピストンではなく峠を越えて前津江の方までお邪魔できたらと思っています。
今後ともよろしくお願いします。
下から2番目の写真の、屋根の下の画は、何絵と読むのでしょうか〜教えていただけますか〜
里山で見た茅葺屋根を横から見たときに、三角形の下に、大きく「水」と書かれてあるのを見たことがあります。このスペースは、絵や文字などでメッセージをアピールする場所でもあるのでしょうか〜
棚田の写真もすばらしいですね。
「ちいさな茅葺民家」の写真も好きです。
洗濯物が、日々の暮らしの中に根付き大切にされている茅葺屋根の良さを、さりげなく表現してくれているようです
とまとん さん、コメントありがとうございます。
鏝絵は「こてえ」です。
左官屋さんが壁塗り用の道具、鏝(こて)を駆使して描かれた、立体的な装飾画です。
僕は左官に関しては全くの素人ですが、住む人の心意気と職人の技が符合して生まれたであろうデザインは、観ているだけで楽しくなりました。
屋根の棟の妻(両端)というのは、建物の中でも目につくその家の顔のようなものですから、色々な装飾の施される場所のようです。
「水」と入れるのは火伏せのおまじないですが、こちらの小槌や鶴亀のように縁起の良いモチーフや、家紋も好まれますね。
道中見事な棚田が多くて驚きました。
やはり九州は関西より暖かいのか、田植えがやや遅いと見えてちょうど早苗の時期だったことも、一層棚田の風景を美しく見せてくれました。
他所のお宅の洗濯物を撮らせて頂いたことには、色々と考えなければならないこともあるのですが・・・
自分はやはり、茅葺き民家を住宅として使って頂くことが嬉しいので。
こんばんは。
実は「日本の集落(九州・四国・中国地方と沖縄編)」というものを持っているのですが、その本で目にした風景が、今まだちゃんと住まわれて存在するのに本当にびっくりしました。
その本(昭和59年刊、取材のスタートは昭和48年)では、取材が年を追うごとに、かなり田舎に分け入っていかないと、いわゆる“民家”に出会えなくなってきている、と書かれていて、その本の中の風景は、今現在は全く無いものだと思い込んでいたので…。
それにしても、なんとも独創的な建物、町並みですね。また、なんというか愛らしい風景ですね。
日本はまだまだ広く、いろいろな可能性があるのだと、嬉しくなりました。
少し話が長くなりますが、(たぶん学生時代に)本で見て、今でもなんとなく頭に思い描けるほど強烈な印象があったのは、伊藤ていじの「日本の民家」の中の東北地方の茅葺き民家。白川郷ほどではないけど、かなり大きな茅葺きで軒先の反り方も他の地方にくらべて、かなり個性的だったような。
今でも残っているんでしょうかね…。
千 さん、コメントありがとうございます。
茅葺きの集落も各地に訪ねて来ましたが、この風景が今日に残されていたことには驚かされました。
ただ、一つ目に訪ねた集落は、今まさに失われんとする瀬戸際のようでしたが。
確かに民家が「民の家」であった時代は、昭和60年代までに終わってしまっているのかもしれません。その美しい姿は、中世的な貧困や封建的な制度の中で必然的に産み出されたものでもありますから。
しかし、民家を支えていた営みには、今の私達が求める知恵も数多く含まれていますから、茅葺きの建物を現代の住宅として活用して行く道も、必ずあるはずだと思います。
この美しい風景が私達の前に残されている奇跡に感謝しながら、それを次代に遺すことに止まらず、新たに営みを重ねた風景を産み出して行きたいものです。
肥前浜宿や浮羽での、茅葺きの建物のストックを活かした今後の町づくりに期待が膨らみます。
東北の茅葺きもまた独特の雰囲気を持っていますね。関西を離れる度に、茅葺きが地域色豊かな文化なのだとあらためて認識します。
民家は現代の我々の感覚での家ではなく、生産のためや公的な空間も取り込んだ生活空間ですから、積雪地方では大きくシェルターとして覆うために、規模が大きくなるようです。(反対に庭などの屋外が生活空間として活用できる気候が温暖な土地では、建物は機能毎に分解してばらばらになり、小さな建物が寄り集まって一軒の民家をかたちづくります)
上越や山形の民家は、豪雪地帯なのに軒の反りが美しく軽い印象の屋根で、僕の好きな意匠の一つですが、伊藤ていじ先生の紹介されたのがそれかどうか・・・
「日本の民家」は読んでみたいのですが、入手困難で。
やはり、そはかさんと会われたんですね。時々そはかさんのブログを尋ねて職人さんのようすを教えてもらっています。
茅葺の家は新築はもうできないと聞いています。消防法の関係で条例を定めると許可されないと聞きました。確認はしていませんので不確かです。
日本の庶民の伝統文化・技術がこんな形で失われるのは重大な損失です。身近なところにある素材で家を作るのは庶民の家作りの基本中の基本。「文化財」の中だけにしか生きられないようでは意味がないと思います。
みやきん さん、コメントありがとうございます。
そはか さんには当地の事情など、色々と興味深いお話しをして頂きました。
仰るように茅葺きが文化財として、遺すだけのものではもったいないと思います。
日本の法律に「茅葺きを建てては行けない」とはどこにも記されていないのですが、茅葺きの新築は法的に禁止されているという認識は、広く流布されてしまっています。
要は法律の解釈の問題なのですが、社会的な立場のある方々だと、行政当局と解釈が異なってしまった場合に責任問題が生じるため、「茅葺きを建てても良い」とも言いにくいのでしょうか。
もちろん、条例や都市計画法ではっきりと規制されている地域もあり、どこにでも建てられるというものではありませんが、場所を選べば新築も可能なのだという法的解釈を、前例を重ねて行くことで認知して頂けたらと思います。
日本は民主主義の国ですし、茅葺きが単なる郷愁の対象としての文化財だけではなく、現代の社会が必要としている建築技術だということを、広く国民共通の認識とすることが出来れば、充分可能なことだと思います。