相模原に来て2週間以上が過ぎています。冬枯れ姿だった現場を取り囲む河岸段丘林にも微かに色が差してきました。
足下にはアサツキの細い葉が長く伸びています。
お手伝いしてくれていた学生たちも帰ってから、お天気が悪いのと、僕の段取りが悪いのとで、なかなか捗りませんでしたが、職人さんたちの助けを得て徐々に現場が加速して来ました。
飛騨かやぶきのスギヤマさんたちが戻って来て、2棟目の屋根下地もネソで組んで下さいました。
2棟目は、「土葺き」です。
大量の草を使う茅葺き屋根は、肥料として草を大量に生産し利用する営みの中で発達して来ました。本格的な農耕が始まっていない縄文時代には、苦労して草を刈って大量の茅を集めても、葺き替えの際に古茅を肥料として利用する訳でもないので、草や樹皮を薄く敷いた上に土を被せて済ましていたのでは、ということです。
実際に樺太アイヌのチセとして、そんな土饅頭のような室を住居として利用されていたことも確認されています。
断熱効果の高い土の家は、寒い季節には意外と住み心地が良かったのかもしれませんね。
下地を組んだネソはマンサクの若木です。水に浸けて長いこと待たせていたので、雑木林に春の訪れを知らせる黄色の花を咲かせてしまいました。
東北の方で土葺きの遺構が発見された話を
以前聞いたことがあります。
「縄文人」をプロファイルして、
彼らの暮らしを想像すると
色んなことが浮かんできますね。
今頃の季節なら土葺きの屋根の上に
野の草花がゆらゆら風でそよいでいて、
私が縄文の人だったら、
屋根の上で寝転がっていたかな(笑)
美しい!
簡潔で粗野で。
土や木や笹の薫りがしてきそう。
復元ということですが、かえって新しい感じします。
ところで、屋根勾配が思ったより緩い感じですが、それは葺きやすいようにでしょうかね。
これで雨は洩らないんだろうか。
まあ、
そういう細かいことはいいのか。
自然とともに成り行きか。
仮に現代的工夫がちょっとだけ加わるならば、
そのまんまモダン住居になりそうな気もします。
花がたみ さん、ichide さん、コメントありがとうございます。
>花がたみ さん、
古代に土葺き屋根の建物が広く使われていたことは、仰る通り発掘調査でも確認されており間違いないようで、土葺きで復元された縄文遺跡もあります。でも、まだイメージとしては少数派ですね。きっと。
屋根に葺いた土は雨で流されないためにも、きっと草花が茂っていたでしょう。ただ、草は茂り過ぎると根本がまばらになってしまいます。根を張って土を斜面に留めておくためには、ある程度刈り込んでやる必要がありますが、石器で草刈りは難しそうです。
山羊とか放していたのでしょうか?屋根の上に。
>ichide さん、
土葺きの場合は葺いた土が流れてしまうと困るので、これくらい緩くしておいて丁度良いのではないかと思います。
土葺きは積雪期に「冬の家」として使って、ある程度雨漏りは許容していたのではというのが考古学的な見解のようです。僕としてはちょっと納得しにくいのですが、そもそも土葺き屋根は、下地を工夫すれば意外と雨漏りしないのではないかとも思っています。
笹葺きは小さな葉っぱの部分だけが茅として機能しているので、短い材料で葺く基本として勾配は急にしたいところです。この竪穴式住居は場所により屋根の勾配がばらばらですが、緩い箇所ではちょっと葺き難くなりました。
土葺きも笹葺きも含めて、茅葺きは営みから合理性を突き詰めたデザインなので、とてもモダンだと思っています。意匠としてではなく行為としてデザインに取り込めば、現代建築に活用できるところはたくさんありそうです。