ヤマダさんは、かつて巨椋池から大阪湾まで広がっていた淀川水系の広大なヨシ原で代々ヨシを刈り取り、主にヨシズの材料として卸すことを生業として来られた家系の方です。
中国産に押されたヨシズに代わり、茅葺き屋根の材料として使われることが増えていたヨシですが、安定した需要とするには茅葺き職人の高齢化と後継者不足が問題でしたので、自ら茅葺きの修行もこなし職人としても活躍されています。
そんなヤマダさんの山城萱工房で刈り取るヨシは大きく分けて2つ。
ひとつは上流の宇治川から琵琶湖にかけて見られる大きく育つヨシ。僕等は「伏見ヨシ」と呼んでいます。
もうひとつは河口に近い気水域の干潟に生えるヨシで、伏見ヨシに比べて長さも太さも半分にも至りません。
僕等は「大阪ヨシ」と呼んでいます。
伏見ヨシも大阪ヨシも、植物としては同一の種だそうです。しかし、茅材としてはもちろん全く別物です
成長する期間は同じですから大きく育たない大阪ヨシの方が緻密で、細い分だけ屋根としても目の込んだものが葺けますから、角や軒といった細かい部分に重宝します。
伏見ヨシは太い分だけ粗くなりますが、それが幸いして水はけが良いのかこれはこれで長持ちする屋根になります。丈夫で屋根をしっかりと固めてくれるので、広い面積を葺いたりするのに向いています。
同じヨシが生えている場所でどうしてこれほどまで違った姿になるのでしょうか?
大阪ヨシは中にカニが入っていたりするくらいに、満潮時に海水に浸かる気水域に生えているので塩分のせいなのか?
伏見ヨシは琵琶湖の富栄養化の影響を受けて育ち過ぎでしまっているのか?
常々疑問に思っているのですが、どうも元々特徴を異にする遺伝子群なのだという話しを耳にしました。
このあたり、詳しい方がおられたらぜひ教えて頂けないでしょうか。
そんな伏見ヨシと大阪ヨシを適所に使い分けながら、日々葺き上がっています。
屋根も大きいですが、屋根屋も腕利きの職人とやる気のある手伝いさんを、集中して人数を揃えています。
おかげで今のところ、かなり良いペースで工程をこなすことができています。
御結婚と御長男の誕生おめでとうございます。昨年末、たまたまパーティーで知り合った方が洋館での結婚式に出席するとのことで、話を聞いていました。世間は狭いです(苦笑)
年末、祖父の米寿を祝うため親族一同で祖父の住む徳島に行っていました。祖父は第二次世界大戦の沖縄戦から帰還してまもなく、徳島の南の山間部で茅葺職人をしていたため、僕的に話が興味深く、いつも行く度に昔の話のインタビューをするのですが、今年の正月にも昔の話を聞いていました。
この地方ではどのような素材を使っていたのか興味を持っていたので質問してみると、カヤ(ススキ)を使っていたそうで、茅場というものが無かったため、あちこちに生えているカヤを何年もかけて集めて使ったそうです。
ヨシは使わなかったのか、とたずねたところ、その地方ではヨシは河口から取り寄せなければならず、金持ちの家しか使用しなかったとのこと。
付近には川があり、現在ではヨシらしき植物も生えているのですが、当時は生えていなかったのか使用しなかったようです。生えていたのはヨシではなくツルヨシだったのかもしれません。
ツルヨシを屋根に使ったかどうかはききませんでした。
祖父が言うには潮の加減でカヤよりヨシがしっかりしていて長持ちするけれど、カヤとは違い滑る素材なので手間が余計にかかるとのことです。
ブルーシートの無かった昔は冬場に屋根を葺き替えたそうですね。寒風の吹く屋根の上の作業は大変だったろうなーと想像していました。
な〜るほど、さきほど、淀川のヨシと宇治川のヨシは違ってそれぞれ特色があるのですね・・というような内容でコメントしたのですが、な〜るほど・・今この日記を読ませていただき、屋根屋さんのお考えに、妙に納得してしまいました〜説得力あり!です〜
とまとん さん、コメントありがとうございます。
ヨシは重量がありますので、刈り取ってから運ぶのに苦労します。かつては船で運べる範囲よりは、あまり屋根材としての利用は広がらなかったようです。
大阪ヨシも伏見や琵琶湖のヨシも、かつてはそれぞれの地域で違った屋根に葺かれていましたが、トラックのある現在では、使い分けに拘るのはむしろ不自然かと思います。
一つの屋根の中で、材料と技術を適材適所に使いこなせる、現代の茅葺き職人を目指して精進して行きたいと思います。
COCA-Z さん、はじめまして。コメントありがとうございます。また、お祝いのお言葉を頂き、重ねてお礼申し上げます。
謹んでお祖父さまの米寿のお祝いを申しあげます。実体験に基づくお話しは、大変興味深く読ませて頂きました。
かつての日本の農村の植生は、大きく分ければ林地、草地、農地になるのでしょうが、実際にはそれぞれがさらに細かく分けられ、さらに固定されたものではなくローテーションが組まれていたりして、その土地の生産力を引き出し、継続的に活用して行くために、実に高度な土地利用の仕組みがあったようですね。
ススキもそのような経験によって研ぎすまされた土地利用計画の中で、「ススキが生えるべき場所」として求められた場所に、小さなススキ野原をずっと昔から繁らせ続けて来ていたのでしょう。
現在では手入れの行き届いた農村でも、景観は林地(鬱蒼と育ち過ぎの雑木林)、草地(畝刈によって維持される芝)、農地(ほ場整備された水田)にまとまってしまって、かつてのパッチワーク状の細やかな土地利用の知恵を見ることが難しくなっているのは、寂しい気もします。
「お金のある人はヨシで葺いた」というのは、あちこちで耳にする興味深い話しです。
ヨシは早い時代から、ヤマダさんのような専業の方が、生業として刈り取られていたことを伺わせてくれます。
昔から同じ屋根でもお金があればヨシを買って、家が貧乏したらススキや笹を集めて葺き替えることは当たり前に行われていたはずなので、文化財の修理では、ススキで葺かれた屋根はススキで、ヨシで葺かれた屋根はヨシで葺き替えるように厳しく言われるのですが、それほど単純な話しでも無いようですね。